新人冒険家エリカの場合 ④

 灰色狼達は先ほどの襲撃時よりも数を倍に増やしていた。少数ではヴェロニカに敵わないとみて援軍を呼んできたらしい。そして、半包囲の正面奥にいるのは……。


「群れの長が直々にですか。……エリカさん、付いてきてください」


 苦々しくつぶやいたヴェロニカが灰色狼達を見据えたままゆっくりと小径を外れて林のなかに入っていく。エリカはその後ろにおっかなびっくり付いていった。

 林立する木々の合間を縫って進むふたりを灰色狼達が陣形を維持したまま追跡してくる。それらがいつ飛びかかってきてもおかしくない状況に、エリカは気が気ではなかった。

 実際に灰色狼達は

 しばらく進んだところで、ヴェロニカが立ち止まる。


「ここで迎え撃ちましょう」


 ヴェロニカの言葉にエリカは戦いの前兆を感じて身体を強ばらせる。それと同時に、この場を選んだ理由が分からず首を傾げた。

 そこは未だ林の中で、あえてこの位置を選ぶ理由はないように見えたのである。


「エリカさんは、そこの木を背にして立ってください」


 ヴェロニカの言葉に、エリカは意味が分からないながらも彼女が示した木の方へゆっくりと移動する。


「そう、そこです。そこならば近くの木が壁になって灰色狼達も手が出しづらいはず」


 なるほど、確かにエリカの立ち位置から左右には至近に他の木があり、背後も守られている。ヴェロニカはエリカが守りやすい地形を探してくれていたらしい。


「さて、それでは先達として後輩に戦いのいろはを教授しましょう」


 エリカの正面に陣取ったヴェロニカが、追いすがってきた灰色狼達を見据えながら落ち着いた声で語り始める。


「魔獣と戦うにあたってまず重要なのは、有利な地形を選ぶことです。高所を取る、相手が攻めにくい地形に陣取る。自分の戦い方や状況によって最善は変わりますので常に立ち位置については頭を使うこと。今回なら、エリカさんが守りやすい地形ということですね」


 ヴェロニカが語っているうちに、灰色狼達もヴェロニカの正面に立ち位置を取った。先ほどと同じくふたりを半包囲する態勢だ。


「すみません、今回はエリカさんにも武器を取っていただかなければなりません。……私だけですべての敵を引きつけて片付けられれば良かったのですが」


 ヴェロニカの言葉に、エリカは無意識に頭の中から排除していた事を突きつけられて雷に打たれたような衝撃を受けた。そしてすぐさま己の浅はかな考えに恥じ入る。これまでだってずっとヴェロニカに迷惑をかけてきたのに、ここでも守られているだけだったら本当にただのお荷物だ。

 それに、先ほどの襲撃を危なげなく撃退してみせたヴェロニカであっても、エリカを守りながらこれほどの数を相手にするのは骨が折れるに違いない。

 エリカは震える手で背中に背負った素槍を取り、穂先を灰色狼達に向けた。しかし、やはりその穂先は定まらず心許ない。途端に先ほど灰色狼に喰われかけたことが頭をよぎって、エリカは心がくじけそうになる。


「ところで、エリカさんの利き腕はどちらですか?」


 そんなエリカに、ヴェロニカが声をかけてきた。こんな状況に似つかわしくない、落ち着いた穏やかな声音。


「み、右です」


 エリカはその発言の意図など考えず、反射で答える。ヴェロニカはなるほど、と頷くと、灰色狼達を牽制しながらもまた先ほどと同じ調子で言葉を紡ぐ。


「それならば右足を後ろに、左足を前に出してください。ちょうど身体が半身になるように」


 左右の足をほぼ平衡にしていたエリカは、ヴェロニカの言葉に素直に従い半身に構える。


「腰は軽く落として槍はしっかり握ってください。その場から動いたりする必要はありません。槍を振り回すことも考えなくて良いです。突き出すことは考えず、常に穂先を一番近くにいる灰色狼に向けておくこと。槍の石突き……お尻の部分を木に付けておけば疲れませんよ」


 エリカが言う通りに構えると、ちらりとこちらに顔を向けたヴェロニカがにこりと微笑んだ。


「大丈夫そうですね。エリカさんは自分の身を守ることだけ考えてください。大丈夫、大半の灰色狼は引きつけてみせますから、エリカさんが相手にするのはせいぜい一、二体です。落ち着いていれば対処できますよ」


 付け焼き刃の構えに付け焼き刃の戦い方。普通であれば無茶だと思っただろうが、ヴェロニカに言われると不思議となんとかなるような気がしてくる。

 そこで、よそ見をしていたヴェロニカに向かって灰色狼達が一斉に飛びかかった。それを目撃したエリカが反応するその前にはヴェロニカは地を蹴り宙を舞っていた。


「さあ、それでは行きますよ!」


 宙空でエリカに一声かけると、ヴェロニカは足下でぶつかり合ってまごついている灰色狼達に、いつの間にか取り出していた細剣を投じた。細剣は一体の灰色狼の脳天を突き破り、地面に縫い付ける。

 その灰色狼が消滅するのとほとんど同時に、落下してきたヴェロニカが左手に構えた短剣を別の灰色狼の脳天に突き刺し消滅させた。飛来した細剣とヴェロニカによって瞬く間に二体の同胞を屠られた灰色狼達は怒りにまかせて再度飛びかかるが、ヴェロニカは体捌きでそれらを躱しつつも地面に刺さった細剣を抜いてまた一体の灰色狼を貫く。


「す、すごい……!」


 先ほどよりも灰色狼の数が多いのにヴェロニカはものともしていない。危なげなく立ち回るヴェロニカに、エリカはつい見惚れてしまう。

 ヴェロニカがどうやってあんな数の灰色狼達を捌き続けているのか疑問だったが、ヴェロニカの動きを目で追っているうちに気がついた。

 ヴェロニカが灰色狼達の襲撃を上手くいなしていることもあるが、彼女は周囲の木々を壁にして灰色狼に背後を取らせないように立ち回っているらしい。灰色狼達はヴェロニカの視界内、正面ないし左右からしか襲いかかることができずすべて迎撃されているのである。

 なるほど、有利な地形を選ぶというのはこいうことか……!


「エリカさん!」


 と、そこにヴェロニカから鋭い声が飛ぶ。エリカがはっとして自分の正面を確認すると、二体の灰色狼がこちらに向かって走ってきていた。

 慌てて素槍を握り直して先ほど教えられた構えを取る。

 大丈夫、落ち着いて穂先を灰色狼に合わせることだけ考えればいい。

 エリカは自分に言い聞かせつつも穂先を先行する一体に向ける。草原で襲撃された時はエリカの槍などものともしなかった灰色狼達が、しっかりと据えられた穂先を警戒して足を止めた。

 二体はエリカの隙を伺ってうろうろしたり左右に回り込もうとしたりするが、周囲の木々が邪魔になって思うようにいかず、苛立たしげにうなり声を上げるばかりだ。

 ──これならヴェロニカが他の灰色狼達を倒している間ぐらいは持つかもしれない!

 希望が出てきたことに安堵したエリカは、灰色狼達の向こうに見えるヴェロニカへちらりと視線を向けた。

 ヴェロニカは既にほとんどの灰色狼を屠っており、数体の灰色狼がヴェロニカを遠巻きにするばかりだった。それほど長く視線を外していたつもりはなかったのだが、恐ろしいまでの殲滅速度である。

 エリカはそれを見てヴェロニカの強さに驚くと共に、戦いの終わりを予感して更に気を緩めてしまう。

 そして、それを見逃す灰色狼ではなかった。

 エリカがはっと気がついた時には既に灰色狼達が飛びかかってきていた。エリカは頭が真っ白になって咄嗟の対応が取れない。やられると思って目を瞑りかけた時、ふいにヴェロニカの言葉を思い出す。


『戦うにあたって大事なのは、ビビったら負けということです』


 ──そうだ、ここで駄目だ!

 エリカは目を見開くと襲い来る灰色狼を睨みつけた。幸い穂先は未だ正面を向いている。今ならまだ間に合うとエリカは己を奮い立たせる。

 エリカに喰らいつこうと大きく開いた灰色狼の咥内に穂先を合わせる。エリカは素槍を持つ手に力を込め、衝撃に備えた。

 槍と灰色狼が衝突する。じっと構えて迎え撃ったエリカと勢いよく飛びかかってきた灰色狼がぶつかり合いになれば、当然押しだされるのはエリカの方だ。

 強い衝撃に危うく素槍を取り落としそうになるが、エリカは歯を食いしばって耐える。

 今槍を落とすわけにはいかない。この灰色狼を倒したとしてもその後背に存在するもう一体とやり合わなくてはならないのだから。

 それでも支えきれずに押し負けるエリカだったが、ここで木を背にしていたことが幸いした。

 素槍の石突きが木にぶつかり固定されたのである。それによって飛びかかってきた灰色狼の運動エネルギーが穂先に集中し、灰色狼の喉奥を突き破った。

 灰色狼はもがく間もなく消滅し、衝突の力を受け続けていたエリカは突然その力が無くなったことで態勢を崩してしまう。

 そこに、第二の灰色狼が襲いかかった。

 エリカを嘲笑うように貌を歪める灰色狼。それに対してエリカは動くことができない。

 草原の時と同じ光景だ。

 それでも、エリカは覚悟を決めた。

 灰色狼が喰らいついてきたら、その脳天に素槍の穂先を突き刺してやろう。

 一撃ぐらいくれてやる。

 灰色狼の攻撃に耐えて素槍を取り落とさなかったらエリカの勝ち。

 それができなかったらエリカの負けだ。

 ビビるな私、と自分に言い聞かせながら、エリカは灰色狼に向かって左腕を掲げた。同時に、右手に持った素槍をぎゅっと握りしめる。

 さあ来い!

 そして、エリカの左腕に灰色狼が喰らいつこうとした瞬間。

 突如飛来した細剣が灰色狼を背後から襲い、脳天をエリカの背後にあった木に縫い付けた。

 エリカはその灰色狼に目もくれず、細剣が飛んできた方を見る。

 そこにいるのは当然ヴェロニカだ。周囲に灰色狼がいないところを見るに、すべての灰色狼を倒しきった後に細剣を投じたらしい。

 ヴェロニカに感謝を述べようと口を開いたエリカだったが、ヴェロニカの背後に飛びかかる大きな影を見て言葉にならない声を上げた。

 姿を隠していた群れの長が、ヴェロニカの体勢が崩れるのを見て奇襲したのである。

 エリカの様子に気がついてヴェロニカが振り向いた時には、灰色狼の長は既にヴェロニカの目と鼻の先だった。

 己の身長以上の大きさがある狼に向けて、咄嗟に防ごうとしてかヴェロニカが手をかざす。その程度のこと、長の巨体に対してはなんの意味もない。

 エリカは長に喰らいつかれるヴェロニカを幻視する。いてもたってもいられずヴェロニカに向けて手を伸ばすが、そんなものは何の助けにもならず。


『逆巻け 風精霊ジンニスタ


 ヴェロニカの言葉と同時に、灰色狼の長が強い衝撃を受けたように吹っ飛んだ。

 長の巨体が軽々と飛んでいく様にエリカは目を丸くする。吹っ飛んだ長は後背の木にぶつかると地に倒れ伏した。

 ヴェロニカの方を見ると既に体勢を整えていて、いつの間にか右手に細剣を握っていた。

 ヴェロニカが手にした細剣の刀身をつい、と指で撫でると同時に刀身が光を帯びる。ヴェロニカは右手に持った細剣を灰色狼の長に向かって投じた。細剣は信じられないような速さで空間を切り裂くと、身体を起こしたばかりの長に直撃する。

 高速で飛来した細剣は長の巨体に深く突き刺さり、それだけでは勢いが衰えず長の巨体を吹き飛ばして背後の木に縫い付けた。

 エリカは道中でヴェロニカが細剣を投じる姿を何度も見てきたが、これほどまでの威力を持った投剣は初めて見た。

 驚愕するエリカをよそに、ヴェロニカは同じようにどこからともなく取り出した細剣なぞり光を現出させると再度投じる。この細剣もとんでもない速さで飛んでいき、もがく長の頭部を吹き飛ばしてしまった。

 残った胴体が力を失ったかと思うと、跡形もなく消滅する。


「ふう……」


 残心を解いてひと息ついたヴェロニカがエリカの方を振り返り近づいてくる。


「お怪我はありませんか?」


「は、はいっ!大丈夫です!」


 怒濤の展開に呆けていたエリカは、ヴェロニカに顔を覗き込まれたところで考えるよりも先に返答する。それから慌てて己の身体を確かめるが、幸いなことにどこも負傷した様子はなかった。

 安堵のため息を吐いたエリカは、思わずその場にへたり込んでしまう。戦いを終えたことをようやく実感できたが故に虚脱感に襲われたのである。


「ご無事で良かった。……エリカさん」


 名を呼ばれてエリカが顔を上げると、ヴェロニカは優しげに笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

「頑張りましたね。初勝利、おめでとうございます」


「あ……」


 ヴェロニカの賞賛にエリカは小さく声を漏らす。

 怯えて逃げることしか出来なかった自分が、魔獣に立ち向かって勝利を得た。その事実を飲み込めずしばらく呆然としていたエリカであるが、遅まきながら自分の成し遂げた事に気がつくと歓喜の声を上げた。


「や、やった……。やったあ!」


 エリカは手にした素槍を放り出して飛び跳ねると、ノリと勢いのままにヴェロニカに抱きついた。

 ヴェロニカはエリカの突然の奇行に一瞬目を丸くしたが、やがて困ったように微笑むとエリカの頭に手を置く。そのヴェロニカの行為は、興奮して正常な判断が出来ていなかったエリカの頭を冷やすのに十分な効果を持っていた。


「ごごご、ごめんなさい!?」


 自分のしでかした大胆かつ無遠慮な行動に顔を真っ青にしたエリカは、大慌てで飛び退いた。ヴェロニカは苦笑しつつも首を振る。


「いえいえ、全然平気ですよ。それだけ喜んでいただけたなら私もここまでお連れした甲斐があるというものです」


「は、はい……」


 よりにもよって憧れのヴェロニカの目の前で小さな子供みたいに大はしゃぎしてしまったエリカは、青ざめていた顔を今度は羞恥で紅く染めつつどうにか返事をする。

 しかし、ヴェロニカが自分の事を微笑ましい目で見つめている事に気がついたエリカは、かろうじて保っていた体裁をかなぐり捨てて身悶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る