新人冒険家エリカの場合 ③
道行きは穏やかに進んだ。
灰色狼に追いかけ回されていたために余裕もなかったエリカは、落ち着いて周りの景色を見ることができるようになった。
ティーガーデンの世界が驚くほど精巧にできていることに改めて驚かされる。今までエリカが見てきた仮想現実の世界なんて、ここに比べればちゃちなものだ。
ここにあるのは今進んでいる一本道とどこまでも続く草原だけだが、その草原にはエリカの頬を撫でるようにやさしく風が吹き、その風を受けて草花がさざめいている。
これだけのことを仮想世界に再現するのに、どれだけの技術とリソースがつぎ込まれているのだろうか。
しかし、そんなことは今のエリカにはどうでもよかった。
建造物ひとつ見当たらない、一面の原野。ただそれだけの風景でも、背の高い建物に囲まれて生きてきたエリカは心が躍るようだった。
たまに顔を出す魔獣は彼女たちの姿を見て隠れてしまうか、こちらに襲いかかろうとした瞬間にヴェロニカの投じた細剣で撃退されている。彼女の鮮やかな手並みを目にするたびにエリカは歓声を上げた。
人当たりが良いヴェロニカは、エリカから話題を引き出すのも上手くエリカを楽しませた。
「あれはここ、セレンティア王国から西にあるモーリス帝国内の未開拓地域を探検する企画に参加したときに見つけたんです」
エリカが自分の見た画像について問うと、ヴェロニカは知識の足りないエリカにも分かりやすいよう丁寧に説明してくれた。
この世界には各地を収める国家があり、プレイヤーが行くことのできる地はすべてどこかしらの国家の領地となっているらしい。しかし、各所に彼らの軍隊でも立ち入ることができないような危険な場所がいくつもあるのだとか。
これらは公式の名称としてダンジョンと呼ばれるものであるが、プレイヤーの間では洞窟や塔のような拠点型のマップをダンジョン、手付かずの領域に関しては未開拓地域と呼び習わされているという。
「そこにはエルフ達が住まう集落がありまして。その大木は彼らの御神体なんです」
「エルフがいるんですか?」
「エルフだけじゃありませんよ。ドワーフや獣人族なんかもいます。このあたりでは滅多に見ないですが、帝国は多種族国家ですから色々な種族がいて面白いですよ」
「楽しそうだなあ。……あ、プレイヤーも人間以外の種族になれたりするんですか?」
「それは難しいですね。プレイヤーは感覚を同期するために姿形を大きく変更することはできませんから。エリカさんがホビットになったとして身長が半分になったら違和感があって大変でしょう?尻尾を生やしたりとか肌が鱗みたいになるのは感覚系の問題でまだ難しいという話ですし」
「ああ、そうですよね……。そういえば最初の設定でも髪の色とかぐらいしか変えられませんでした。わたし、男の子になってみたりしたかったなあ」
「……残念ですが性別の変更もできません。私は今の可愛らしいエリカさんが好きですよ」
さらりと言われた言葉にエリカは顔に赤みがさす。
「わ、わたしなんかよりもヴェロニカさんのがずっと素敵ですよ!その、すごくきれいで」
あまりにも失礼でとても本人には話せないが、エリカはヴェロニカの容姿は自前のものではなくゲーム向けに設定されたものだと思っていた。彼女はそれほどまでに美しい。
「ありがとうございます」
そう言う彼女の顔は微笑みを浮かべているが、喜んでいるというよりは形式的なものを感じた。彼女ほどの美貌の主ならばこの様な文句は聞き飽きているのだろう。
「ヴェロニカさんはどうやってそんなに強くなれたんですか?元々運動が得意だったとか……?」
エリカは空気が微妙なものになることを嫌って咄嗟に話題を変えた。ヴェロニカはちょっと強引な話題転換を気にした様子もなく答える。
「そうですねえ……。別に現実で運動神経が良いわけではないですし、特に何かしらの格闘技だとか武道をやってきたわけではありません」
ヴェロニカは腕を組んでううん、と唸ってから考えるようにゆっくりと続ける。
「VR空間での身体の動かし方に慣れること、武器の扱い方に習熟すること、敵の特性について知識を付けること……。まあ、結局のところ経験値の蓄積、ということでしょうか」
「やっぱりそうなんですね……」
エリカはため息を吐いた。簡単お手軽に強くなれるような上手い話はそうそうないらしい。
「切った張ったが難しければ
「さっきヴェロニカさんがわたしを治療してくれた時のやつですか?」
いえ、とヴェロニカは首を振る。
「似たようなものですが、あれは魔法とは別です。まあ手間がかかるという意味ではかわらないのですが……。そうですね」
結論が出たのか、ヴェロニカは腕組みを解いてひとつ頷く。
「この世界で強くなることに近道はありません。それでも強いて初心者にお伝えするなら……」
「するなら?」
「戦うにあたって覚悟を決めることです。要は、”ビビったら負け”ということですね」
「び、ビビったら……?」
なにやらお淑やかなヴェロニカに似つかわしくない言葉が出てきて、エリカは困惑する。
当のヴェロニカは自信有り気に頷いた。
「魔獣等と相対した時、恐れや焦りを抱いてしまえば正常な判断を下すこともできません。戦闘に習熟した人だってそうなれば普段の実力を出し切ることはできないでしょう。だから、気持ちだけは相手に負けてはいけないのです」
エリカはその言葉を聞いて灰色狼の群れと出くわした時のことを思い出した。
複数の敵に囲まれた自分は武器を取って戦うこともできなかったし、村の方に逃げるという判断もできなかった。それらはすべてエリカが灰色狼にビビってしまったから起きた事態である。
なるほど言われてみれば確かにそうかもしれないと、エリカは頷いた。
しかし、自分が魔獣相手に勇気を持って立ち向かえるかと言われたら自信はなかった。その自信を付けるためにも色々な経験を積まなければならないということだろう。経験を積んで自信をつけるのが先か、気持ちだけでも負けないようにして戦いに飛び込むのが先か。中々に難しい世界である。
エリカが思い悩んでいる間にも目的地には着実に進んでいった。
それまではなだらかな丘陵地帯と言った風で、草花がそよぐ様が目を楽しませていたが、徐々に地形は平坦になり、草花に替え木々が密集した森林地帯へと変貌する。
今までとは打って変わって陽射しは高く生い茂る緑に遮られて薄暗い。
二人が歩いてきた道は森の奥まで続いているが、木々の間を縫うように敷かれた小径は先を見通せない。
薄暗く視界が通らない森の中は、草原の様に動く物を視認しづらい。もしここで襲われるようなことがあれば……。
「……ふむ。エリカさん」
「は、はい!」
ヴェロニカは不意に立ち止まるとエリカに声をかけてくる。余裕なく周囲を見回していたエリカは呼びかけに思わず大きな声を出してしまった。
エリカが何事かとヴェロニカの方を見ると、白魚のような指が伸びてきてエリカの頬を掴んだ。
「!?」
突然のことに言葉も出ないエリカのことをそっちのけでヴェロニカは両の手でエリカの頬をむにむにと揉み始める。
「そんなに固くなっていたら何かがあった時に動けませんよ。もっと気楽に、リラックスしましょう」
どうやら緊張していたエリカの気持ちをほぐすための行動であるらしい。しかし、エリカからすればまったくの逆効果だ。ヴェロニカに頬に触れられているという事実だけでも顔から火が出そうなのに、顔が両手で掴まれていることで彼女の美貌を至近距離から直視することになって頭の中はパンク寸前である。
しばらくふにふにと頬を揉まれていたが、やがて十分だと判断したのかヴェロニカの手が離れる。
「さ、これで落ち着きましたか?」
「は、はひ……」
ヴェロニカの確認に、エリカは茹だった頭でどうにか返事をした。緊張など先ほどの行為によって完全に破壊されている。逆にほどよい緊張感を保てるかどうかの方が心配だった。
とにかく二人は歩みを再開する。
現実で言うところの森林公園のようなイメージをしていたエリカだが、この森はそんな優しい物ではないらしい。
進む道はどんどん細く狭くなり、ともすれば見失ってしまいそうになる程頼りない。がさがさと何かが茂みを揺らす音。遠くにいるのか近くにいるのか判別のつかない鳴き声。
エリカは無意識にヴェロニカに寄り添うような位置につく。
彼女から一歩でも離れてしまえば、たちまち何者かが襲いかかってきそうで、気が気でなかった。
そんなエリカとは対照的にヴェロニカは警戒した風もなく、いたって平然と歩みを進めているように見える。
エリカはその堂々とした振る舞いを羨望の眼差しで見つめた。
──自分も彼女のようになれる日が来るのだろうか。
「あの!」
「はい?」
エリカが突然大きな声を出したので、ヴェロニカはちょっと驚いたように目を丸くしながら振り返る。
同様に近くの木にとまっていた鳥も慌てるように一声鳴いて飛び去っていった。
自分でも驚くような声を出してしまった羞恥心で顔を赤らめながら、それでも声のトーンを落として言葉を続ける。
「ヴェ、ヴェロニカさんも、この世界で怖いと思うことはあるんですか?」
言ってから、後悔する。
唐突な質問に変な娘だと思われてはしないか。もっと言い方があるんじゃないかという思いが渦巻く。
そんなエリカの様子は幸いなことに、顔を正面に戻しちょっと上の方を向きながらうんうん考えだしたヴェロニカには気付かれなかった。
「そうですねえ。怖いものなんて、ありすぎるぐらいありますよ」
「ヴェロニカさんでもそうなんですか?」
「もちろんです。この世界を甘く見てはいけません。洞窟の横穴から飛び出してくる大きな虫とか、街の中で半裸で踊り狂う謎の一団とか、急に飛んできて襲いかかって来るドラゴンとか」
「は、半裸……?って、ドラゴンなんてものが急に襲って来るんですか!?」
「魔獣達にはおおよその生息地域というものがあるんですが、ドラゴンのような一部の魔獣には生息地域というものがないんですよ。以前、急に街の近くに飛来して大騒ぎになったこともありましたし。……まあそんなものよりも、プレイヤーの方が怖いとは思いますが」
「プレイヤー……?」
首を傾げるエリカに曖昧な笑みを浮かべつつヴェロニカは言葉を紡ぐ。
「はい、私たちと同じプレイヤーです。──このゲームは自由度が高くてやろうと思えば結構なんでも出来てしまうんですよ。アニ……AIが常に監視しているので悪いことはそうそう出来ませんが、街の外なら
しみじみと話すヴェロニカ。これ程の美貌なのだ。良いことばかりじゃなく、不快に思うこともたくさん経験してきたのかもしれない。
「それでも」
ヴェロニカは薄く微笑んで、言葉を続ける。
「それでも、この世界に来た時より色々なことを見て知って、怖いと思うものは確実に減りましたよ。良いことも悪いこともたくさんあって、だからこそ今の私がここにいるんですから」
「……わたしも、そのうちヴェロニカさんみたいになれるでしょうか?」
「もちろん。何事も経験って言うじゃないですか」
ちょっと年寄り臭いですかね。とおどけるヴェロニカに笑みをみせるエリカ。
と、その時。
ヴェロニカが表情をさっと真剣なものに変えた。
「エリカさん」
言外に警戒を促すヴェロニカの言葉に、エリカは慌てて周囲を見回した。森の様子はあまり変わった感じがしなかったが、先ほどまでかすかに聞こえていた鳥や獣の声がパタリと止んでいた。
まるで、何か危険なものに見つからないよう息を潜めるように。
しばらく目を閉じて音に集中していたヴェロニカだったが、ふと目を開けると身を翻して今歩いてきた道の方に一歩進み出た。
「エリカさん、私の後ろに」
そう告げられたエリカは慌ててヴェロニカの背後に付くと、その背中越しに小径の向こうに目を凝らした。
初めに知覚したのは音だった。草花を踏み荒らす足音と、複数の短く鋭い息づかい。エリカはその忌まわしい音に覚えがあった。
音の発生源がふたりの前に姿を現した時、エリカは小さく悲鳴を上げる。
「まったく、一度失敗したのなら素直に諦めればいいものを……」
ヴェロニカが半包囲するように正面に展開したそれら──灰色狼達を見てそうぼやいた。
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