新人冒険家エリカの場合 ②


 女性はヴェロニカと名乗った。

 ヴェロニカは後方から聞こえてきた灰色狼の吠える声に何かあると推察して道を引き返してきてくれたらしい。

 エリカは助けてくれた礼を述べると同時に、急に大声を出したことを謝罪した。


「なるほど……。私の写ったスクリーンショットを見てこのゲームを」


 絶叫の理由を聞いたヴェロニカはどこか困ったように曖昧な笑みを浮かべる。


「い、いえ!ヴェロニカさんを見てというより写真の風景が気になったというか!あ、もちろんヴェロニカさんのことも素敵だなと思って見てたんですけど……!」


 エリカは慌てて言い訳をしようとしてしどろもどろに言葉を並び立てる。


「きっかけはどうあれこのゲームの世界に興味を持ってくれたのならば先達として嬉しい限りです。しかし、始めたばかりで装備も知識もない方がこんな街から離れたところにひとりで出向くのは感心しませんね。どうしてこのような所に?」


「実は……」


 ヴェロニカの問いに、エリカは冒険者ギルドの受付嬢からこの先の泉の事を教えてもらったことを説明した。エリカの説明にヴェロニカは不思議そうな顔をする。


「何故わざわざ人も寄り付かないような泉に?別段、初心者の方が出向くような場所ではないかと思うのですが……」


「その……。ただ、見てみたかったんです」


「見てみたかった?泉をですか?」


「そ、そうです……」


「……私の知る限り、ちょっとしたがある程度のなんの変哲もない泉ですので、見ても楽しいことはないと思うのですが」


 首を傾げるヴェロニカに、言葉足らずな説明をぶつけてしまったエリカは羞恥に顔をうつむかせた。

 ヴェロニカの疑問はもっともだとエリカも思う。自分でも馬鹿なことをしていると思っているし、無鉄砲な行動の理由をヴェロニカに説明することを躊躇するぐらいに気恥ずかしさを覚える。

 ──それでもエリカは、己の行動を後悔だけはしていないのだ。


「よろしければ、どうしてそう思ったのか教えていただけませんか?」


 うつむいて沈黙するエリカに、ヴェロニカの声が降ってくる。エリカの事を包み込むような柔らかな声音。顔を上げると、腰を落としてエリカに目線の高さを合わせたヴェロニカが微笑んでいる。

 その笑みを見たエリカは、自然と口を開いていた。


「わたし、現実では小さい頃の交通事故が原因で足が悪くて、杖がないと上手く歩けないんです」


 その上、皆に合わせて動けないエリカは学校のクラスで腫れ物扱いだ。いじめられていた訳ではなかったが、友人も少ない。その友人達にも行動に不自由があるエリカは遠慮があって遊びにでかけることも少なく、今も昔も部屋に引きこもるばかり。

 遠足等の課外活動もクラスのペースを乱すのが嫌で不参加を決め込んでいて、振り返ってみれば集団行動というものをあまりやった記憶がない。

 それでも、クラスのみんなが楽しく遠出をしている時に彼らが経験したであろう体験やその間に読んでいた本の中で語られる風景を想像して、自分もいつか自分自身の足でそこに行ってみたいと願っていた。

 最近ではVR技術が発達し、その場に行かなくてもあたかも自分がその風景の中にいるように映像を視聴出来るし、フルダイブ機能で景勝地や観光地を模したマップの中を歩き回れるようなソフトも発売されている。

 エリカも当然それらを体験したが、VR動画では自分の意思で動くことは叶わなかったし、フルダイブのソフトは現実で脚の悪いエリカでも問題なく動き回ることが出来るのだがまだまだ技術的に未熟で、現実世界のようなリアルさが伴わなかった。

 それらの技術ももちろん素晴らしいものでエリカの無聊を慰めることは出来ていたが、エリカの求めるレベルのものではなかったのである。

 その不満がないものねだりのわがままであることはエリカも理解していた。

 それでもいつか、いつかと願っているうちに時ばかりが過ぎ、成長するにつれて分別が付くようになったエリカは周囲に迷惑をかけかねない願いを諦めるようになっていた。

 しかし、エリカはに出会ったのだ。


「わたし、ヴェロニカさんのスクリーンショット──ティーガーデンの世界を見たらいてもたってもいられなくて。パパとママに頼み込んで、すぐに機器を買ってもらいました」


「よくご両親は購入してくださいましたね。ティーガーデンの専用機器はけっこうな値段がしたでしょうに」


 ティーガーデンの世界に接続するためには、それなりの値段がする専用機器を購入する必要がある。他に類を見ないほどにリアルな幻想世界を体験するためというには安すぎるほどの値段であるが、学生のおねだりで気軽にポンと出せるような値段ではない。その金額のために国内で名の知れたタイトルでありながら、未成年の参加率は高いとは言えないのが現状だった。


「来年からもらえるはずだったお年玉を全部前借りさせてもらっちゃいました。それでも足りそうになかったので、ちょっとだけパパに援助もしてもらって」


「それは、思い切りましたねえ」

 

「わたしがこんなだから、パパもママもすごい甘やかしてくれるんです。あんまりわがままは言わないようにしてきたんですけれど」


 驚嘆するヴェロニカにエリカは恥ずかしそうに笑う。


「そういうわけで、チュートリアルが終わってすぐにギルドのお姉さんに泉の話を聞いて、居ても立ってもいられずに飛び出してきたんです」


 普通の人にとってはNPC現地人のひとりが口にした、取るに足りない情報のひとつでしかないかもしれない。

 しかしエリカはその言葉に、現実では到底叶うことのない希望を感じたのである。


「でも、私のせいでヴェロニカさんにご迷惑をおかけしちゃいました」


 すみませんでした、と頭を下げるエリカにヴェロニカは手をひらひらと振る。


「全然迷惑だなんて思っていませんよ。お気になさらず」


「ありがとうございます。……わたし、村に戻りますね。準備してからまた出直します」


 そう言葉にしつつも、エリカの胸中は締めつけられるようだった。

 レベルを上げたりで済む他のゲームよりも満足に戦うことができるようになるまで時間がかかるということは、エリカも事前知識として仕入れていた。

 ティーガーデンには数値的に見えるレベルやスキルという概念はないらしい。

 剣を振るうにも魔法を操るにも、頼れるのは己の技量のみ。体が慣れてくれば現実ではできない動きも可能になるし、研鑽を積めば強力な魔法を扱うこともできるというが、しかしそれには訓練が必要だ。

 訓練に時間を費やすための体力のないエリカには、ひとりでこの場に戻ってこれるまでどれ程の時が必要か想像もつかない。

 ──しかし。

 エリカの心臓は今、どくどくと音が聞こえそうなほど高鳴っている。行き場のない高揚感にもどかしさを感じる。このゲームを知った時に感じた心の熱は未だ収まる気配がない。しかし、この熱も時間が経てばやがて冷めていき、ありきたりな想いとして記憶の中に溶けていくだろう。この衝動に身を任せることができるのは、今だけなのだ。

 それでもエリカはその想いを胸の内にしまい込んだ。

 今の時点で既にヴェロニカに助けられ、迷惑をかけている。

 これまで人に迷惑をかけて生きてきた自分が、これ以上人の誰かの迷惑になる選択肢をとるわけにはいかない。

 そうした想いを胸にしまい込んでヴェロニカに微笑むと、当のヴェロニカはふむ、と頷いた。


「わかりました。しかし、帰りの道とてひとりでは危険ですよ」


「それは……」


 もっともな事実に言葉に詰まる。

 道中襲われて死んでしまってもいくつかのペナルティを受けて街の教会へ死に戻るだけで、実際に死ぬわけではないと聞いている。自業自得な話なのでこればかりは仕方がない。

 しかし先程灰色狼に襲われた恐怖から、大丈夫、という言葉は簡単に紡げなかった。

 言葉に窮したエリカに対して、ヴェロニカが口を開いた。


「そんなエリカさんに耳寄りなお話があるんです」


 おどけたような口調で話すヴェロニカは、相手を驚かせて喜ぶいたずらっ子の様な表情をしている。

 整いすぎて作りものっぽく、近づきがたい雰囲気すら感じさせた容貌が感情豊かな表情を見せたことにエリカは動揺する。

 しかし、そんな感情の揺らぎは次の言葉で吹き飛んだ。


「実は、エリカさんが行きたがっている泉は私の目的地でもあるのです。よろしければ私にエスコートされませんか?」

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