新人冒険家エリカの場合 ①


『この辺りで景色のいいところ?そうねえ……。東のフローベルっていう村のさらに東にある丘を超えた先の森の中に泉があるらしいんだけど、水質がとっても澄んでておとぎ話に聞くユニコーンが水飲み場にしているなんて言い伝えがあるぐらいでね。あたしが生まれる前には実際にユニコーンを見たって人がいたらしくて、お役人様だとかうちのギルドの人なんかが探しにいったんだけど結局見つからなかったらしいわ。ユニコーンが出るなんて言われるぐらいだから良い場所なんだろうし森に行くまでの道も整備はされてるみたいだけど、基本的に人の入らない場所だから魔獣に出くわさないとも限らないしねえ。あ、念のために言っておくけど、行こうなんて考えちゃだめよ。あなたみたいな新米冒険者が不用意に遠くに探索に出てなんてよくあることなんだから。いいわね。絶対に、絶対に泉には行かないようにね!』


 冒険者ギルドへの登録試験と言う名のチュートリアルクエストを終え、ギルド所属となったことの証であるギルドカードを受け取った際の問に答えてくれたギルド受付女性の言葉を思い出しながら、エリカは草原に一本線を引かれた様に続く小径を全力で走っていた。

 背後からは草花を踏み荒らす音と荒々しい獣の息遣いがいくつも聞こえてくる。それらはエリカを威嚇しているのかはたまた嘲っているのか、時折恐ろしい声で吠え立ててくる。

 エリカが専用のVR機器を入手するまでの間に収集していた情報に照らし合わせると、彼らはセレンティア王国各地の草原に根を張る灰色狼の一団だろう。魔獣としてはそれほど強力な個体ではないが、いつも群れで行動しており連携のとれた行動はある程度集団戦慣れしたプレイヤーでなければ苦戦を強いられる相手、と紹介されていた覚えがある。

 もっとも、今日初めてこの世界に降り立ったばかりのエリカにはどのような相手であろうと危険であることに変わりないのだが。

 ──やっぱり無理して遠出をするんじゃなかった……!

 あれだけ念を押されていたのに、どうしてもその泉を見てみたいという気持ちを抑えられず、街から東へ向かう馬車に飛び乗ってしまった。

 エリカの頭を後悔の念が渦巻く。

 背負った初期装備の素槍で戦うことを即座に放棄した時、せめてフローベルへ引き返せる方向に走れれば良かったのだが、追い立てられるように反対方向に進んでしまった。

 己の運動能力にはまったく自信のないエリカだったが、灰色狼たちと出くわしてからそれなりの時間逃走劇が繰り広げられていた。

 エリカがある程度舗装された道を走ることができていることも利していたが、灰色狼達が何度でも襲いかかるタイミングがあったにもはずにも関わらず手出ししてこなかったことが理由だろう。

 確実に獲物を捉えるタイミングを狙っているのか、それとも遊ばれているだけなのかはわからないが、どちらにしろ今のエリカにはどうすることもできない。

 道は右に左に緩やかに曲がりくねりながらも平坦な道行きであったが、坂道に入り徐々に勾配が急になってきた。それによってここまで変わらず走り続けたエリカの速度が鈍り始める。

 エリカは焦って足を必死に前に出そうとするが、逆に足がもつれてしまった。転倒は避けることができたが、灰色狼たちはそれを見逃さなかった。

 背中に重い衝撃を受けてエリカは前に吹き飛ぶように倒れ込んだ。一番近くにいた一匹が速度を急激に上げてたちまちエリカに追いつき、その無防備な背中に体ごとぶつかる様にして飛びかかったのだ。

 ごろごろと狼ごと転がると、仰向けに倒れたところで回転が止まった。同時に背中にうっすらと熱を感じる。これがゲーム内で傷を負った際に発生するダメージ反応というものだろう。

 エリカが痛みに顔をしかめつつ上体を起こすと、自分の正面に立つ灰色狼と目があった。

 矮小な獲物を嘲笑うかのようににたりと灰色狼の顔が歪む。


「ひっ」


 エリカはとっさに傍らに落ちていた素槍を手繰り寄せて構えるが、素人のエリカが構えた槍は肩の痛みもあって穂先が定まらず、当然灰色狼はそれを歯牙にも掛けず飛びかかってきた。

 今度こそ息の根を止めようとする死神の牙を、エリカは素槍で迎え撃つことも恐怖で目を閉じることもできずにただ見ていることしかできなかった。

 それでいて思考は冷静になっていて、この後に思いを巡らせるのだ。たとえ食い殺されたとしても時間を置いて街の教会で復活できるだろう。そうしたら自分の軽率な行いを反省して、安全な街の近くでできることを探せばいい。そこからゆっくりと行動範囲を広げていけばいいのだ。

 そこまで思考を巡らせながら。

 ──ああ、結局私はここでもだめなのだ。

 その一念がエリカの心を支配する。恐怖よりも悲しさで視界が歪む。

 そんなエリカを気にもとめず周囲では勝鬨を上げるかのように遠吠えが鳴り響き、その歓声を受けながら目の前の灰色狼は彼女の柔らかい首筋に牙を突き立てようとした、その刹那。

 視界の片隅に一瞬影が走ったかと思うとエリカの目前の灰色狼に何かがぶつかって吹き飛び、丘を転げ落ちていった。周囲の灰色狼たちが動揺したように鳴きながらも、エリカから距離を取る。

 転げ落ちた灰色狼を見ると、開けた口の中に何かが突き立っていた。灰色狼はしばらくもがいていたが、徐々に動きが鈍くなりやがて動かなくなると溶けるように消えてなくなった。

 後には灰色狼を害した凶器だけが残される。

 その凶器が何なのか、エリカには即座に判別がつかなかった。凶器には金属の部分と何かの皮が巻かれた部分があり、よく目をこらせば金属部分は両側が鋭く研ぎ澄まされている。

 鍔が付いておらずエリカの見知った形ではないが、細身の直剣というのが一番近い。


「よかった。なんとか間に合ったみたいですね」


 自らを助けた凶器に魅入っていたエリカは、涼やかな声に振り返った。エリカが駆け上がろうとしていた丘の頂上に人が立っている。その人は太陽を背にしているせいで輪郭しか分からないが、声音からして女性であるらしい。

 女性はゆっくりと坂を下ってくるとエリカの前に立ち、灰色狼達と対峙した。エリカの目の前で彼女の三つ編みがふわりと揺れる。

 仲間を倒されていきり立った灰色狼達は女性に向かって吠え立てながらじりじりと彼女を包囲していく。

 女性はそれに対して何をするでもなく自然体のままだ。怯む様子のない彼女に業を煮やしたのか、一体の灰色狼が飛びかかった。エリカは女性の身に迫る危険に思わず声を上げそうになったが、聞こえてきた灰色狼の悲鳴を聞いてそれを飲み込んだ。

 飛びかかった灰色狼はいつの間にか女性がその右手に握っていた剣の刺突に迎撃されていた。口内から脳天まで穴を作られた狼は串刺しにされたまま先程の狼と同じ様に消滅する。

 彼女の手にする剣は先ほど投じた物と同じ鍔のない細剣だった。

 それを見た灰色狼達は一匹で駄目ならと言わんばかりに今度は一斉に襲いかかる。最初に飛びつこうとした狼は同じ様に細剣の刺突を受けるが、エリカには咥内を刺し貫かれた灰色狼がニヤリと嗤ったように見えた。

 灰色狼は自分を突き刺した剣をくわえ込む。刺したところが悪かったのか灰色狼は先程のようにすぐには消滅せず、一瞬のことではあるが女性は細剣を封じられた格好になる。その隙を逃さず別の灰色狼が女性に飛びかかった。

 灰色狼が我が身を犠牲に女性の動きを止めたことにエリカは驚愕する。たかがゲームの魔獣が群れに対してこれほどの献身を発揮するとは思わなかったのだ。

 しかし灰色狼による捨て身の連携は、あっさりと打ち破られた。

 女性はこれまたいつの間にか左手に携えていた短剣の柄に付いたガードで、飛び掛かってきていたもう一体の灰色狼の顔面を殴りつけて跳ね返した。灰色狼は痛みに悲鳴を上げながら地に倒れ伏す。

 そこからは女性の独壇場だった。

 女性はエリカのことを背後に守りながら、踊っているかのような軽やかさで灰色狼達をいなしていく。左手の短剣で襲いくる灰色狼達を斬り、殴り、時にはブーツで蹴りつける。連携が乱れた隙に右手に持った細剣の刺突で一体ずつ着実に灰色狼を葬っていった。

 十体はいた灰色狼達はその数を半数ほどに減らすと、かなわないと見たのか恨めしげな唸り声を上げた後に撤退していった。

 エリカは倒れ込んだ状態のまま半ば呆然と女性の活躍を見いたが、灰色狼達がいなくなってしまうと今更ながら背中の違和感に気が付きうめき声を上げた。

 痛みは感じない。しかし、灰色狼にぶつかられた時に感じた熱の残滓が残っており、それに加えて痺れるような感覚を覚えた。その感覚は痛みの代わりにダメージを表現するための仕様ということだろう。


「大丈夫ですか?今治療します」


 助けてくれた女性がエリカに近づいてくる。

 エリカはお礼を言おうと顔を上げて、そのまま絶句した。

 その女性は濃紺の外套に身を包み、足元には黒の無骨な編み上げブーツを履いている。栗色ブリュネットの長髪は三編みに束ねられ、陽光に照らされて煌めいていた。

 女性はエリカの横に膝をつくとエリカの負傷具合を確かめはじめる。その顔は、人形と見紛うほどに整っている。


『』


 女性がエリカの背中に触れながら何事か呟くと、触れられた部分が淡く発光し始めた。背中に感じていた熱と痺れは瞬く間に消えてしまう。


「……ふう。これで完治できていると思いますが、いかが──」


「──!!」


 女性の問いかけはエリカの絶叫によって遮られた。

 何事かと驚きもあらわにエリカを見る女性をこそ、エリカは驚愕をもって見つめていた。

 エリカを助けてくれたその女性は、エリカがこの世界に来るきっかけとなった画像に写っていた人物に他ならなかったのである。

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