聖女ヴェロニカの偽り

萬屋久兵衛

新人冒険家エリカの場合 プロローグ


 エリカがその画像を見つけたのは偶然だった。


 どこか森の奥地を写したものだろうか。

 深緑の葉をつけた背の高い木立が辺りを埋め尽くし、その向こうにある漆黒に色塗られた空のキャンバスを煌めく星々が彩る。エリカが住むような都市部ではもう見ることのできない光景だ。

 その緑深い木立と美しい夜景とを背にして、一本の大樹がそびえ立っていた。

 周囲の木々よりも背の高いそれの幹は人が十数人で手を繋がなければ囲めないであろうほどに太く、そして樹皮に刻まれた皺は厳めしい。それらはその古木が過ごしてきた長い年月を感じさせた。

 他よりも頭ふたつは抜き出たところで葉を生い茂らせる様は、周囲を睥睨しているようでもあった。

 そして、その大樹を讃えるかのように光る何かが漂い周囲を照らしている。エリカはそれを蛍か何かだと思ったが、大樹の大きさと比較すると蛍などよりも明らかに大きい。

 その光源が発する淡い光を受けて大樹が闇夜に浮かびあがる様は、エリカの知る限り現実では起こりうることのない幻想的な光景だった。

 ──しかし、それらはこの画像の主題ではない。

 大樹が写されているのは画像の右側部分。

 左側には、そこだけちょうど切り開かれたように空間ができていた。淡い光の恩恵を享受して照らしだされる場はさながら舞台のようだ。

 その舞台で、大樹と向かい合うようにひとりの女性が跪いている。

 画像は女性を側面から写している。その女性を注視した途端、エリカの心臓はどくんと強く跳ねた。

 栗色ブリュネットの長髪は三つ編みに編み込まれ光を受けて艶やかに輝いていて、身に纏う濃紺の外套がその輝きを一層引き立てる。

 横顔は色付いた彫刻のように精緻で、同じ人間とは思えないほどに美しい。胸元で手を組み頭を垂れるその様は敬虔な聖者のよう。

 エリカはじっとその画像を眺める。いや、半ば呼吸も忘れて呆然としていた、という方が正しいかもしれない。現実離れした幻想的な風景にも、それを背景として従える女性の美しさにも心を奪われてしまったかのようだった。

 長いことその画像を見つめていたエリカは、息を吹き返したように再起動すると目の前のタブレットを操作してその画像の出所を調べる。

 この画像の出所が現実であるのかそうでないのかはエリカにはわからない。

 現実の写真を加工したと言われても納得はできる。エリカが知らないだけで世界中を探せばこのような大樹があるのかもしれないし、周囲の発光体は画像の編集で後付けできるだろう。

 しかし、これがAI技術を用いた画像や3Dモデルだったとしても決して驚くことはない。昨今のCGを現実と見分けることは素人には難しいことなのだ。

 はたしてその画像を検索にかけて調べると、それらしいものはすぐに見つかった。

 件の画像──スクリーンショットは、”ティーガーデン”と名付けられたVRMMORPGゲームの中で撮られたものらしい。

 一年ほど前に誕生したこのゲームは、現実と見紛うばかりのグラフィックと史上初となる統括AIによって管理運営されたフルダイブVRMMOとして爆発的な人気を誇っている、とネットでは紹介されていた。

 そういえばいつだったか、AIの進化について扱ったテレビか何かのニュースでそのようなゲームのことを特集していたような気もする。

 同世代と比べてもVRについて多少は詳しいつもりでいたが、己の運動能力に一切の自信がないためこういったゲームについては門外漢だったエリカは、初めて見る光景を思わず食い入るように見つめる。

 動画サイトに投稿されたティーガーデン関連の動画を適当に閲覧してみると、いろいろな種類の動画が出てきた。

 西欧の古都のような古めかしい建物が立ち並ぶ小径を歩く散歩動画。

 暗くじめじめした洞窟の中で見たこともないような獣と戦う戦士たちの姿を収めた実況動画。

 ローブを羽織った男が小難しいことをしゃべり続けているものは、タイトルを見るに魔法についての解説動画らしい。

 大海原に浮かぶ船の上で釣りをするという主旨でありながら獲物が中々釣れず、海岸線に見える街並みを眺めるだけの動画もあったが、それだけでも十分見応えがあった。

 中でもエリカが興味を惹かれたのは、未開の地を探検するパーティーが投稿した動画だ。

 未開のジャングルのような場所を分け入って道なき道を進む彼らが、困難に立ち向かいながらも最後には奥地で何かの霊廟を見つけるという動画だったのだが、動画の再生数は他の動画と見比べても大した再生数ではない。

 それでも、その動画はエリカの心に強い印象を植え付けたのである。

 ──私でも、このゲームでならこんな風に冒険することができるかもしれない。

 そう思うともう居ても立ってもいられなかった。ここには、自分がいくら手を伸ばそうとしても届かないものがあるかもしれないのだ。

 エリカは突き動かされるように自室を飛び出すと、おぼつかない足取りで転げ落ちそうになりながら階段を降りて勢いよく居間の扉を開いた。

 そんなエリカを居間でくつろいでいた両親が目を丸くして何事かと見つめるが、そんなことは関係ない。


「パパ、ママ!お願いがあるの!」


 この日、エリカはいつ以来かぶりに両親にわがままを言った。

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