第7話 宰相の決断

「余の判断は‼︎正しかった‼︎そして今も‼︎余は正しい‼︎」


扉を挟んで聞こえてくる叫び声と、ガシャンッという、何かが壊れるような音に、思わずため息が漏れてしまう。


「宰相閣下……」


「扉の外に立っていなさい。大丈夫、中には入らなくて良いですよ。しばらくして落ち着いたら私が声をかけましょう」


「かしこまりました」


取り乱した状態の陛下に声をかけないといけないかと怯えている近衛騎士に、努めて優しく大丈夫だと声をかけてやると、安心したように頭を下げられた。


それでも王国一の腕と言われる近衛騎士かと思うが、表には出さなかった。

結界が消えた事によって現れた魔物の退治に多くの騎士がり出されていて、騎士達も人手不足なんだろう。


陛下の執務室から、そう離れていない自身の執務室に戻るまでのわずかな間で、クリスティーナ様はもういない事を今更ながら深く実感し、部屋に戻って椅子に座った途端に、思わずため息が漏れてしまう。


補佐の者達を帝国の軍の所に向かわせていて、一人になった執務室はいつもより静かで落ち着かず、逃げるように机の上に積み上がった書類の決裁を進める。


まだ何とか魔物は王宮内には入って来てないので、落ち着く事を意識しながら、いつもの倍ほどになった書類をさばいていく。


「宰相閣下、ミリアーネ様が呼んでいますが……」


「すみませんが、北の塔の人員で対応して下さい。もし手が空いたら行きます」


「かしこまりました」


しばらくして、伝令に来たミリアーネ様付きの騎士に、もう何度したか分からない指示をして、ふと書類をめくる手を止めて思考に耽る。


クリスティーナ様を殺したもう一人の王女、ミリアーネ様は北の塔に幽閉されている。


王宮の北の塔は、罪を犯した王族の幽閉先であり、何不自由無い生活が出来るが、死ぬまで塔から出ることは出来ない場所である。


ミリアーネ様は、良く言えば純粋無垢で素直。悪く言えば世間知らずで騙されやすいお嬢様だった。


クリスティーナ様はミンニール王太子殿下にばかり目を向けていた王妃様に代わって、ミリアーネ様に多くの事を学ばせていたが、こればかりは直らなかったようで、途中からは諦めてそれをフォローしてくれる人材をミリアーネ様付きにする事で解決していた。

彼らが王妃様によって引き離された事で今回の事件が起こったんだろう。


それにしても陛下は、王妃様は、王太子殿下は、ここまでどうしようも無かっただろうか?


召喚の儀で、クリスティーナ様が結界を張っていたと聞いて驚いていた陛下と王太子殿下。私はちゃんと報告したのに、聞いていなかったのだろうか。


精霊とは世界を管理する存在。属性は光・闇・風・火・土・水・雷の七属性に分かれていて、それぞれの属性の頂点に立つ精霊を大精霊と呼ぶ。

そしてその全ての属性の精霊を統べ、世界の管理者と呼ばれるのが精霊王だ。


精霊の愛し子という、聖女とも呼ばれる存在は非常に稀で、精霊王を含む全ての精霊から愛され、加護を得ている人間のことを言う。

聖女の張る結界は、聖女の守りたいものを魔物、悪意ある人間など色々なものから守ることが出来る壁のようなものだ。


私はクリスティーナ様が結界を張った直後に、陛下達に報告していた。

陛下もちゃんと返事をしていたのに……。大方、結界が張られたという所しか聞いていなかったのだろう。

本当にクリスティーナ様以外の王族はどうしようも無い。


見たいものしか見ない陛下と王太子。

財政が良く無いと何度言っても浪費癖が治らない、治そうとすらしない王妃。

そして情報を疑うという事をしないミリアーネ様。


精霊王様と帝国の皇族の皆様による復讐計画が無くても、王国は近いうちに傾き、地図上から消えていただろう。


「クリスティーナ様……」


今まで、私も含めてみんな彼女に頼り過ぎていたのだ。


王族と私達文官は彼女の書類処理能力の高さに。

騎士達と平民達、そして貴族達は彼女の結界に。


彼女の優しさに、甘えていた。


それなのに彼女を丁重に扱う事をしなかった。

我々は今、その報いを受けているのだろう。


今手にしているのは、クリスティーナ様が帝国に留学してからずっと、帝国の皇帝と皇太子、第二皇子の連名で私宛に送られてきた手紙の内、最後に送られた手紙だ。


今までクリスティーナ様の近況が書かれて送られてきていた手紙。

だが、クリスティーナ様が死んでしまった後に、陛下宛の書類に紛れて送られた最後の手紙には、私と私直属の部下に向けて、王国から帝国に来ないかという誘いが書かれていた。

クリスティーナ様が死んでしまった今、王国は近い内に終わるから、仕事が出来ると聞いていて、クリスティーナ様の味方だった私達を引き抜きたいという事らしい。


私と私の補佐の者達は、クリスティーナ様の味方だった。

これはそれ故の救済措置も兼ねているのだろう。


でも、私は思う。


私達は彼女の味方足り得ただろうか、と。


「宰相様、大丈夫ですか?」


いつまで経っても改善しない財政と陛下や王妃様からの無茶振りに疲れ、限界を迎えようとしていた私は、クリスティーナ様がそう言って伸ばしてくれた手に救われた。


当時はまだ、アンネローズ様が死んで一年経っているかどうかの時期で、クリスティーナ様も余裕など無かっただろうに、彼女は私に手を差し伸べてくれた。


そして、たった三、四歳の身でありながら、私達文官も思い付かなかった財政の改善案を出し、陛下や王妃様の公務の大半を肩代わりする事で我々文官への無茶振りを減らしてくれた。


彼女は私を筆頭とした多くの文官が彼女に救われたのだ。


なのに、私は、私達は彼女に何が出来た?


私がやった事といえば、彼女が王国貴族の不正の改革をやりやすい様に少しだけ手を貸す事、ミリアーネ様への教育に必要な物を揃える事、そして彼女が帝国へ行けるように陛下の説得に力を貸した事くらいだ。


私達が受けた恩に対して、返したものがあまりにも見合っていない。


彼女が不正を正した貴族が流した噂を消す事も、彼女に向かって放たれた刺客を減らす事も、彼女が王国に帰らなくてもいいようにする事も、ミリアーネ様や召喚された聖女、リコの凶行を防ぎ、死ぬ事を防ぐ事も出来なかった。


部下達は、私からの手紙を帝国軍に届ける役割を与えて、陛下には気付かれないように帝国側に逃した。


宰相である私がすぐに帝国へ行くのは難しいだろう。

こんな、一人の少女すら守れないようなザマでも、一応は王国のNo.2だ。


この国は、私が生まれ、育った国。そしてクリスティーナ様が守ろうとしていた国。

それでも、彼女を大切にしていた者達は決してこの国を許さないだろう。


彼女が望んでいなくても。それでも、彼らは進むだろう。これは私一人で止められるものじゃないのだ。


ならば私は、少しでも彼女が悲しまない形でこの国が終わるように手を回そう。


私達王国民のせいで彼女を苦しめた。


せめて、優しい彼女を人生が終わった後も苦しめるような事にならないように。


私はそれだけを想って、再び書類に目を通し始めた。




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