第5話 帝国の“彼”
「はあ……やってくれたな」
俺、ヴェラルド帝国第二皇子のアウグスト・ヴェラルドは、頭に響いた声に思わず声に出してしまう。
光の大精霊のルーチェに手伝ってもらって忠告したのにこれかよ。
『ちゃんと我慢してきた。しばらくは君達の番だよ、頑張ってね』
さすが精霊王様。相変わらず規格外だな。我慢の定義が違う。
「結界は?」
『ちゃんと解いた。今頃王国は大騒ぎじゃないかな?』
クリスティーナ––クリスが張った結界で、魔物も周辺各国の兵も弾かれて入れない事をいい事に、王国騎士団の連中、ろくに訓練して無かったらしいからな。
「宣戦布告の書類は送ったし、周辺国への根回しも終わってる。待ってろよ?精霊王。王国はきっと、七日も持たない」
本当は、ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて復讐したかった。
けれど、時間をかければ帝国民が傷ついてしまう。
王国民は、クリスを傷つけたのだからその分傷付けばいいと思うが、それが原因で帝国を傾けてしまったらクリスに怒られる。
クリスとした、「クリスの側近達を守る」という約束も守らないといけないから、帝国に問題がなく、王国に短期でより多くのダメージを与える方法を考えないといけなかった。
「アウグスト、こちらは準備できたぞ」
「ありがとう、兄さん」
「……大丈夫、上手くいくさ。
お前が考えた計画に、皇太子の私と、皇帝の父上が乗ったんだからな。母上も、皇后という立場を使って根回ししてくれた。精霊王様達も協力してくださっている。上手くいかないわけがない」
今回の計画には、クリスの名誉もかかっている。
そう考えると、知らず知らずのうちに柄にも無く緊張していた様だ。兄に気付かれたことに自分の未熟さを感じるが、
「俺の立てた計画だ。上手くいかないわけがないだろう?兄さん」
一度深呼吸をしてから、何もなかったように不適な笑みを浮かべてみせる。
クリスに教えてもらったように。
「ハハッ、大丈夫そうだな。じゃあ、行ってくる」
「ああ」
自分の執務室に一人になった途端に、色々な事が頭の中を巡ってしまう。
帝国の皇太子、エドワード・ヴェラルドは出来の良い人だ。文武両道、おまけに性格も顔もいい。少し腹黒い所があるものの、皇族としてはそれも長所だ。
俺はそんな人の弟に生まれた。
幸い、父も母も兄も、俺を可愛がってくれたが、貴族達は違った。
筆頭公爵家をはじめとした公爵家は問題なかったが、侯爵家、伯爵家、男爵家のような家の人間や、王宮に勤める人間達からは心無い声を浴びせられた。
「皇族の汚点」
「出来損ない」
「分不相応にも皇太子の地位を狙ってる」
家族の耳に入らないように浴びせられる声に、いつしか俺は笑うことが出来なくなっていった。
淡々と最低限の仕事をして、日々を消化していく毎日。
七歳から六年続けていたそんな日々の中に入ってきたのが、セレンスティア王国の第一王女であるクリスティーナだった。
最初に彼女の経歴を兄から聞いたときは、絶句したものだ。
冷遇されていた前王妃の一人娘。三歳の時に王宮に入った賊に目の前で母親を殺され、その後は王妃や王太子がやるべき公務の半数を担いながら妹の教育をしている、精霊の愛し子。
何故他国の皇子である兄がこんな詳細に知っているかというと、王国に留学に行った時に、クリスティーナの側近達に聞いたそうだ。
彼らは、兄に助けて欲しいと言ったらしい。
命を狙われているのに助けを求める事なく、一人で戦う主人を助けて欲しいと。
つまり、側近の彼らから見て、他国の人間に頼らなければならないほど、クリスティーナが追い詰められているという事だった。
そうして兄とクリスティーナの間で話し合いが行われた結果、クリスティーナは帝国に留学するという名目で帝国に一時避難する事になったらしい。
それを聞いて、その王女は俺のように、心を殺した人間だろうと考えていた俺の予想は、見事に外れた。
「久しぶりだね。ようこそ、帝国へ。ゆっくりしていってくれ」
「初めまして、第一王女殿下。これからよろしくお願いします」
「お久しぶりです、皇太子殿下。初めまして、第二皇子殿下。私の事はクリスティーナとお呼びください。これからよろしくお願いします」
藍色の髪を後ろで一つに結いあげ、
無理をしているような感じではなく、自然に微笑んでいるような、彼女自身の優しさが滲み出ているような、そんな笑みを浮かべていた。
そんな彼女と握手を交わした俺は、その手の温かさに何故か無性に泣きたくなった。
そうして迎える事になった彼女は、よく働いてくれた。
友好国とはいえ見せられない部分もある中で、問題ない範囲で兄や俺の仕事を手伝い、大精霊と作ったという魔道具を使って、今までやっていた王国の公務もやっているようだ。
それだけ一生懸命やっていても、王国内での彼女の評価は「好き勝手する出来損ないの悪い王女」という最悪なもので、それでも彼女が笑みを絶やす事はなかった。
彼女が帝国に来てちょうど一年経ち、クリスティーナが十三歳、俺が十四歳になった頃、どうしても気になる事があって彼女を呼び止めた事があった。
普段あまり喋らない俺に呼び止められた事に驚きながらも足を止めた彼女に、俺は質問を投げかけた。
「何故君は笑ってられる?」
自分の事を後回しにして、他人の為に頑張って、それでも救った人間はそれを踏み
誰も、自分そのものを見て、評価してはくれない。
誰も、自分がやっている事を理解してはくれない。
なのに何故、そのように笑ってまた手を差し伸べられるのか。
彼女は、いつもの優しげな笑みを、困ったような笑みにしながら答えてくれた。
「私は別に、自分を犠牲にしているわけじゃないんですよ。
私は、誰にも泣いてほしくないんです。誰かを切り捨てるという判断をしたくない。
誰になんと言われようと、私の行動原理はそれだけです。
私が悪者になるだけでみんなが幸せになれるんだったら、それでいいかなって思うんです。まあ、側近達には止められますけどね」
理解できないでしょう?
そう言う彼女に複雑な表情を向けると、少し考えてから言葉を続けてくれた。
「第二皇子殿下が笑えなくなった経緯は、あなたの側近から聞きました。
殿下は皇太子殿下を支えたいだけなのにって。
それに、私から見ても、あなたはとても優秀な人だと思いますよ。
特に情報を精査して計画を立てる能力には目を見張るものがあります。
貴族達は、あなたがどんな人であれ好き勝手言いますよ。
だから、こんなふうに笑って言ってやればいいんです」
『お前らが何と言おうが関係ない』とね。
いつもの優しげな笑みとは違う、不敵な笑みを浮かべて言った彼女は、すぐにその笑みを消して
「殿下は、家族の皆さんにも側近の皆さんにも大事にされてるんですから、もっと自分の事を大切にした方がいいと思いますよ」
真剣な表情で言った。
「……側近に心配されてる君が言う事じゃないだろう」
「バレましたか?」
重くなった空気を誤魔化すように二人で笑い合って、
「俺の事はアウグストでいい」
「じゃあ、私の事はクリスでいいですよ」
一年ぶりの握手をして、その日は解散した。
その日から俺とクリスはよく話すようになった。
俺はクリスに教えてもらったように、笑みを浮かべる練習をするようになり、一年ほどで、意識しなくても不適な笑みと言われる表情を浮かべられるようになった。
六年もの間、何をしても笑えなかったのに、クリスと話すようになってからは、たった一年で笑えるようになった俺は、少し拍子抜けしたような気分だった。
父や兄、母に泣いて喜ばれたのは驚いたが、それほど心配をかけていたのだと気づいた。
側近達には仕事がしやすくなったと言われ、クリスはよく俺の側近達に拝まれるようになった。
クリスとよく一緒にいるルーチェとは仲良くなれたが、精霊王のユミトとは何故か対抗意識があって、言い合いをしてクリスに怒られる事が多かった。
そんな風に、今まで見えなかったものが見えるようになってから二年の月日が過ぎ去り、この平穏な日常が続くと思っていた時だった。
王国からクリスに、帰還命令が届いたのは。
絶対に
行かなければ、帝国の民に迷惑がかかるからと。
「もし私が死んだら、側近達を守ってもらえる?アウグストにしか、頼めないから」
まるで死ぬ事がわかっているかのようにそう言って、王国に帰って行ったクリス。
大精霊達も、ユミトもついているから大丈夫だと思っていたのに、信頼していた妹が裏切ったらしい。
事実無根の罪を夜会で着せられた直後に、側近は全員、帝国に向けて逃げるようにクリスに指示されたようで、ギリギリのところで俺が手配していた帝国騎士達に保護された。
まだ、彼女との約束は履行できる。
彼女は守れなかったんだ。せめて、彼女に託された彼らだけは、守ってみせる。
彼女が死んでしまった直後にユミトがやってきて言った、復讐計画。
大枠をユミトが、細かい所は俺が考えた。
優しい彼女は、勝手に復讐なんてした事を知ったら怒るだろうか。
「幸せになってね。私の事は、気にしないでいいから。アウグスト、あなたが幸せになってくれる事を願ってるわ」
ユミトから聞いた、彼女の願い。
きっと他の奴らにもそれぞれあったんだろう。
それでも、俺も、ユミトも、大精霊達も、クリスの側近達も、俺の兄や父、母だって、動かずにはいられなかった。
恩人であり、友人でもあるクリス。
君の名誉が
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