第23話 水野の過去

 次の日の朝、真はラインで電話をしたのだが、あかねは電話に出なかった。

 どうしたのだろうかと思い、十時に笹井探偵事務所に訪れたのだが、ドアの前に張り紙が書かれてある。


 “夕方、帰宅予定です”


 真は木製のドアを開けてみたが。鍵がかかっている。

 その時にスマートフォンの効果音が鳴ったので、真はポケットから取り出してみると、あかねからラインの返事が来た。

 

 『夕方に連絡します』


 何か急用でもあったのかと思い、真は自社に出勤した。

 真が勤める神田出版社は、とにかく自由だ。


 給料は基本給と出来高制だが、この出来高制が給料の大半を示している。

 この薄い雑誌の記事に、どれくらいの関心を引き寄せられるかが勝負なのだ。

 この前は、深夜ホステス殺人事件の記事がヒットした。あれは真とあかねの二人が活躍した事件だ。


 もちろんバックには警察がいたし、真は内容が公開できる範囲で、自分の体験談をジャーナリストとして記事にした。

 満田部長も国分もいろんなオカルト記事を作成している。無論彼らも書いてはいるが、三人だと、目標のページ数に届かない。


 したがって社長は、フリージャーナリストからの記事ももらって何とか雑誌を出版した。

 一年前ほどに起業した会社だが、中々、黒字までにはいかないらしい。


「フフフ、今日はあの子娘と一緒じゃないのかい?」

 と、横から七三分けをしてメガネを掛けている、国分が右口角を上げて笑いながら、横から言った。

「まあ、あかねさんが、用があるらしくて……。それに、僕は今回の事件の内容をパソコンに打ち込みしていこうと思っています」


「あの、校長の内容も入れるのかい?」

「事件が解決したら、入れようかなと思います」


「僕だったら、もう入れちゃうよ。あくまで噂でしかないんだから。フフフ」

 そう言って、彼はまたパソコンの方に向かったが、言い忘れたように、また真の方を見た。


「そう言えば、例の件、事件が解決したら行くよ」

「どこの廃校に行くんですか?」


「他県にある村の集落の近くに、ずいぶん昔から廃校になった小学校があるんだ。そこから深夜になるとうめき声がするという話なんだよ。僕はそれが待ち遠しくて……」

「一人で行ったらいいじゃないんですか?」


「一人だと面白くない。やっぱりリアクションが大きい、飯野君を連れて行かないと楽しくないからね。絶対だからね」

 そう言い残して、終止ニヤニヤしている国分に対して、満田はため息ばかりだった。


「はあ、飯野君、いいネタがあったら分けてくれへんか?」

 頭は剥げていて、目が細い。丸顔で、おまけにメタボリックな体系だ。満田は肘をつきながら言った。

「部長、僕も今月のネタのことで忙しいんで、すみません」

 そう言うと、納得したように、ため息をついていた。


 この人はいつでもため息と文句しか行っていない。そんなんだったらジャーナリストも、この仕事も止めたらいいのに。

 真はこの緩い職場は好きだったが、ネガティブな空気が何ともいたたまれない中、自分は稼業に打ち込んだ。


 


 夕方になり、真にライン通話が鳴った。

 彼はポケットからスマートフォンを取り出すと、あかねからだった。


「もしもし」

「もしもし、真君? 今から事務所に来れる?」


「ああ、良いですよ」

 真もそのつもりだった。電話を切った後、身支度をして、会社を後にした。




「それでどこに行ってたんですか?」

 真はあかねの事務所のソファに座って言った。


「ゴメン、今日水野さんの自宅に行ったんだ」

「自宅って、今日は葬式じゃないんですか?」真は目を丸くする。


「ああ、そうだよ。葬式にお邪魔しちゃった」

「いいんですか。家族葬だったから、他人が入ると迷惑が掛かるんじゃないんですか」


「まあ、そうなんだけどね」あかねもソファに座り、真と向かい合わせになった。

「飯野さんもどうぞ」

 つむぎはお盆に乗せていた、ミルクティーを真の前に置いた。


「ありがとう」

真はつむぎの目を見ながらお礼を言った。


「それで、さっきの続きなんだけどね」あかねはつむぎが去っていくのを見送ると、真に焦点を合わせた。「葬式が終わったのが、大体三時過ぎ、そこで、いろんなことを聞いてみたんだ」

「また、男の方とケンカになったんじゃないでしょうね」


「大丈夫だよ。大人しくなおかつ、お母さんの都美子さんをバカにしなけりゃ、色々と答えてくれるよ」

「本当ですか……」

 昨日の溝手を想像する。確かに彼からは酒の臭いがしたので、かなり酔っぱらっていたとはいえ、素面では性格が違うというのか。


「普段のあの男の人は、物静かなんですか?」

 すると、あかねは顎に右手の人差し指を当てて、「そうかな。でも、昨日に比べればある程度融通が利くような感じだったけどね。やっぱり、お酒の力って怖いね」

 そう他人事のように彼女は言う。


「それで、どんなことが分かったんですか?」

「やっぱり、水野さんのお母さんは、娘さんを可愛がってなかった。元々の実父は彼女が五歳の頃に仕事の部下と不倫関係になって、ある時、父親は蒸発したって感じ。そこからお母さんが真面目になればいいんだけど、難しかったみたい。

 お母さんは仕事に打ち込んでいって、家計を支えてきた。でも、人間苦労だけしてたらダメになっちゃうから、ある時はアル中になるほど、お酒におぼれ、ある時はパチンコを開店から閉店でギャンブル付け、ある時は男と一夜を過ごすといった、破天荒ぶりだった。

 そんなお母さんだったから、純情な子供はそれを目の当たりにすると、どうしても精神が崩壊する。

 実際に明日香さんは、小学校六年生で近くのスーパーで万引きをしたらしいんだ」


「小六で万引きですか?」

 真は素っ頓狂な声を上げた。

「そうだよ。その時はもう壊れかけていたんだね。でも、その時仕事中だったお母さんは、仕事を途中で早退して、駆け付けなくちゃいけなかった。その面倒くさそうな母親に対して、娘はどう思っただろうね」


「何だろう……。本当はしたくもない万引きを全否定されたって感じですか?」

「まあ、そんなところだろうね。

 その後、明日香さんはエスカレートするように、不良グループとつるんで、そこに当時友達だった石留さんだっけ? あの人と仲良く、悪いことをやってきた。万引きや落書き、自転車の盗難もやってきたらしい。

 その度に、お母さんに怒られては、それを止められなかったらしい」


「どうしてでしょうね?」

「一種の愛情を感じたかったんじゃないかな。やっぱり、普段お母さんと話をしたことが無かったって言ってたでしょ。それをやることによって、本気でお母さんが自分と向き合ってくれる時間を作ってくれる。それが心のどこかで求めてたのかもしれないね」


「うーん」

 真は考えた。本当に悪いことをして、愛情をもらえるのだろうか。


 自分は裕福な家庭に育ったから、良く分からない。素直な感情を伝えればそれで受け止めてくれるのではないのか。


「まあ、人って誰もが違う感情を持ってる。その人の個性だと思うんだけど。実際水野さんも演劇に才能があった。もしかしたら、お母さんにいろんな演技をして、気をひかせようとしていたのかもしれないよ」

「まあ、もしかしたらの話ですけど……。それで、実際に西京高校の先生や生徒さんが葬式に参加したんですか?」


「ううん、参加してないよ。何しろ、赤の他人で出席したのはあたしだけだからね」

 そんな迷惑な他人はいらない。どういった神経してるんだ。と、真は思った。

「まあ、あたしは最後までいて、あの人たちから水野さんの情報を聞きたかったからね。昨日溝手のおっさんが言ってたじゃない。水野さんと二人でお風呂に入るとか……」

 溝手? あの男の人が溝手っていう人なのか。と、真はその時初めて名前と彼の顔のイメージがつながった。


「ああ、確かに言ってましたよね」

「今日は素面だったから、そのことは口に出すことはなかった。あたしもその話はセンシティブなものだったからそこには触れなかったけど、あれはきっとあいつがしたいことだったんだろうね」


「まあ、そうでしょうね」

 真は生唾を飲み込んだ。決して性的な気持ちではない。気味の悪いことを考えるものだと思った。


「それもあった、水野さんにはそのことを誰かに喋ったのかは分からないけど、水野さんも演技が上手いというくらいだから、人の表情を見抜く力が長けてると思う。そう考えると、溝手のおっさんが気持ち悪かっただろうね」

 真はようやくつむぎが作ってくれたミルクティーを手に取った。大分冷めている。真はカップの中のミルクティーに口をつけて、少量飲んだ。


「まあ、しかし、親からの愛情不足、それから非行に走り、更生したと思ったら、先生からのパワハラ、好きな人からは素っ気ない対応。本当に彼女は毎日幸せだったのかなあ」

「幸せじゃないと思いますよ。あと、昔友達だった人からのイジメですよね」


「ああ、それもあったよね」あかねもそこでようやくカップに注がれていたミルクティーを手に取り、一口飲んだ。「ぬるいね。冷めちゃってるね」

「まあ、それくらい、今回の被害者は深刻な過去を持ってたってことですね」


「そういうこと。楽しくもない人生に誰がピリオドを打ったんだろうね」

 誰かに依頼して殺してもらったのだろうか。殺し屋を雇ったとか……。

 真は水野を知れば知るほど心が痛んだ。

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