第10話 帰宅の探偵事務所

「今日は疲れたな。真君も帰った方がいいよ」

「いえ、僕はあかねさんの助手ですから……」

 真は菅に対して言った。


 夜も六時前になり、菅たちは彼の車で運転をして、笹井探偵事務所の前まで来ていた。――あかねの事務所である。


 菅は一日中学校にいたことに気が張り詰めていたのか、「頭が痛い」と、ずっと呟いていた。


「菅さん、無理しなくていいよ。この事件は菅さんの担当なの?」あかねは菅に聞く。

「ああ、朝の時に言われた。どうせ犯人はすぐに見つかるよ。と、黒岩警部が言って、俺を指名したんだ」


「黒岩警部って、あの顔の黒い奴?」

 黒岩警部とあかねは前回のホステス薬物殺人事件でケンカしたほど仲が悪い。黒岩警部はあかねの生意気な発言が嫌いだし、あかねは黒岩警部の偉そうな言葉が嫌い。

お互い二度と会いたくもない人物だ。


「まあね。上司からの指示だとこちらも断るわけにはいかない。それに、俺がまた、君たちに頼むということになってしまったね」

「いいよ、別に。こっちはそれなりの着手金は頂きましたから」


 そう言って、あかねは助手席のドアを開けて外に出た。真は後部座席のドアを開ける。

 真が外に出てドアを閉めたのを菅が確認して、助手席の窓を開けた。


「じゃあ、お二人さん。今日は俺、頭が痛いからここで帰るけど、また明日もよろしく」

「じゃあね」

 あかねが言って、真と二人で手を振った。



「しかし、今回の事件がまさかの西京高校だなんて……」あかねは事務所の客席の黒いソファに一息ついた。

「妹さんが通ってる学校ですもんね」


 真もソファに座った。真ん中に机があり、二人は向かい合ってソファに座っている。

「そうだよ。あたしは別の学校だったけどね」


「何ていう高校だったんですか?」

「ん? ウエスト第三高等学校っていうとこ……」


「知らないですね……」真はあかねが淹れてくれたお茶を飲んだ。

「まあ、知らなくていいよ。バカでも入れる高校だから。その分、めちゃくちゃ遠い」


「そうなんですか?」

「当時施設から通ったら、まあ、電車で片道二時間だからね。ほとんど遅刻だったな。別に早く登校しようって思わなかったけど……」


 相変わらず、あかねらしい体験談だなと真は微笑んでいると、事務所のドアが開き、ドアベルが鳴った。


「ただいま」

 そう言ったのは、午前に会った笹井つむぎだった。


「おかえり、つむぎは相変わらず時間通りに帰ってくるね」あかねは体制を崩してくつろいでいた。

「悪い?」


「いや、全然。規則正しい子はあたし嫌いじゃないよ」

 つむぎは洗面台に行って手洗いうがいをした。真はこれからつむぎも混ぜて話をするとなると、ドキドキが止まらない。


「そう言えば、つむぎ、森本っていう奴知ってる?」

 そう聞く、あかねにつむぎはこちらに来て言った。「知ってるよ。有名人でしょ」


「そうだよ。あいつ結構冷静な奴だよね。前原っていう奴はちょっとお茶らけた奴だったけど」

「そう? あたしは森本君の方がノリのいい子に見えたけど」


「でも、あいつ、凄く愛想悪かったよ」

 愛想悪い……。つむぎは頬に手を当ててそうだったかなと、森本のことを振り返ってみたが、思い当たる場面が見当たらなかった。


「分かんない。でも、お姉ちゃんが思っているほど、はしゃいでる男子だよ」

「その森本翼ってやつが、つむぎに興味があるって噂で聞いたけど、本当なの? あんたコクられたの?」


「え……」突然のことにつむぎは言葉を失った。「……別に告白はされてないよ」

「じゃあ、いいじゃん。何、その深刻な顔?」


「告白してきそうだなってね……。何でもない」そう言ってつむぎは笑った。

 真はつむぎが笑うのを初めて見た。笑顔のつむぎも悪くないな。そう言ってお茶を啜ったが、器官に入って激しくむせた。


「大丈夫ですか、飯野さん」つむぎは心配して真の背中をさすった。

 真はつむぎが自分の身体に触れているだけで、気持ちが高揚してしまっていた。このまま時が止まればいいとさえ思う。


「大丈夫だよ。真君はタフなんだから」あかねはせせら笑った。「どーせ、森本がつむぎに気があるからそれでむせたんだよ」


 何で、読み取れるんだこの女は……。真はあかねの顔を見た。彼女は「ヘヘヘ」と、笑いながら、鼻を掻いた。


「森本君があたしに気があるから何なの?」つむぎはきょとんとしてあかねに言う。

「んー? 知らなーい」

 あかねは手を後ろに組んで、口笛を吹いた。


「そう言えば、演劇の顧問の的野先生に会ったよ。西京高校は演劇に力が入ってるみたいだね」

「そうよ。西京高校は創立五十年あまりになるんだけど、演劇は徐々に名門の高校になったよ。プロの劇団のスカウトまで来るようになったから」


「そうらしいね。その中でも、水野明日香は一番のトップだったってわけ?」

「そうだよ。水野さん。演劇の才能あるもん。あたしも水野さんの芝居を見たことあるけど、テレビに出てる女優さんよりも上手く見えたよ。あれだけの人だから、今回の事件は相当学校にとっては評判落としたよね」


「まあ、警察は他殺として捜査してるけどね。だから、その犯人が何故水野さんを殺害したのか。その動機が分からない……」

「今のところ一番怪しそうなのは森本君ですよね」真が言った。


「ん? どうして?」と、あかね。

「だって、水野さんは森本君のことが好きだった。でも、それは単なる片思いだった。何としてでも主役の座を手にして、森本君をヒロインにさせようと彼女は悪巧みを考えた。それにしびれを切らした森本君が彼女の首を絞めて、自殺に見せかけた……」


「あれ? 森本君をヒロインにしたのは的野先生じゃなかったっけ?」

「あ、そうか」

 真は苦笑いを見せながら頭をかいた。


「取り合えず、今日話した人たちだけじゃあ、動機が見えない。実質水野さんを殺害する動機なんて、演劇の部員に聞いた方が確かな感じがする」

「そうですね。嫉妬に狂って殺害した可能性も」


 あかねはつむぎに言った。「ねえ、水野さんはどこかの劇団事務所にスカウトされてたのかな?」

 つむぎは目線を天井に向けて、考えた素振りを見せた。

「うーん……どうだろう。水野さんの演技だったらスカウトが来ても可笑しくないけど。ただ、今回の文化祭で、スカウトの人たちが動くだろうと思うから、それまで水野さんの存在を知っていたかによるよね」


「水野さん以外で、演技が上手い人っていなかったんですか。例えば、森本君は元々俳優をやってたんだよね」

 真はつむぎに言った。

「あたしは全て知ってるわけではないですけど、正直、森本君が上手いということはあんまり聞いたことないですね」


「あんな野郎、テレビでは観たことないけど、下手だって。でも、テレビの子役だったらしいけど、あたしは知らなかったな。テレビ疎いから。つむぎはあいつが子役とき知ってる?」

「ううん」つむぎは首を横に振った。「あたしも森本君が子役の時は施設だったから、あんまり知らないな。テレビもNHKしか観てなかったし……」


「真君は?」

「僕も良く分からないです。バラエティー番組あんまり観ないんで……」


「知ってる人だったら、キャーキャー言うんだろうね。取り合えず、明日はそこを調査だね。おしまーい。つむぎ今夜の晩御飯なにー?」

「もう、焼きそばだよ。ちょっと待ってて」


 そう言って、つむぎはキッチンの方に行った。真は焼きそばの匂いも嗅ぐこともなく、すぐに帰った。

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