第2話


リフレッシュルームでお弁当を食べ終え、文庫本を開いた。


小説を時々読むのだ。


今読んでいる本は主人公がタイムスリップをしてバタフライを起こし、パラドックスに悩むというものだ。佳境に差し掛かっている。


時間に制約を作っているのは人間だけで、パラドックスなんていうものは実はないのかもしれない。


あるいは世界がそれを必要とした場合にだけあって、必要のない人にはなにも起きないのではないか。


つまり社会不適合者の自分が、なんの役にも立たない自分が過去に戻ったところで、改変もバタフライも、なにも起きずに終わる気がしている。


そんな大それた人間ではないのである。そもそも人間はそんなに大それたものではない。


まあこんなことを考えても所詮は夢物語、と思って現実に戻る。


隣からため息が聞こえてきた。本から顔を離すと、同僚の真島がお弁当を広げているところだった。仕事で席はよく隣になるので、時々助けあっている。


「お疲れさまです」


真島はにっこりと微笑み、言う。


つられて微笑む。心呂より二、三歳上のように思える。


「お疲れさまです。今、休憩ですか」

「ええ」


少し顔色が悪い。


「具合、悪いのですか」


真島は唸った。


「こういうことを言ってもいいものかどうか――」

「私は口が堅いので大丈夫です」


他に話せる人もいない。真島がこんなことを言っていたと、噂を広める気はまったくないけれど、噂を広められる人もいない。


真島は安堵したような表情を浮かべ、耳元で囁く。


「私、あの、どうも、木下さんが苦手で」


怒られたのだろう。


「ああ、それなら私もです。多分、この会社の、彼女の部下に当たる人は、みんなそうなんじゃないでしょうか」


「そうかもしれないですね……そんな噂も時々聞きます」


なだめてもしんどそうな表情は消えない。


思えば別の上司達やその部下は、円滑に人間らしくコミュニケーションをしているようである。


七あるブースの一カ所ずつに上司が一名いて、その空間ごとに空気が違うのだ。和気あいあいと楽しそうにしているところもあれば、生真面目さが漂うブースもある。


「あの方はマシーンに徹することで、生き残ってきたかたなのでは思っています。なら生き残る方法を、あるいはその技術を教えて下さったのではないかと。そう考えると、少ししんどさが消えませんか」


言うと真島は天井を見上げた。


「なるほどなるほど。そういう考え方もありですね」


「ええ、本当のところはわかりませんけれど」


休憩が終わりそうだったので、心呂は「では」と丁寧に会釈をして仕事に戻った。



仕事を終え、帰路に着く。実家住まいだ。


母の作ってくれた料理を食べ、お風呂に入って眠ることにした。


あまり眠れない。一瞬眠れても睡眠が浅い。真島にああ言ったものの、心呂もしんどい、と思っている部分がある。


うとうとするたびに木下の声に起こされるような気がした。


的確に。目が覚める。

迅速に。目が覚める。

精密に。目が覚める。

一回で。目が覚める。


ロボットで。目が覚める。ロボットで。目が覚める。ロボットで。眠れない。


ベッドから出てスティックの無料カタログに記載された膨大な量の商品名と品番をなるべく多く覚えることに徹する。


神経は冴え冴えとしていた。


午前七時になり鏡の前に立つと、おお! とエキサイトした。


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