ひとごころ

明(めい)

第1話


二十五歳で既に二回転職している。今勤めているところで三回目だ。


もしかしたら自分は社会不適合者なのかもしれないと、井上心呂は思い始めていた。


名前がココロである。自分より年の離れた世代の人たちが下の名前を聞くと、「あ。

可愛らしい名前ですね」と憐れむような瞳で見つめ、ゆとりだのキラキラネームだの陰で囁いていることもあった。


それ以前に心呂はどこへ行ってもなぜか浮いてしまう存在だ。


人の輪に馴染むことができない。中学時代からそれがずっと続いている。


とはいえ、群れてかしましくなるのも嫌だ。だから一人でお弁当を食べていても平然としていられる性格なのだが、周りからは「ぼっち」という、これまた憐れみやさげずみの混ざった目で見られることを多く感じとることがあった。


気にしていなくても無意識では気にしているのか、ストレスはたまっている。


学生時代は「ぼっち」でよくても、社会人になり、営利企業の組織という輪の中に馴染めない、となると問題が発生する。


利益を目的とする企業に所属する身である以上、人材は焚火に入れられた木材のように燃焼しながらいろいろなことをこなしていかなければならない、というのが心呂の仕事に対する漠然とした考えなのだが、チームプレーが一人だけうまくできずに掻き乱してしまったり、会社から漂う空気感に馴染めず、毎日悶々とした日々を抱えたりもしている。




パソコンのモニタ画面に、顧客の名前と住所が映し出された。


水沢直美、と出ている。


「お電話ありがとうございます。株式会社スティック。担当、井上でございます」


スティックは衣類や肌着を中心に売っている通信販売業者だ。なるべくワンコール以内で電話を取れ、というのが上司木下のポリシーで、パソコンの画面を相手に見えない客と会話をする日々である。


こうしていざ受注する側に立ってみると、買い物の罠にはまっているお客様というのが結構存在するのがよくわかる。


今かけてきたお客様もそのうちの一人。毎日電話をかけてきて、なにかしら商品を買っていくのだ。


会社側としても支払いをきちんと済ませていれば待遇を別にしてランク付けをしていくので、お客様は故意に罠にかかっているのかいないのか、なお高みを目指して、買い物にはまっていく。


「品番、6837 9821 335X これが欲しいの」


美しい声だ。パソコンに番号を入力していくと、商品名が出てくる。


最後の一桁が聞き取れなかった。心呂は声に感情をこめる。


「恐れ入ります。最後の品番をもう一度お伺いしてもよろしいでしょうか」


「3350、よ。聞き取りづらかったかしら」


「申し訳ございません。それでは復唱いたします。品番6837……」


「復唱はいらないわ。時間がもったいない。そのくらい、わからないの」


「申し訳ござ――」


言いかけて、電話が切れた。


上司の木下がモニタリングをしていたのか、すぐにやってくる。


「今のお客様は、復唱がいらないの。いい? 過去に何度か今のかたとお話ししてわかっているわよね。だからお客様がオペレーターと心地よく会話をしていただくために、そのくらいの配慮はするのよ」


「申し訳ございません。ご確認がしっかりとれず注文を間違えたらそれはそれで、ご迷惑がかかることに」


木下は冷ややかな瞳で心呂を見下ろす。


「だから間違えないように一回で的確に聞きとるの。口答えはいらないから。ロボットでいいから。何度言わせるのかしら」


必死なだけだったのだが、木下には口答えと映ったようだった。


「はい。申し訳ございません」


内心で少しだけへこむ。木下はなんの表情もなく去っていった。


木下の仕事ぶりを見ていると、本当にロボットの如く完璧なのである。


一回で全てを聞き取り、お客様が品番がわからず困っている時は、即座に記憶の引き出しから品番をパソコンに打ちこんで商品名を確認する。


しかし、契約社員として入社して半年。心呂にはまだそれができない。


木下は毎日のように「ロボットでいい」と言ってくる。


同じ時期に入った心呂の同僚、みんなにも言っている。新人は毎回、研修の時に指導に当たる人が直属の上司となり、上司の人間性にはばらつきがあるようで、だから木下の部下で運が悪い、という噂も時々聞く。


「いいですか、あなた達はこの会社のロボットです。正確に、丁寧に、精密に、迅速に、いっさいの無駄を省き対応してください」。


研修初日のこの一言に、この会社の全てが詰まっているような気がした。


いや、会社ではなく「木下の全て」なのかもしれない。


三十代後半の、常に無表情でいる能面のような上司。


最初は抵抗があったが、過去になにがあったのだろうと考えた。ひょっとしたら、そうしないとうまく生き残れなかったタイプの人間だったのかもしれないと思ってみることにした。


「なるほど」


心呂は呟き、頷いた。



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