第3話 №624
「……このままでは存在が追えなくなります……」
「追跡とリンクの再接続要請を繰り返して! 研究者たちを叩き起こして今すぐ検討させなさい!」
「承知しました!」
戻ってこない。
そんなことはありえなかった。しかし、とうに時間はとうに過ぎている。
何か問題が起こったのか。脂汗が玉のように額に滲む。
フライングコンソールシートの上、動かない男。
私の思考は一向に追いつかない。
ありえない事故、小さなミスが発端だ。子供用の転生先に飛ばしてしまったのだ。
だが楽観視していた。甘く見ていたのだ。
今までも転生先を誤ったことは何度かある。
それでも帰還率は100%、当たり前だが被験者たちが帰って来なかったことはないのだ。
政府認可の最終臨検。このプロジェクトの大団円。
下衆な男の帰還をたった一日待てばそれでクリア、私は新しい第二の人生に移る予定だった。
彼が被験者に選ばれた理由は金とコネ。
出資者の息子というだけで適正者をすべて押しのけた。
大金を積まれ数値を底上げして誤魔化した。
正規の手順を踏んで経験豊富な被検者を選べば良かった。
……邪な笑いと最低な快楽を求めて彼は旅立っていった。
「彼はまだ無事?」
「はい……ですが」
「どうしたの?」
「……あと四時間ほどでリンクを始め、すべてのエッジデバイスが使えなくなります」
「え? エッジデバイスなら使えないってことはないでしょ?」
「出発前に行動監視を解くようにと……記録媒体と一緒に外してしまいました。貴女の許可は取ったと……」
「なんてことを……!」
当たり散らすモノがなく、握った資料を床に叩きつけた。
もしリンクが完全に遮断されてしまうとチートが一切使えなくなる。
チートはパッシブで働いているものもあり、特に彼のような素人に精神保護は必須だ。
監視機能は一部でしかなく、犯罪抑止に外すのは禁止していたのに。
「チートが使えない場合の彼の生存率は?」
「……一年以上が12%で三年以上が4%です」
ここまで生存率が低いのは精神崩壊が因子だからだ。
望まぬ少女の身体に清潔好きな日本人、人を殺せぬ性根、亜人や魔物の存在、そして孤立がもっとも危険だ。チートがなければ数か月しかもたないだろう。
剣や魔法の世界とはすなわち理不尽と殺戮、停滞の世界だ。普通なら耐えられない。戻ることができても廃人の可能性は捨てきれない。
こんなことになるなら身を挺して防げばよかった。私は権力と金に負けたのだ。
今更悔やんでも悔やみきれない。
何か手はないか。彼が戻れる方法はないのか。
どうする?
刻々と時間だけが過ぎていく。
飛んだ世界に問題があったのか? No.624は典型的な「ファンタジー」世界。転生者ひとりの影響力など知れている。しかも冒険者などでなく安泰の貴族だ。依り代が即死するような状況にはない。
では依り代の少女に問題はなかったのか? 容姿の整った両親に大らかな家族。
中央からそこそこ遠い片田舎でのびのびと暮らせる。
貴族同士の争いから程遠く、陰謀に巻き込まれることはない忘れられた武門一家。
これだけの好条件はなかなかない。
もともと子供用に選ばれた環境だ。それに心配だった身バレだが特別なスキルもギフトも取得していないため怪しまれることもないはずだ。
だのに、なぜ……たった一日の旅行すらまともに消化できないのか!
強く望んでいたのは成人男性の姿だ。当然、亜人や異種、奴隷の女たちが目当てだろう。
女体に自由のきかない状況。あの変態が自ら異世界に残る決断をしたとは思えない。
帰りたいのに帰れない、のか?
ならば取れる手はひとつ――。
「プロトタイプを使い私が彼を呼び戻しにいきます。すぐに用意しなさい」
「じょ、女史! 無茶です! あれは―――」
「問題ない。独力での帰還は不可能と判断し、救出に向かいます」
私は苦笑を漏らしたが、職員たちは笑わなかった。下手を打つと私も帰って来ることはできなくなる。
まったく笑えない。
「同じ座標軸を再利用します。近くに依り代はいそう?」
「寄子の騎士爵の子息がまもなく寿命を迎えるようです」
それは僥倖! まだ運は尽きていない。
「彼の依り代との接点は?」
「少女の家で働くメイドの……弟のようです!……ただ依り代の子は平民扱いのようですが……」
「問題ない。それだけ近ければ会えるわ!」
よし! 好転の兆し! だが私が連れ戻すことができる時間は無限にあるわけじゃない。あと四時間で彼を追跡できなくなり強制送還が使えなくなる。
あらゆる耐性と回避できる賢さを精神に埋め込む。
すぐに戻れない場合に備え生存術も選んだ。最後に催眠術、睡眠魔法、回復魔法を習得したか何度も確かめた。
「私が飛んだら睡眠帰還プログラムを手動に切り替えて。もし一週間で戻らなければ身体は例の場所に移送……ここはすぐに閉鎖、シータに移設されます。大丈夫、ノア作戦を発動すればあなた達は皆、好待遇で軍が拾ってくれるわ」
「は、はい、わかりました」
「大丈夫よ。すぐに連れ戻すから」
救助に必要な言語やスキル、ギフトなどインストールが終わり、能力の補正を受けlevelも上限まであげた。
緊張などない。簡単なことだ。
現地へ飛び、彼に会い、事情を説明し、彼を眠らせ、一緒に帰還する。
それだけだ。問題ない。
脳波と座標軸をプロトタイプにつなぎ、弱電流と次元軸のズレからくる不快感で呻きながらあっさりと異世界へジャンプした。
◆◆
「かーちゃん! かーちゃん! アレにーちゃんが目を覚ました!」
「アレックス?!」
「う、ううう……」
転生酔いには毎度慣れない。
回復魔法を使って意識を引き寄せる。悪目立ちするが私には時間がないのだ。
魔法の発現は魔力を持たない者には気付かれにくいので連発する。
「アレックス! アレックス……良かった」
「うぇーん、にーちゃん、良かったよ」
母親なのか、頬のこけた女性と小さな男の子が私に抱き着いた。
初めて会ったにもかかわらず暖かく心地いい温もりで胸が一杯になる。
依り代の男にとって大切な存在なのだろう。
「す、すまないけど水をもらえませんか?」
「「水?」」
「水を、もらえないかい?」
「う、うん。わかったよ、にーちゃん」
私は粗末な布団から出ようと体を……動かない?!
「ぐっ! なぜ?」
「寝てなきゃダメよ。長いこと目を覚まさなかったんだから」
喉が猛烈に乾く。母親は慣れた手つきで寝たままの私にコップの水を口につけてくれた。
首をわずかに持ち上げるだけでかなりの重労働だ。喉に染みていく。
「はぁはぁ、すいませんがお代わりを」
母親はうなずくとコップを手に部屋の向こうに消えた。
私は少しだけ身体を起こし、声を出して訊いた。
「君はジリアン・ブライっていう子を知っているかい?」
「どうしたんだよ、大丈夫?」
「もう一度聞く。貴族のジリアン・ブライを知っているかい?」
「ジル嬢様のこと? にいちゃんも知っているだろ? ティナねーちゃんが仕えるお嬢様だよ」
私らしくない。無茶をいっている自覚はある。でも時間がない。
だが、この子の姉、つまり私にとっての……ううっ……姉か妹が……。残された人格の憶測で次々に情報と記憶が朧気ながら繋がっていく。
「はぁはぁ……か、彼女はどこにいる?」
「……本当にどうしちゃんたんだよ、にーちゃん。ジル嬢様はブライ伯爵様のお屋敷に決まっているだろ」
よかった。死んでもいないし、移動もしていない。
依り代が死ぬという最悪のひとつは潰えた。
「時間がない。彼女……早く答えろ! どうすれば会えるんだ?!」
「ぼ、僕に聞かれてもなぁ。わかんないよ」
「質問を変えよう。私と君の姉にはどうやったら会える?」
彼の話を折るかたちになるが、それどころじゃない。
じれったい時間が続く。
異世界リンクを繋げれば聞かなくても情報は入る可能性は高いが応答がないため、自ら我慢強く情報を聞き出すしかなかった。
「今年の冬は帰れないと思うって母さんが言っていたような―――あ、母さん、にーちゃんがティナねーちゃんに会いたいんだって」
母が戻り、水を受け取るとまたも一気に飲み干した。
わざわざ煮沸してくれた水らしい。まだ生暖かい。
おかしい、喉の渇きではないのか?
何かを欲している。
「いきなり? そうね……お嬢様が社交界にデビューするこの数年は難しいかもね。ところでなぜティナに会いたいの?」
「……数年……数年……くっ、な、なんでもありません、ありがとうございます」
「三日も寝ているうちにすっかり別人ね。口調まで変わってしまって」
「三日? 嘘……今日は四月二十一日ですか?!」
「大丈夫? もう少し横になっていないさい。今日は九月二日よ」
九月……と言ったのか?
このアレックスの記憶を辿ろうとしても思い出せない。
「私はなぜ三日も?」
「はぁ。……本当にどうしたらいいのかしら。自分でやったのよ、その脚を治そうとまた変な薬を使ってね。辛いと思うけど……そろそろ受け入れなきゃ」
私は彼女が何を言っているのか分からなかった。
弱ってはいるが足の先に感覚はある。
「もう九年よ。苦しまなくても大丈夫。私たちが付いているわ」
……大怪我……両足の麻痺? 怪我をしてから九年といことか。
それから?
「私が受け入れる?」
母は促すと続けた。
「あなたは何でもできる子だったわ。だけどギフト頼りに薬へ逃げ……こうなったのよ。思い出した?」
猛烈に喉が渇く。
「こ、今年は……何年ですか?」
聞きたくない。耳を塞ぎたい。
私は……私は……
私は馬鹿だ。この身体や声はどうみても七歳じゃない。
弟はすでに十歳くらいにみえる。
「どうしちゃったの? アレックス」
「にーちゃん」
「今年は……何年?」
「……?」
「今年は何年なのよ! 早く答えて!」
「……一七〇一年、九月二日、貴方は十三歳になったわ」
座標日から六年と四か月と十三日、二千三百二十六日が経過していた。
何が起こったのかわからないが、私の内にはアレックスの存在を感じない。
つまりは……既に彼は死んでいる。
仮説としてアレックスは恐らく、精神を病んでいたために正常な引継ぎが成されなかった。
彼の服毒自殺なのか、オーバードーズなのか分からないが、彼は死に私に上書きされた。
ジャンプして六年。あのラボも恐らく閉鎖され、運が良ければ彼と私の身体は凍らされている。
なーんだ、実にあっけない。
日本に帰れなくなった。
もうあの男はどうでもいい。
滑稽だ。
この世界に取り残され、残りの長い月日を男として過ごしていかなくてはいけない。
はっ、私が男か。笑えてくる。
その前に病弱な体に鞭を打つところから始めよう。今なら分かる。私は立ち上がることができる。
「済まないですが二人とも……私を支えてくれますか?」
「ちょっと、にーちゃん、どうするの?」
「アレックス、無茶よ! 何を!」
私は骨と皮だけの脚を腕でなんとか持ち上げ、ベッドから降ろした。
母と弟の肩を借りると脚に力を入れた。
「んぐっ!」
かかとに体重が乗った瞬間に腕を引く。のっそりと腰が浮いた。
バランスを取りながら膝を完全に伸ばし爪先に力を入れる。
「え? にーちゃんが立った」
「アレックス?!」
「立っているよ!」
「うん。これは相当なリハビリが必要ね」
私は二人を交互に見ながら脚を引き摺るように踏み出す。
異世界酔いに回復魔法を使ったが、どうやら神経の損傷を治せるレベルまで高いようだ。
解析を持っているせいか、身体の隅々まで毒されているのが分かる。
よくぞここまで痛めつけたものだ。
笑いが止まらない。
「おにーちゃん!」
「心配掛けたようね。もう帰れないから安心して。うううう……」
「帰れない?」
「ごめん、なんでもない」
私は流れる涙はそのままにゆっくり歩きながら支えてくれている弟と母に無理やり笑顔をつくる。
「ステータス」
名前 :アレキサンダー・アンブロジーニ(愛称アレックス)
生まれ:1689年生まれ13歳(男)
続柄 :アントニオ・アンブロジーニ騎士爵の長男
種族 :ヒューマン
職業 :ジャンキー(中毒者)
状態 :衰弱(虚弱体質)
スキル:睡眠魔法4/土魔法4/回復魔法4/身体強化2/生存技術1
ギフト:不老/調薬/奇策妙計/解析/毒耐性/麻痺耐性/催眠術
性 格:独創/冷徹
なるほど面白い。いいじゃなかっ!
帰れない私にぴったりの下らない能力ばかり。
鑑定の上位互換である解析をもってしても能力値が分からない。
HP・MP・STR・ATK・VIT・DEF・INT・DEX・AGI・LUK、どれも解析の構成に入らず該当なし。
極めつけはLevelと経験値という概念がないのか表れない。
折角チート級までレベルや身体能力を組み込んできたのにすべて台無し。
なんて糞みたいな世界、とことんついていない。
奇跡を見た泣き崩れる母と泣き止まない弟を抱き寄せ、私は感情を押し込めながらジャンキーの彼の体と付き合っていくことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます