葡萄が酸っぱいとは限らない

そうざ

Grapes are not Necessarily Sour

 その頃の子供にとってガンプラは至宝だった。

 僕が初めてガンプラを、何よりも『機動戦士ガンダム』の存在を知ったのは、近所に住む年上の友達が見せてくれた1/100サイズのガンダムに心を惹かれた事がきっかけだった。

 僕は同アニメの放送時間に裏番組を観ていた。午後6時前になると、特撮番組を観る為にチャンネルを変えるのだが、その際に毎回、予告編だけを目にしていた。「君は生き延びる事が出来るか?」というフレーズは深く印象に残っている。

 この時はまだガンプラの人気は爆発していなかったように思う。その事を証明したのは、地元デパートの玩具コーナーで見た光景だった。売り場の棚に1/144サイズの量産型ザクがその名の示す通りにずら〜っと並んでいたのだ。

 肝心のガンダムはなかったので、仕方なく一箱だけ置かれていたグフを購入した。これが僕のガンプラ事始めとなった。

 程なくしてガンプラは売り場から消え失せた。たとえ入荷してもあっと言う間に売り切れてしまう。果てはガンプラ欲しさに殺到した子供達に怪我人が出るような、圧倒的な社会現象にまで肥大した。


 N藤玩具店は隣町の商店街にあった。僕の家から最も近い玩具店で、狭い店舗にひしめく色んな玩具の中にプラモデルもあった。

 ガンプラブームは次第に一応の落ち着きを見せたように思うが、品薄は相変わらずで、いつでも誰でも簡単に目当てのモビルスーツが手に入る状況にはなかった。売れ残りの『武器セット』に甘んじたり、類似商品パチモンに糠喜びさせられたりする日々が続いていた。

 友達と同店を訪れた或る日の事、僕達は鍵付きのショーケースに展示された一冊の書籍に目を奪われた。

 表紙で仁王立ちするガンダムの写真。アニメとは異なるモノトーンのリアルな塗装を施され、全身の各ハッチが開放されているその姿は、言わば《大人ガンダム》だった。

 ガンプラブームは、キットをそのまま組み立てるだけに飽き足らず、思い思いの改造を愉しむ段階に達していた。戦艦や戦車を主眼にしていた模型雑誌もガンプラを特集するようになっていたようだ。

「カッコイイ!」

 と思うものの、僕も友達も購入には躊躇した。一冊しか置かれていないその書籍は子供にとって高額だった。自分達が対象とする読者層ではない事も理解していた。せめて立ち読みだけでもと思ったが、店主は冷やかしの子供をあからさまに追い返すような気難しい人で、気軽に手に取らせてくれる筈もなかった。

「お前だったら買う?」

 友達が発したその問い掛けは、牽制のようにも挑発のようにも感じられた。

「僕だったら買わないな」

 僕は懸命に、しかし、そうとは悟られないように弁をろうした。そんなに価値のある本には見えない、そもそも大人向けだと思う、他の玩具とか漫画とかお菓子とかを買うべき、云々かんぬん――。

「そっかぁ……そうだよなぁ」

 僕は友達の導き出した結論にほっとした。そして、心が何かどす黒いもので満ち溢れて行くような感覚を味わっていた。


 明くる日、僕は一人でN藤玩具店へ向かった。

 前夜はそわそわと落ち着かなかった。たった一冊しかなかったけれど、高額だし、子供向けじゃないし、誰も手に取らない筈だ、と自分に言い聞かせた。

 ショーケース越しのそれは、前日と変わらないカッコイイ表紙で僕を待っていてくれた。計画通り《大人ガンダム》の独り占めに成功した瞬間だった。

 僕は誰かと何かをシェアするという感覚をまるで持ち合わせていない、狭量な子供だった。この気質は一人っ子に顕著なのだろうか。友達とお金を出し合う考えは微塵も湧かなかったし、別途でもう一冊取り寄せて貰う事も思い付かなかった。

 もしあの時、友達が何の躊躇もせず財布の紐を緩めてしまったら、僕は《大人ガンダム》への興味を一瞬で失ったかも知れない。自分で購入し、自分だけの物にならなければもう意味がない、と思ったかも知れない。


 どうせあの葡萄は酸っぱいに決まっている、とイソップ寓話の狐は虚勢を張ったという。あの日の自分に思いを馳せる時、僕はどす黒い液体に身を委ねたようになる。

 甘い葡萄を独り占めにするには、虚勢を張る狐を演じなければならない。

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