第6話 目が慣れてくる
記憶と意識という感覚の中で、簡単に思い出せる夢というのが、
「記憶の封印」
だということになると、
「意識よりも記憶の封印の方が、感覚として覚えているかどうかということは、思い出すまでに近い」
と言えるのではないだろうか?
そんなこを考えていると、
「記憶と意識の間に、どんな違いがあるのだろう?」
ということを考える。
その時に、一つ閃いたこととしては、
「明るさなのではないか?」
ということであった。
明るさというものの中には、色を意識させるものがほとんどだ。
暗い色、明るい色、つまりは、明るさというものは、そんな色のスペクタクルに影響していくものではないかということであった。
いわゆる、画素数と呼ばれるようなものが存在し、そこに、どれだけの数のまるで細胞のような細かいものがあるか、
「光のパズル」
とでもいえばいいのか、明るさをコントロールするのが、目の奥にあるものなのだろうか?
そんなことを考えていると、目を瞑っている間に見るものだから、瞼の裏に映し出されたスクリーンが、実際に見ている、
「夢というものだ」
ということになるのだろう。
夢を見ているということが分かると、その先にあるものが、何であるか、分かってくることであろう。
夢の最初が、明るかったのか、暗かったのか、そして、終わりも、明るいのか、暗いのか、そして、明るさが途中で変わるのか? などということも、
「明るさ」
ということ一つだけを取っても、どのように違っているのかということを考えることがいかに大切かということが分かるというものであった。
最初が明るく、次第に暗くなってくるとすると、瞼の裏に、明るい色が残っていることになる、
その明るさが残像となって、意識に影響してくるのではないだろうか? 明るさが、精神状態を表しているのだとすれば、
「明るい時が、躁状態に近く、暗い時が、鬱状態に近い」
と言えるのではないだろうか_
もっとも、
「躁状態が明るく、鬱状態が暗い」
と言い切れるのかどうかということは、何とも言えない。
実際に、明るさだけで、精神状態を表すことはできるかも知れないが、感情を表すことはできないであろう。
いや、感情を表すのであれば、感情に至るまでの過程を明るさで表したとすれば、行き着いた先を、明るさで表すことはできても、それが感情なのだということを、誰が証明するというのだろうか?
そんなことを考えていれば、
「夢の世界には、精神状態に関係のない感情が存在するのではないか?」
と感じられたのだ。
確かに、
「夢の世界に感情というものが存在するのだろうか?」
ということを考えていいものかと感じるのだった。
「夢の世界というものは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」
と、つかさは感じていた。
だから、完全に目が覚めて、意識がハッキリした時点で、夢の内容は忘れられると思っていたことから、
「目が覚めてしまうと、夢は思い出すことができない」
と感じるのであった。
だが、果たしてそうなのだろうか?
確かに、目が覚めてしまうと、夢の中を思い出す、いや、垣間見るということすらできないような気がしていた。
考えてみれば、
「夢というものは、どうして寝ている時にしか見ることができないのだろうか?」
という疑問を誰も持たないのだろう?
ただ、逆も真なりであり、
「寝ている時に見るから夢なのであって、起きている時に、見るものではない」
ということでもあるだろう。
だが、起きている時に見るものが夢ではないとすれば、幻や幻覚というのは、
「夢とは種類の違うものだ」
と言えるのではないだろうか?
夢を見ている時、本当に何も五感の中で覚えているものはないということなのだろうか?
と考えたことがあったが、
「何かの残像のようなものが残っていたような気がする」
というのを思い出すと、それが、
「明るい状態から暗い状態になる時の、明るさの残像のようなものではないか?」
と感じるのであった。
「色のコントラストというのは、光のコントラストと似ている」
という人がいたが、逆に、
「それは錯覚だ」
という意見の人もいた。
色のコントラストが、
「目を開けている時に感じる、明るさの違い」
と考えれるのだとすれば、
光のコントラストというのは、
「目を閉じている時に感じる明るさの違い」
と考える。
まるで、色の移り変わりは、グラデーションのようなもので、まるで、虹のようなものが、瞼の裏に焼き付いて感じるからなのだろう。
最初から目を瞑っていることで、そこに、光を余計に感じようとする意識が、明るさに通じるのであって、逆に、目を開けていると、光は嫌でも感じることで、その明かりによる目の錯覚の違いを、明るさというもので、感じようとしようとしているのかも知れないのだ。
一つ気になっているのが、
「目を瞑った時、瞼の裏に写っている、まるで毛細血管のようなもの」
であった。
明るさによる、錯覚なのではないか?
と考えるが、
「毛細血管に見えるものは、錯覚などではなく、本当の毛細血管なのではないか?」
とも思える。
目を瞑った時に見えてくる色は、明らかに赤褐色であり、赤褐色という色を思い浮べた時に出てくるものは、血液ではないだろうか?
毛細血管のように見えたのは、錯覚ではなく、本当の毛細血管だと考えると。毛細血管を見せるには、何か、それなりの理由が存在しているのではないか?
と思うのだった。
そんな血管を見ていると、急に、頭が痛くなるのを、つかさは感じた。
「この頭痛は、以前にも感じたような気がしたが、いつどこでだったのかということまでは、正直思い出すことはできない」
というものであった。
ただ、この時に、激しい頭痛に襲われたことだけは覚えていた。
しかも、それを覚えていたという意識は、夢の中でのことのように感じられ、襲ってきた頭痛の正体を思い出そうとしたが、そんなことができるわけもなかったのだ。
ただ、一度思い出してしまうと、
「今度は絶対に忘れないぞ」
という意識が働くのか、結構覚えているものである。
この時に思い出したこととしては、
「激しい頭痛というのが、まるで、頭が虫歯になったかのような激しい痛みがあった」
ということであった。
あまりにも痛かったので、深呼吸をした記憶がある。深呼吸をしないと、呼吸困難になりそうで、
「逆に過呼吸になってしまいそうだ」
と感じると、頭痛の正体というのが、
「過呼吸から来ているのではないか?」
と感じるのだった。
呼吸が困難になってくると、必死で掴もうとしている自分を感じ、掴もうとしているものに意識を集中させてしまうせいなのか、
「一度、大きく息を吸う」
という行動に出てしまうのだった。
息を吸ったことで、今度は膨れ上がった空気を吐き出すことになる。この時に、意識がもうろうとしてくるようだ。
精神的には楽になっているつもりでいるのだが、最後まで吐き出さないと、次の行動がきついと思うからなのか、目の前に見えているものが、本当に意識を朦朧とさせるものすべてに感じられ、考えるということを辞めてしまいそうになるのだった。
「この頭痛の原因には、いくつもの段階がある」
と思われた。
もちろん、つかさのような、まだ中学生の女の子に、医学的なことが理解できるはずもなく、ただ意識したことを、忘れないようにメモしたり、無意識に、記憶の中に封印していたのかも知れない。
いつの間にかちゃんとしたメモに記していて、後からノートに書いたのか、そのことを、まるで夢に見たかのように感じさせるのだった。
後から思い出そうとして簡単に思い出せるものではなかった。
特に頭痛が絡んでいるとなると、思い出したくないという思いが強いことで、
「思い出すならば、意識が繋がる思い出し方をしなければならない」
ということで、その思いからか、
「思い出すことが困難だ」
と感じさせるのではないだろうか?
頭痛が始まるまでに存在するいくつかの症状。
最初に感じるのは、まず、
「目の異常」
だったのだ。
というのも、見えているものをじっと見つめているつもりで、焦点が合うちょうどその場所だけが、ハッキリと見えなくなる。
それはまるで、真っ黒い円がその場所に開いていて、まるで、火のついたタバコを布に通した時にできる穴のような感じであった。
その穴というものを見た時、空いている穴の先には何も存在せず、まるでブラックホールであるかのように、急に暗闇が広がってくるのを感じると、思わずまわりが気になって、まわりばかり見ているのだった。
だが、そうしているうちに、黒く空いた穴の中が、次第に、見えてくるように感じられ、今までの意識が朦朧としてくるのを感じるのだった、
見えている明かりが、まわりの明かりなのか、黒い部分からうっすらと見えてきた明るさなのかが最初は分からなかったが、それが、目の慣れというべきものだと思うと、
「意識しているのは、黒い穴ではなく、まわりの明るさにあるのだろう」
と考えるようになると、さっきの毛細血管というものが、
「まるで飛蚊症のようではないか?」
と感じるようになったのだ。
飛蚊症というものを、感じると、それまで見えていたものが急に見えなくなる。
「車の運転などすると、危ないんだろうな」
と、免許もないくせに、つかさは感じたのだ。
そして、飛蚊症だと感じてくると、次第に、毛細血管と、黒い穴で見えなかったところが、真正面を見ていても見えるようになったのであった。
そのうちに、先ほどの飛蚊症を感じていた時、自分が必死になって、見えなかったところを見ようとしていたということに気が付いた。
その思いからか、見えてきたはずの正面が、どうにもまた見えなくなりそうに感じ、急に不安がよぎったのだ。
そうなると、
「せっかく見えている世界を逃したくない」
という思いから、必死に、何か一点を見ようと感じるのだった。
そのうちに、後頭部あたりに、スーッとした感覚が襲ってきた。それが、
「まるで、宙に浮かぶような感覚」
ということで、ちょうど、思い出したのが、
「空を飛ぼうとして、飛ぶことができなかった」
という意識であった。
「空を飛びたい」
と感じることが、悪いことではないという意識はあるはずなのだが、実際に、夢の中で感じたとすれば、
「そんなことができるはずはない」
という思いから、必死で、見ようとしているものが何であるか、考えてみた。
すると、飛蚊症が、こめかみのあたりで、脈を打っているのを感じてきた。
「ヤバイ」
と感じたのだが、この感覚は、
「足が攣りそうになっているのを、意識してしまった」
ということを思い出すものであり、
「一度、感じたことは、身体が憶えているのか」
それとも、
「意識が憶えていた身体を刺激するのか」
足が攣りそうな時が分かるように、飛蚊症で、見えにくいことになった時というのは、
「この後に激しい頭痛が襲ってくる」
ということと、
「それだけでは終わらない」
という意識を感じさせるというものであった。
こめかみが脈打っているように感じると、首筋がまるで肩こりの時のように感じられると、
「この肩こりが頭痛を誘発している」
と感じさせると、
「痛みの最初は首筋からだ」
ということが分かってくる。
そして襲ってきた頭痛は、他の症状も一緒に運んできたのであるが、その症状というのは、
「吐き気のようなもの」
だったのだ。
「頭痛だけでも耐えられないのに、吐き気まで」
と思うと、
「できれば一つにしてほしい」
と感じることで、頭の痛みがマヒしてくるのを感じた。
しかし、この頭痛というのは、
「まるで頭が虫歯にでもなったかのような、激しい痛みだ」
ということが分かる、
最初に痛みの元が、
「虫歯のような脈打つ痛みだ」
ということが分かると、意識的に、
「痛みを感じないように、感覚をマヒさせよう」
と考えるのも、無理もないことなのかも知れない。
頭痛という痛みが、脈とともに、次第に感覚がマヒしてくると、
「やっと、呼吸が整ってくるような気がする」
というものだった。
それまで見えにくかった感覚も次第に見えてくるようになり、その先に見えるものが、次第に分かってくると、今度は新たに襲ってくるものではなく、先ほど感じた気持ち悪さが、
「嘔吐のようになり、吐き気を通り越しているのが分かってくる」
ということであった。
「おえっ」
と、呼吸困難の時であれば、そのまま吐き出すか、下手をすれば、飲み込んでしまうだろう?
と思うようなことになりかねないと感じた。
この嘔吐が、この症状の第二段階ということになるのだった。
目が慣れてくると、今度は吐き気がひどくなるということだけが、意識として残ってしまった。
ただ、頭痛も普通に意識にあったので、一度、
「目が飛蚊症になった」
という夢を見たのだった。
飛蚊症になったことで、そこから普通であれば頭痛に襲われるはずだったのに、
「頭痛に襲われた」
ということを覚えていただけで、気が付けば、最初から頭痛だったのだった。
頭痛に襲われたことで、今度は、心臓が脈打っている。
最初は、こめかみの脈打ちだったものが、気が付けば、ある程度まで意識している中でのこめかみの脈打ちだったので、
「脈打ちというものが、夢の中の方が、規則的な脈を打っているようで、ある程度のゆっくりとした速度であることから、呼吸困難に陥ることはない」
という気がしてきた。
だから、意識が朦朧としてくることはなかった。
たまにであるが飛蚊症からの頭痛が起こる時、脈が急に速くなったりして、意識が朦朧としてくることがある。
夢の中だから、考えてみれば、そもそも、痛みも何も感じないのだから、感覚がマヒするほどの痛みを伴う頭痛を、思い出したくないという意識が、叶えられるのだろうか?
痛みを感じることを、呼吸を整えることで、乗り越えられるという意識を持つのだから、呼吸困難というものが、どれほど苦しいものなのかということが分かる気がするのであった。
さすがに、
「飛蚊症による頭痛」
というのは、耐えられない痛みを、呼吸法で乗り越えるということのはずだったのだが、実際には、夢の中では、最初からマヒしている感覚を、ずっと自覚することで、自分が夢を見ているということが認識できることで、痛みを乗り越える」
ということになるのであろう。
ただ、呼吸が、整っていないとするならば、その勢いから、頭痛に襲われるということはない」
と言えるのではないだろうか?
飛蚊症の時は、呼吸を整えることで、痛みを感じないようにすることができ、それ以外の時は、呼吸を整えたとしても、その過程を把握することができなければ、
「痛みを緩和する」
つまりは、
「感覚をマヒさせるということはできないのではないか」
と考えさせられるのだ。
だが、飛蚊症の痛みと、感覚がマヒしてしまうことで、痛みを感じないようにするというのは、本当の力技であり、脚が攣った時のような、
「無意識ではあるが、危ないという時は、とっさに気づくのだが、すでに手遅れだったのだ」
しかも、脚が攣る時というのは、
「くせになってしまっている」
というようなもので、その痛みに耐えかねていると、また痛みが襲ってくるということになるのだ。
この時も、痛みは耐えられるおのではない。
「本当は、脚を曲げたりすれば楽になる」
ともいわれるが、とてもではないが、脚を触りにいくだけの動きが取れないほどに、金縛りに遭ってしまってるのだ。
それを思うと、
「足が攣らないようにするにはどうすればいいか?」
ということを、自分で意識していて、
「危ない」
と思うと、身体を動かすのを辞めるくらいの感覚でないと、何度も同じ痛みを味わうことになるのだった、
「飛蚊症の頭痛」
と、
「足が攣る時の痛み」
どちらがつらいというと、後者かも知れない、
なぜなら、痛みが身体全体に派生するからなのであった。
最近、學校で流行っている遊びがあった。それは、
「ウミガメのスープ」
というクイズであったが、それは、一種の、
「水平思考クイズ」
と呼ばれるもので、元々の発想として、
「男が中華料理屋で、ウミガメのスープを食したのだが、その後、男は自殺をしてしまった。なぜでしょう?」
というクイズなのだ。
要するに、出題は至極簡単、状況を説明しただけで、すぐに結論が出るのだ。だから、聴いた人は、何のことか分からない。
だから、クイズとしては、
「回答者が、出題者に質問をして、真実に近づいていくしかない」
というわけなのだが、質問者ができる質問は、
「イエス、ノー、関係はない」
という答えしか導き出せない質問しかしてはいけない。
だから、質問者としては、
「死んだのは、自殺ですか?」
あるいは、
「他殺ですか?」
などという質問しかできない。だから、相当数の質問を要して、やっと核心に近づいたことで、回答者が閃きで回答するというものだ。
元雄との、発想としては、
「ある男が数人で、船で旅行に出たのだが、その時に遭難してしまい、どこぞの無人島に流れ着いた。そこで、彼らは生き残るため、死んでしまった仲間の肉を食べて生き延びようとしていたのだが、そのうちの一人が、そんな非人道的なことはできないということで、仲間の肉を絶対に食べようとしなかった。だが、それを見かねた一人が、スープにして、それをウミガメのスープだといって食べさせた。そして、その男は生き残ったのだが、それから、中華料理屋に行って、本物のウミガメのスープを飲むと、前に飲んだ時と味が違うということで、男はすべてをそこで悟り、良心の呵責からか、自殺してしまった」
ということである?
それを、背景や心理的な描写を一切言わず、情景と結果をいうだけで、
「なぜでしょう?」
ということになるのだから、質問をして、真相に近づかないと、回答が出るわけはないのだった。
この遊びを、
「ウミガメのスープ」
といい、別名として、
「水平思考クイズ」
ということになるのであった。
そんなクイズの元になった話の中に出てくる。
「船が遭難して、無人島に辿り着き、そこで、生きるためのサバイバルを行う中で、死んだ人間の肉を食べるということが道義上問題はないのか?」
というのが、本当は問題であるが、似たような話として、もっとリアルなところで、
「遭難した船には、救命ボートがいくつも載せられていたが、実際には、全員分があるわけはない。実際には、5人乗りが10台くらいあればいいところであろうが、実際の客や乗組員を合わせて、どれだけの人数になるのか?」
ということを考えれば、とてもではないが、賄えるわけはない。
「乗組員だけでも、全員いきわたるかどうかわからない」
というものであった。
しかし、皆必死に助かろうとして、5人乗りのところにたくさんが密集してくる。5人があっという間に乗り込むと、後の人も助かりたいとして、必死にしがみついてくる。定員が5名だということが分かっているので、必死にすがってくる人をはねのけようとするだろう。
力尽きて死んでしまうのだが、その時、船に乗っていて助かりはしたが、
「自分が助かろうとしたために、他の仲間を見捨ててしまう行為は、果たして罪になるのだろうか?」
ということである。
結論からいうと、罪にはならない。
「その人たちが載ってくれば自分が危険に陥るということで、その状況が立証されれば、法律的には、
「緊急避難」
ということで罪にはならないのだ、状況としては、
「正当防衛」
と同じ括りになっている。
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