第3話 吊り橋の途中
つかさは、中学生になってから、それまで考えていなかったのだが、急に、
「小説を書いてみたい」
と思うようになった。
まわりの友達は、小説というよりも、マンガを描くことに興味を持ち、描くことやデッサンから入っている子が多かった。
しかし、つかさも、デッサンは嫌いではなかったのだが、そこから生まれてくるのは、独自の発想であり、
「この発想は、絵画ではなく、文章だ」
と感じるようになった。
デッサンというものが、
「目の前にあるものを、忠実に描く」
ということだと思っているせいか、自分のオリジナルキャラクターを描くことができなくなっていたのだ。
しかし、自分の中で描きたいのは、オリジナルであり、ストーリーがオリジナルであるのだから、それに伴う絵も、オリジナルであるべきだと考えるようになると、自分の描きたいと感じていることは、やはり、
「絵ではなく、文なのだ」
と感じるようになった。
実際に、そう考えていると、
「マンガ家が描いている絵は、皆オリジナルなようで、そのジャンルの中で、皆同じに見えてくる」
と感じたことで、マンガというものを見る気がしなくなったのだ。
本当はそうではないのだろうが、目の前に見える人の作画に、オリジナリティを感じないせいか、ストーリー展開まで、オリジナリティを感じなくなったのだった。
それを思うと、だんだん自分が、マンガから遠ざかっているのを感じた。
それも、
「マンガというものは、最初だけは関わってもいいが、長くなればなるほど、自分の中で後悔が芽生えてくるような気がする」
というものだった。
「要するに、時間を掛ければ掛けるほど、先の実のために使いたいという時間がおろそかになる」
ということをしたくない。
「若いくせに、そんな年寄りみたいな考え方をするんじゃない」
と苦言を呈する人がいるかも知れないが、たいていそういう人は、年配の人が多い。
ということは、自分が本来なら踏んできた後悔をさせたくないと思うのだろうが、逆に、その後悔をしたくないと思っている、しっかりとした考えを持っている人の邪魔をしたくなるのだろう。
そういう人は、当然一定数いるに違いない。
人間には欲があり、妬みも共存している。
欲が叶わなかった場合、叶えようとしている人を見ると、そこに、
「自分の考えが間違ってはいなかったということを自分で納得したいため、いや、そういう言い訳を作りたいがために、人の邪魔をする」
という考えに至るだろう。
だから、これから時間を大切にしようと思っている人の邪魔をしたいと思うのだろうが、それは、本末転倒だといってもいいだろう。
結果、
「因果応報」
という言葉で跳ね返ってきて、そこに残ってしまうという発想から、ついついというべきか、意識して、人の邪魔をしてしまうということになってしまう。
しかし、一つ言えることは、
「その年配の人だって、人の邪魔をすることを考える暇があったら、自分のための努力をすればいいというわけで、人間は、死ぬまで自分がいつ死ぬかということが分からないのだ」
ということである。
もちろん、ある程度の年齢になり、実際に肉体的な衰えを感じるようになると、
「時間というものを大切にする」
のであろう。
それは、
「自分が年齢を重ねてきた」
ということもあるだろう。
しかし、時代の流れというのもあったのかも知れない。
特につかさが、小学生の高学年になってから、世の中が一変するような、大事があった。それは日本においてのことだけではなく、世界的な、大問題だったのだ。
そう、世界を騒がせた、
「世界的な大パンデミック」
と呼ばれる、新型伝染病の大流行だったのだ。
世界中の誰にもその正体が分からず、海外では、
「都市閉鎖」
と呼ばれる、
「ロックダウン」
と言われるものが、襲ってきた。
そのロックダウンというものは、
「日本という国ではありえないもの」
だったのだ。
というのは、ロックダウンというものは、基本的に、
「有事において、発令される」
というものであった。
有事というのは、
「戦争、災害などで、都市の機能がマヒしてきた場合など」
のことで、
「軍などによって、武力統制する」
というのが、
「都市閉鎖」
というものである。
日本の場合には、2つのことにおいて、このような場合の統制が不可能だった。
一つは物理的な意味である。
というのは、
「日本には、統率しようにも、それだけの力を持った軍隊というものが存在しない」
ということである。
大東亜戦争の後、日本は敗戦を受けて、アメリカを中心とした、占領軍の統治下におかれた。
彼ら進駐軍は、日本を統治するため、それまでの、
「立憲君主」
という制度から、
「立憲民主の国」
に変えることを行った。
その際に一番大きなものとして、憲法改正があったのだ。
つまり、元々の政治体制である、
「立憲」
というのは、
「憲法に則った政治体制」
というものであり、それまでの日本は、
「君主制」
つまり、
「天皇を国家元首とした憲法に則った国家体制」
だったのだ。
それを、今度は、
「国民一人一人に主権のある憲法に則った、民主国家」
というのが、新しい政治体制だった。
そのため、憲法の三原則として、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「戦争放棄」
ということが謳われるようになった。
最後の原則は、
「平和主義」
とも言い換えることができ、
「日本は、再軍備を行わない」
ということが、謳われたのだ。
しかし、時代はそれを許さず、周辺諸国、特に朝鮮半島、中国などが、徐々に社会主義化することで、アメリカを中心とした連合国が考えるようになり、日本に、
「警察予備隊」
なる、当時としては、現在の自衛隊の前身となるものを作った。
ただ、そこには、専守防衛という、
「もし攻められても、守るという、いわゆる、防衛手段しか取れない」
という中途半端なものだった。
だから、時代が少しずつ流れてきてはいるが、基本的には、今の自衛隊というものの大きな任務としては、
「災害が起こった時の救助」
というのが、一番大きな問題なのである。
だから、そんな自衛隊に、国民を統率するほどの力があるわけではない。いくら、国民がパニックになったからといって、武力で制圧するということはできない。
憲法による、
「基本的人権の尊重」
ということもあり、主権者である国民を縛ることは、法律的にできず、抑えようとしても、国民を抑えつけるというようなマニュアルもなければ、訓練もしていない。
本当に抑えつけようものなら、一定数の逮捕者を出したり、威喝的な行為を用いて、人民を脅迫するだけのことをしないといけないだろう。
大日本帝国時代は、教育において、
「有事の場合は、政府や軍において、一定の権利をはく奪され、はく奪された状態で、さらに、国民が一致団結して、国家の目的邁進のために、行動しなければいけない」
ということを教えられていた。
つまりは、平時であれば、憲法上のすべての権利が許されていたが、有事、つまりは、
災害などでは、
「治安維持のために、軍のいうことを聞いて、混乱しないようにしないといけない」
ということであるが、戦争などにおいては、
「天皇による、宣戦布告の詔によって、国民、いわゆる臣民というのは、宣戦布告によって、できた敵国に勝利するために、少々の権利を抑制される」
ということである。
つまりは、戦争に勝つために、政府は国家を上げての、
「戦時体制」
となり、特に先の大東亜戦争などでは、空襲に備えた、被災を最小限に抑えるということで行われた、
「建物疎開」
なるものなど、その例としては大きなものだったであろう。
これはどういうことかというと、爆弾や焼夷弾が落ちた時、周囲に誘爆して、街中が、大火災に覆われて、都市が全滅しないように、都市を、歯抜け状態にしておくというもので、密集地などでは、自治体や政府などが制定した区画内の候補地の家は、
「建物疎開」
という名目で、強制的に壊されることになった。
どこまで補償してくれるのか分からないが、そもそも、戦時体制で、国家も軍も、ただ、
「戦争に勝つ」
という目的を大前提に行っていることなので、政府が一臣民に対して、保証をいちいちするなどということはありえなかったことだろう。
そんな今から考えれば理不尽なことが平気で行われていたのだ。
もっとも、戦争なのだから、どんなに詭弁を弄しても、結局は、
「殺し合い」
であることに変わりはない。
そうなると、日本という国、かつての大日本帝国という国は、臣民もそれらのことを、
「当たり前のことだ」
というような教育を受けてきて、
「天皇は、神として君臨し、あくまでも、日本国を統帥している」
ということだったのだ。
今の時代の天皇は、
「象徴」
であり、権力いわゆる天皇大権と呼ばれるものは、一切なくなってしまった国だったのだ。
そんな国だから、有事なるものは存在しない。だから、
「都市閉鎖」
ということを、
「物理的にも、法律的にもできない」
ということになるのだった。
そんな時代であったが、日本という国も、そこから約10年くらい前に、
「世界で流行はしたが、幸いにも日本では大きな流行もなく、世界的にも比較的短期間で収まった」
と言われる、パンデミックに襲われた時代があった。
その時代に、政府もさすがに、
「このままでは、もし、大きなパンデミックが起こったら、今の法律の中では抑えきれない」
ということで、今の憲法内でできるだけの苦肉の策としての法律を制定したのだった。
もちろん、
「そんなことが起こらないという祈りを込めて」
というものであったが、幸か不幸か、本当にそんな時代が訪れたのであった。
「まさか、起こるにしても、こんなに早く起こるとは思っていなかった」
と誰もが感じているに違いない。
完全に流行は、全世界レベルに広がり、
「世界中、どこにも逃げられない」
という状況になった。
そのため、入国制限であったり、学校閉鎖などということでの、
「蔓延防止」
という策を、取るしかなかったのである。
その方法としては、
「都市閉鎖」
というものに近い形ではあるが、実態は、
「強制も、罰則も設けない」
という、あくまでも、要請単位のことでしかできなかったのだ。
何といっても、
「日本という国は、基本的人権というものを、憲法が保障しているからであり、日本には、有事は存在しない」
ということになっているからだった。
「永久的に誰にも犯すことのできない個人の人権は、いくら伝染病が蔓延しようとも、それを犯すことはできない」
というものであった。
もっと言えば、
「要請でしかないので、罰則もない。法律では裁けない」
ということであった。
後は、国民のモラルの問題というものが必要なのだが、実際に、
「世間の目」
というものがあることで、国家の目標に、かなり近づいてはいた。
しかし、この状態を、
「緊急事態宣言」
と呼んだが、この宣言には、いろいろな問題があった。
街中で、店が休業を行っていると、それを狙う、一種の、
「コソ泥」
「空き巣」
の類が増えてきたのだった。
さらに、
「要請を守らない」
というところに対して、
「自粛警察」
というものを名乗る一部の連中が、誹謗中傷などで、集中攻撃を負わせるというようなことまで発生した。
それがいいことなのか悪いことなのか、その問題は大きかった。
最初だけは、本当に行動制限を行い、見た目は、
「都市封鎖」
のようであったが。二度目からは、どんどんその形が消えていき、途中からは、
「宣言が出ているのを知らなかった」
というほど、世の中はまったく規制が掛かっていないというほどになっていたのだった。
そんな時代に、社会は一変したのだが、今では、少しずつ元に戻りつつある。
ただ、それがいいのか悪いのか正直分からない、なぜなら、
「政府が国民を見放して、経済を優先し始めた」
ということからだった。
「日本は、アメリカの属国なのだから、しょうがない」
と言っている人が昔から一定数いて、
「何をバカなことを言っているんだ」
とほとんどの人が思っていたが、今では、
「ああ、本当にそうだよな」
という人が、かなり増えてきている。
それが、
「今のこの日本という国を象徴している」
といってもいいのではないだろうか?
そんな時代になってきて、思春期と呼ばれる時期を、そんな、
「まわりから抑圧された世界の中で過ごしてきた」
という、つかさのような年齢の子供たちは、大人たちとは、まったく違った感性を持っているのかも知れない。
学校において、
「皆で仲良くお勉強」
というわけにはいかない。
「学校に行っても、閉鎖しているのだから、行くことはできない。友達と遊ぶどころか、会うこともできない」
さらに、マスクやうがい、手洗いなどの徹底というのも、それだけであれば、予防ということで必要なことという意識を植え付けるのでいいのだろうが、そこに、
「自由の抑圧」
なるものがあると、どうにも精神的に、追い詰められたということになるのだろう。
特に、思春期という多感な時期、身体も、子供から大人への変革期に当たるというものだ。
それを考えると、
「学校が機能していないということは、社会も機能していない」
ということは、子供にも分かることであった。
つかさという女の子は、結構、
「聞き分けのいい」
という女の子であり、自分の中の理屈、そして、社会というものの成り立ちとを、自分自身で理解しているつもりだった。
「自分で理解している」
というのは、
「そのつもりになっている」
という考えであっても、自分の中でしっかりしたものを持っていれば、それは、決して、
「過剰」
ということではなく、あくまでも、自分が考えていることを、自分の中で理解しているということを自覚しているのだから、
「大人顔負けの発想だ」
といってもいいだろう。
特に、つかさの場合は、自分のことを、
「誰よりも分かっている」
と思っていて、それは他の人とは違い、さらに、
「誰よりも自分のことを分かっているということを分かっている」
という感覚であった。
それだけ、
「自信がある」
ということなのかも知れない。
普通の人はそこまでの感覚を持っていたとしても、ついつい、
「自信過剰になっていないだろうか?」
と考えることで、少し控えめにしようと考えることだろう。
だが、つかさは、そんなことはしない。
「自分の気持ちや考えを、表に出すことの何が悪いというのだろうか?」
ということを考えているのだった。
そんなつかさが、
「小説を書きたい」
と考えたのは、
「正解だったのではないか?」
と、つかさ自身は思うようになった。
小説を書くことが好きなのは、
「オリジナリティなことが好きだ」
ということと、
「自分の表現をしたい」
ということが強かったからであるが、この二つは、
「似ていないようで似ている」
と言えるし、
「似ているようで、思っているよりも、距離がある」
と思えるのだった。
その距離というものが、実に精神的に微妙な距離だから、どちらから見たとしても、その距離の曖昧さは、錯覚という範囲で理解できるものになっているのかも知れない。
つかさにとって、
「オリジナリティというのは、自分を表現するための力となるものであり、逆にオリジナリティがなければ、それは表現ではない」
と言えるのではないだろうか?
つまり、逆も真なりということでもあり、
「自分を表現したいと思うのは、オリジナリティのあるものを作りたい」
ということであり、結果として、
「自分を表現する」
ということになるのであり、本当は、自分のオリジナリティを表現したい」
ということの現れではないだろうか?
つまり、最初から、自分を表現するということになるのであれば、そこには、自分で考えている、
「オリジナリティ」
というものは存在しない。
つかさが考えている、
「オリジナリティ」
というものは、あくまでも、架空の物語であり、リアルではないのっであった。
だから、
「自分をそのまま表現するというのは、リアルなことであり、自分が作り出したオリジナルではない」
と思うのだった。
それだけ、つかさは、
「自分を表現するために小説を書くのではなく、あくまでも、自分の中に潜在している才能を表に出したい」
という気持ちで小説を書いているのだ。
だから、
「自分を表現したい」
という気持ちは多いにあるのだが、それによって、見えてくる、
「表現したい自分」
というものが、虚空のものであり、
「まわりが見ている自分ではない」
と感じるようになった。
だから、つかさは、自分がまわりの人の中にいても、
「自分だけは違う」
という気持ちになっているのだ。
そこに、どのような感情が含まれているというのか、それを考えると、今度は、
「自分が、なぜオリジナリティを求めるのかということが、逆の見方から分かってきたのだった」
と考えられるのだ。
「人との違いをオリジナリティと考え、まわりからも、そう思われたい」
という気持ちが、つかさの今を作っているといってもいい。
ただ、一人だとそのリスクも高い。絶えず、
「これでいいのか?」
という不安にさいなまれているというのも事実で、自分でも、どうしていいのか分からないと思うこともあったりするのだ。
そんな時に見た夢の中で、一つ気になったのが、
「つり橋の上にいる」
という夢であった。
たぶん、夢の意識が残っているのは、そのつり橋にいることを、
「怖い」
と、瞬時に感じたからであろう。
実際に、そのつり橋の上にいる時、怖いと感じたのは、最初ではなかった。
というのも、最初から、吊り橋の上にいるという意識がなかったからだったのだ。
今までに、
「吊り橋を渡ったことはなかった」
という意識があった。
というのは、
「つり橋というのが怖い」
という意識があったからで、
「誰が好き好んで、恐ろしいところを渡るというのか?」
という考えからであった。
それはそうだろう。渡らなければいいものであるなら、何も無理して渡る必要はない」
というものである。
それを無理に渡ろうとすると、その時は無事に渡れたとしても、精神的なショックから、
「トラウマになってしまう」
と感じるのではないだろうか?
特に、つかさという女の子は、自分でも、感受性が強いと思っていて、だからこそ、
「トラウマに陥りやすい」
と思うのだった。
いや、
「トラウマに陥りやすいから、感受性を強くしておかないといけない」
という、心構えのようなものから来ているのではないか?
と感じるようになっていたのだ。
だから、最初から、吊り橋のような怖いところには、近づかないようにしていたはずだった。
しかし、見えている吊り橋は、以前から知っていたような気がして、しかも、吊り橋を見ているうちに、いつの間にか、自分が吊り橋の真ん中あたりに移動しているのを感じたのだ。
その場所から、下を見ると、明らかに足がすくんでいて、怖がっているのも分かるのだが、それも、まるでデジャブのごとく、
「以前に感じたことがあるような」
という感覚だったのだ。
ただ、少ししてから、そのデジャブの正体が分かった気がした。
「ああ、以前書いた小説の内容じゃないか?」
というものであった。
小説の内容は、いつものごとくの、
「完全オリジナル」
であった。
しかも、恐怖を煽るような作品で、本当であれば、自分が味わったことを書くべきなのであろうが、
「怖がりだ」
という理由と、さらには、
「これこそ、オリジナル」
という思いも重なって、怖いことでも書ける気がして書いたことがあった。
ただ、完全に妄想だったので、妄想でも怖いものに立ち向かえるだけの勇気はない。だから、どこかで妥協したような小説になってしまったのだ。
と考えていた。
そう考えると、自分が夢で怯えている、
「怖い夢」
というのは、本当の怖い夢ではないのではないかと思えたのであった。
そう、自分が書きたいと思っている、
「完全オリジナル」
という発想。
これが、自分の中で、
「本当に恐怖だ」
と思うようなことを描かせてくれないのだ。
だから、中途半端な感覚が自分の中で、
「怖いと思っていることは、本当の恐怖ではない」
という自覚があるのかも知れない。
だから、それを暗示させるかのような夢として、
「マトリョシカ人形」
のような、
「人形の中に人形を隠す」
という発想で、それこそ、
「木を隠すなら森の中」
という発想を植え付けるのではないだろうか?
そう考えれば、
「怖がりであることが、オリジナリティを掻き立てて、そのオリジナリティへの掻き立てというものが、文章を書く、妄想するということへといざなっているのかも知れない」
と言えるのではないだろうか?
今の世の中において、なかなか、想像性のあるものを作り出すという発想を持っている人が多いように思えるが、実際に、
「それができる」
という人は少ないだろう。
なぜなら、想像性のあるものを作成していくには、それなりの、
「通らなければいけない壁」
のようなものがある。
その一番大切なものは、
「継続ではないだろうか?」
どんなに書きたいものがあっても、それを書き上げるだけの気力が途中で失せてしまえば、何にもならない。そこまで書いたものが無駄になるのではないか。
人によっては、
「途中まででも書いたのだから、それは価値がある」
という考えの人もいるが、つかさはそうは思わない。
「作り上げるつもりで始めたものであれば、いくら99%できていたとしても、それは、まったくできていないのと同じだ」
ということであった。
「オールオアナッシング」
という言葉がある。
つまりは、
「ゼロか100か、それ以外はないに等しい」
という考えであるが、
「小説を書く」
ということを考えるようになる前は、
「そんなことはない」
と思っていたつかさだったが、今では逆である。
「書き始めたものは、最後まで書かなければ、いくら途中まで書けていたとしても、それは、ないに等しい」
と思うようになった。
なぜなら、
「今回の作品は、たまたまうまくいかなかっただけで、次回作では、バッチリ完成させるぞ」
などと思っているとすれば、それは大きな間違いである。
というのは、
「小説というものは、書き上げてなんぼだ」
と言えるのではないだろうか?
途中の過程というのは、正直関係ないのだ。完成させることで、作品としての価値も出るわけで、価値がなければ、成立もしない。
それを考えると、
「小説の書き方」
などというハウツー本には、必ず書かれていることであるが、
「小説を書けない人のほとんどは、途中であきらめるからだ」
と書かれている。
そして、
「どんな作品であっても、必ず、最後まで書き上げるという気力を持つことが大切だ」
ということであった。
というのは、富士山などの山でもそうなのだろうが、
「頂上に登らなければ分からない景色がある」
ということである。
いくら途中まで登ったとしても、最後まで登らないと、頂上からの景色は見えないということである。そもそも、山に登ろうとする人は、
「頂上からの景色を見る」
ということを目指している人がほとんどだろうからである。
よほどの理由がない限り、
「今日は、途中まで登ったから、これでよしとしようか?」
と思わないだろう。
なぜなら、途中まで一度上ったということで、次回は、そこから登れるわけではない。もう一度、麓からそこまで登って、そこからさらに頂上を目指すということになるのだ。
つまりは、もう一度途中から登れるという時は、
「継続の途中」
だということでなければ、登れるはずがない。
要するに、何が大切かというと、
「継続」
ということなのだ。
「継続は力なり」
という言葉があるが、まさにその通り、最後まで登り切らなければ、結局は最初からということになり、そこまでせっかく作ったプロットも、途中まで書いた内容も、すべて、御破算となり、最初からなかったことになってしまうということである。
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