井苅言葉は、語りだす。
「それは……その……
笹葉くんと……離れたくなかったから…………」
―― 彼は聞き間違いかと思った。
しかし、また少しの沈黙が続いた後、彼女は、それこそ昔のように、少しづつ、少しづつ、語りだした。
「あのね、私ね。本当というか実はね、別に……みんなが思ってるほど、怒ってるわけじゃないの。あの事だって、もう ずうっと前に、許してるし、むしろ私こそ……申し訳なくって」
それは、彼にとって想像だにしない言葉であった。
他の女子や、良識ある男子が言うように、彼女は自分に殺されかけたのだから、怒っていたり恐怖していて当然で、それは自分が負うべき責任で、幼馴染だからこそ、きっと謝っても許される事ではないのだと。ずっと、そう思っていた。
「あのね、あの日にね。私は笹葉くんが助けてくれて、嬉しかったの。もちろん、浮き輪を取ったのはビックリしたよ?怖かったし。
でも、それが間違いだって分かった瞬間、誰よりも必死に、笹葉くんは私を助けてくれようとしたよ。だから、本当は、許すも何もなくって。だから、ずっとずっと話したかった。話したかったの」
全く理解できなかった。では、どうして何も喋らないのか、話せなかったのか。分からなかった。ずっと何も分からなかった。この二年間、ずっと彼女は普段通り仏頂面で、こっちを見ていると思ったら、たまに怒りからか顔が赤くて。俯いていて。
「だけど、話したくても話せなかったの」
どうしてなんだ。
「どうしても、話そうと思うと、ずっと恥ずかしくなって。なんだか上手く言葉が出てこなくって。だけど、いつも笹葉くんもしかめっ面で、怒ったような顔してて。だから、こう、わからなくて……だけど話そうとすればするほど、話せなくなっちゃって。ごめんなさい……ごめんなさい…………」
違う、そうじゃない。
自分が悪いんだ。だから、自分が怒るなんてのは本当に筋違いで、こんな風に誤らせるなんてのは全然違って。真逆で。だから、そんな風に涙を
まるで子供の頃に戻ったみたいだ。お互い、最初は人見知りで、上手く話せなくって。今では友達もできて、そんな事を思い出したのは、いつぶりだったか。
「だから、ずっとずっと悪いのは私なの。だけど、他の女子が言ってる事も間違いじゃないし、私の事を思って言ってるのも分かるから、否定しづらくって。だから居る時に、止めることくらいしかできなくて……
そんな私の方が、卑怯で、ずるくって、本当は傷付いてるのは笹葉くんなのに、それを説明することもできなくて。二年間ずっと、私が謝らなくちゃいけなくって」
そして嗚咽が始まる。いや、正確には、既に言葉の合間合間に入っていた。
ただ、それが嗚咽であると気付くまで、時間がかかっていた。自分だけが苦しんでいると思っていた自分の愚かさに気付いた衝撃で、何もかも見えていなかったのだ。彼女もまた、苦しんでいたのだ。
だから、震える声で、彼もまた喋りだす。
「違うよ、違う。僕が悪いんだ」
「そうじゃないよ、私が悪いんだよ」
「いや、僕が悪いんだ!」
「違う違う!私が、私が何も言えないから!!」
こういう時にどうするべきか。誰にも正解は分からないだろう。
だけど、泣いている幼馴染がいて、その幼馴染が自分の為に泣いていて。そんな時に何が出来るだろう?それは最初から示されていたのだ。彼女は離れたくなどなかったのだ。話したくないんじゃない、離したくなかったのだ。話さないででなく、離さないでと。なら、それなら。
抱きしめ、叫ぶ。
「言葉は、悪くない!!僕が……僕が、あの時、ずっと言えなかったのが悪いんだ!!
何度も何度も言葉ちゃんと僕とが夫婦だとかなんだとか囃される
叫ぶ。
「えっ、それって……どういうこと…………?」
叫ぶ、叫ぶ。
「好きだ……好きだ言葉!!僕は言葉ちゃんが、きっと、あの時から……いや、きっと、それよりも前から好きだったんだ……!!許してくれ。許してくれ!!」
心の底から叫ぶ。それに対し、山彦のように呼応する。鈴の音のような言葉。
「私も……私も好きだよ!笹葉くん!!ごめんなさい、ごめんなさい!!」
もう、どちらが言ったのかなんてのは関係なかった。
「もう二度と、離さないから!!」
そこにあるのは、ただ一つの愛だった。
相手が望むのであれば、自分よりも、それを優先する。それが愛でなくて何だと言うのだろう?
そこに言葉は要らなかった。
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