花ノ木笹葉は、決意する。

 自分の置かれている地獄の日々というのは、きっと本当の地獄よりは全然に生ぬるい。だけど、それだけに辛いのだと、そう彼は思った。それが生き地獄なんだと。


 それからの日々、言葉からは一切の話しかけが無くなった。

 たまに見られているような視線を感じたりはするが、目を向けた時には逸らされている。そして、その様子を他の女子からは見咎められる。責められる。


 曰く、アンタが言葉を傷つけたんだから当然の報いだ。

 曰く、そんな事するなんて信じられない。井苅ちゃんに話かけようとしないで!

 曰く、どうして許されると思ってるの?下手したら死んじゃうんだよ?

 曰く、なんでそんなに仏頂面なの?被害者面でもしてるの?申し訳ないなら


 わかってる、わかってる!わかってるんだよ!!

 だけど、そんな事を言っても彼女らは変わらないだろう。言葉だって変わらない。そして、事実は事実だ。自分は大事にしていた幼馴染を、気の迷いだろうがなんだろうが、本当に殺しかねないところだったのだ。大袈裟な話じゃない。いくら監視員の人がいたとしても、ちょっとでも救助が遅れたら?そして自分が助けれなかったら?波の出るプールなんて、奥に進んだら深くて危険だってのは、小学生だって考えなくても分かることだろう。それとも、それも分からないほど自分は馬鹿だったか?


 ……そういう自責の念と、だからこそ出る八つ当たりのような、分かってる事を言われる苦しみと。そして後悔。それはずっと続いていた。

 幸か不幸か、言葉とクラスが変わる事は無かったので、その苦しみは延々と続いた。いっそ、まだクラスが離れていれば、まだ違ったのかもしれない。だが同時に、その苦しみこそが罰なのだと、そう思って耐え続けてきた。

 だが、時には自分の布団に籠もり、隣家の壁越しにも伝わらぬよう、泣く。


 彼女は今もずっと、話をしてくれない。

 だけどクラスの雰囲気を壊さない程度にはしているのか、女子からの口撃は兎も角として嫌がらせらしい嫌がらせはなく、同じ班になったなら必要な連絡や声掛けはしてくれる。たまに口撃をしようとする女子には止める事さえあった。

 その心が分からなかった。だからこそ、その苦しみは一層と酷くなった。


 親たちからは何も聞かなかった。ただ、ちょっと何かあったのだろうという事はバレていただろうけれど、だけど必要以上の追求はしなかった。きっと話題になる度に、顔では取り繕えていたとしても、何かから聞いたり察したのだろう。そんな出来た親に対して、これほど申し訳なさと同時に、怒りを覚える事もなかった。

 それなら、まだいっそのこと怒ってくれればよかった。そう思うと同時に、いや、それは自分が楽になりたいだけだ……とも、そう思うのであった。


 だが、それも流石に我慢の限界だった。限界になってしまった。

 中学三年……つまり受験生になって、高校を受ける段階。

 井苅言葉が、自分と同じ高校へ行くと聞くまでは。


 ああ、そうか。きっと言葉は、自分を許す気なんて無くて、高校でも、なんなら大学でも、この関係を続ける気なんだ。これからも生き地獄は続くんだと。

 これまで、幼馴染だから許してくれるだろうと思っていた。謝ったりする機会も何度も設けようとした。だけど、それでも足りないんだ。そうか、そうなんだね。


 ………………逃げよう。


 初めて、彼はそう思った。これまでで初めての気持ちだった。

 責任は取るつもりでいた。だから甘んじて受け入れていた。そのつもりだった。だが、それでは何も変わらない。逃げない事は美徳でも、それを絶対に許さないという意思には、きっと美徳ではないのだ。自分は一生このままで、それを忘れないつもりではいる。だけど、強制的に忘れられないようにするなんてのは、きっと悪意でしかない。そこまで自分が許されないのなら、何処かに消えてしまおう。

 ……船が良いな。飛行機とか電車とかも、良いっちゃ良いんだけれど。それより海を渡る方が、良いに違いない。海を渡って、世界を巡るんだ。誰も知らない所へ。


 そうして彼は、遠い何処かに行かんとするため、第一第二の志望を近場の水産高等学校と、何県も何県も南東にある商船高専へと変更するのであった。



――――



 ……いや、それで良いのか?と彼が思うのは、その数ヶ月後であった。

 違う、そうじゃない。そうじゃない。それは逃げだ。


 彼は、決意した。この地獄に、何かしらの決着を付ける事を。その結果、今より酷い地獄が待っているのだとしても。それが責任というものだと思ったのだ。

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