●43 無双 9





「へぇ……?」


 我ながら、自身の進化の速さには感心してしまう。無意識、無自覚のまま、天井知らずに俺は変化を続けている。神の領域すら超越して。


 まぁ、これも八悪の因子のおかげかと思うと、微妙な気分にならざるを得ないのだが。


 俺は軽く左腕を振るい、ヘパイストスの襟首から手を放す。すると学者然とした矮躯は放物線を描き、真っ二つになった円卓の近くへと転がった。


 言うまでもなく、留飲りゅういんはまったく下がっていない。イゾリテをあんな形で自爆――否、【自殺】させたこいつを、許す道理を俺は持ち合わせていない。


 それでも殴る拳を止め、いったん離したのは、このままではアバターと接続しているヘパイストスの本体を精神的に殺してしまいそうだったからだ。


「おい、まだ意識はあるよな? なら俺の声が聞こえるはずだ」


 不可視の床上で、陸に上がった魚のごとく震えるヘパイストスに、俺は容赦なく言い放つ。


「……ぁ……ぁ……」


 当然ながら返事はおぼつかなく、息も絶え絶えだ。だが、その両手はしっかりと床をつき、どうにか体を起こさんともがいているようにも見える。そう、まだこいつの闘志は【生きている】のだ。


 しかしながら、先程の尋常でない一撃がヘパイストスの内に宿るヘラにまでダメージを与えたのか、黒紫の燐光が今にも消えそうに明滅を繰り返していた。


 ――うっかり殺してしまわなくてよかった、とでも思うべきか……?


 俺にとっては大した障害になってないが、客観的に考えれば、恐るべき執念、と称してもいいだろう。ここに来て若干引いてしまう程には、ヘパイストスおよびヘラの執拗さは凄まじかった。あるいは一体化することによって、相乗効果でも出ているのだろうか。


 まぁ一切合切、心底どうでもいいことだが。


「お前に――いや、【お前ら】に質問だ」


 故に、躊躇ためらいもない。


「返事は必要ない。心に思い浮かべるだけでいい。それだけで『情報』が俺に伝わる」


 もちろん、慈悲なんて微塵もない。




「【箱庭のロールバックのやり方、わかるよな?】」




 こればかりは敢えて、ヘパイストスだけでなく、この場にいる聖神全員に聞こえるように言った。


 そして、それだけで事が済んだ。


「――な……ぁ……っ!?」


 そう呻いたのはヘパイストスだったか、それとも壊れた円卓のかたわらで尻餅をついているアポロンだったか、あるいはそれ以外の聖神だったか。ゼウスでないことだけは確かだが。


 そして、声を出さなかった聖神も含めて全員がアバターの顔を青ざめさせる。これはゼウスも含めて。


「……はっ」


 不思議なものだな、と心の中だけで吐き捨てる。


 さっき見た通り、アバターの内部に血など流れていない。謎の透明な液体しか詰まっていないはずなのに、こういう時は顔がちゃんと蒼白になるし、怒り狂えば真っ赤になる。おそらく透明な液体が状況に合わせて色を変化させているのだろうが、無駄に芸の細かいことだ、と一周回って感心してしまう。


「……へぇ、ふぅん……【なるほどな】」


 頭の中に広がった『情報』に相槌を打つ。


 聖神らが脳裏に思い描いたからだろう。【概念的に引き寄せられた】ロールバックの『情報』が俺の魂へと寄り集まり、その詳細が流れ込んでくる。


 何ということもなく、あっさりと馴染んだ。


「――なんだよ、大して難しくもねぇじゃねぇか」


 少しだけ拍子抜けする。意識に流れ込んできた知識には、さして難しい手順は含まれていなかったのだ。


 詰まる所、技術的には非常に簡単な部類、ということ。箱庭の運営をちょっとかじった新人ですら、手順書片手に実行できるほどの。


「まったく、散々もったいぶりやがって」


 我ながら〝らしくない〟愚痴が口を衝いて出る。


 いや、わかっている。わかってはいるのだ。聖神こいつらが渋っていたのは技術的な理由でないことぐらい。


 だが、実際に詳しい手法がわかってしまうと、どうにも腹が立ってしまう。


 こいつら、こんな簡単なことを無駄にここまで引き延ばしやがって――と。


 はぁ、と溜息を一つ吐いて気持ちを落ち着かせると、俺は努めて明るい声を出した。


「とにかく、これでオッケーだ。やり方はよくわかった。もうお前らに頼る必要なんてない」


 そして、呆気にとられる聖神らの顔を眺め回し、一転して低い声音で告げる。


「――用済み、ってことだぜ? つまり」


 その瞬間、ゼウスを除いた全員が震え上がった。


「――――――――~ッ……!?」


 震える体を叱咤して立ち上がろうとしていたヘパイストスも、凍り付いたように動きを止める。さっきまで苦し気に歪ませた顔で俺を睨んでいたのに、今は絶望の表情に取って代わっていた。


「あー、なんだっけ? この空間ごとぶっ壊せば、お前らの〝本体〟にもそれなりにダメージがいくんだろ? まぁ、俺だけは無傷で終わると思うんだが」


 適当に辺りを見回し、いかにも仮想空間の輪郭を眺めているような振りをする。


 言わずもがな、この会議用の空間を壊すことなど造作もない。その気になれば、指を一つ鳴らすだけで爆砕できる。


「ここを壊した後、俺の〝本体〟とお前らの〝本体〟とでぶつかり合えば――いわゆる【殺し合い】になるよな? わかってるんだぜ、もう」


 ニヤリ、と口元に笑みを浮かべる。


 あ、いや、いかん。これじゃ完全に悪役というか、まさしく〝魔王〟ではないか。八悪の因子に色々引っ張られているせいか、段々と悪人ムーブが板についてきてしまっている感がある。自重せねば。俺はこれでも〝勇者〟なのだから。


「もちろん、俺とお前らが本気でやり合えばどうなるかなんて――いちいち言わなくてもわかるよな?」


 とはいえ、だ。吐く台詞がことごとく脅し文句になってしまうのは、いかんともしがたい。今はそう状況だ。


「俺は、【お前らを無意味にできる】」


 そううそぶいた瞬間、聖神らのほとんどが鋭く息を呑んだ。


「この意味、わからないなんて言うなよ」


 無意味にする――それはつまり、聖神の本質でもある〝魂〟を覆っている〝膜〟を破壊することを意味する。


 この高次元の本質は『情報の海』。何もかもが『情報』で出来ており、『情報』たることが、その存在を確たるものとする。


 そして『情報』が意味を持つのは、〝膜〟で覆われ『個』として確立し、その中身に整合性があるからだ。


 しかしもし〝膜〟が破れ、『個』の中身が『情報の海』へと流れ出し、混ざり、意味のわからないものへと変化すれば――?


 それ即ち『意味の消失』――そう、無意味化だ。


 実際、俺はこの仮想空間に至るまで、あらゆるものを破壊し、無意味化し、蹂躙じゅうりんしてきた。


 今更ここにいる聖神らをそうできない理由がない。


 俺はこいつら全員を無意味なものへと変換し――【殺せる】のだ。


 が、しかし。


「――ま、そうしてやろうとは思ってたんだよ。実際。ここに来るまでは」


 緊迫した空気を和らげるように、俺は軽く言った。


 そう、箱庭をロールバックさせてイゾリテを取り戻したら、聖神という聖神を片っ端から無意味化して、何の価値もないスクラップデータに変えてやろうと思っていた。


 何が神だ、何が上位存在だ、どいつもこいつも魔王や魔族以上のゴミクズじゃねぇか。完膚なきまでに滅ぼし尽くしてやる――そう決意していた。


 しかし。


「ちょっと気が変わっちまった。まぁ、アレだ。【いいこと】を思いついた、ってやつだ」



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