●43 無双 8





 そうして衝撃の逃げ場を失ったヘパイストスの全身を、俺の拳から伝わった破壊力がこれでもかと駆け巡る。蜘蛛かアメンボのごとく広げていた四肢にも伝わり、ビクンビクンと激しく痙攣けいれんする。


「俺はな、お前を思いっきりぶん殴れる時をずっと……ずぅっと待ってたんだぜ」


 左手でヘパイストスの胸ぐらを掴みなおし、再び右拳を側頭部へ叩き込んだ。ガツンとした手応えと共に、すぅっ、と胸がすいていくのを感じる。


 そうとも、この瞬間をどれほど待ち焦がれたか。


「そもそも発端はお前だったよな? 何もかもお前が元凶だったよな?」


 問いながら、しかし俺は腕を止めない。そのまま何度も同じ動作を繰り返し、ヘパイストスの横っ面に拳を叩き付けていく。


 重く、鈍い音が連続する。


 電流を流されたモルモットのようにヘパイストスが全身を震わせるが、歯牙にもかけない。


「お前が始めたんだよな? 俺との喧嘩を。いや、俺達との喧嘩を」


 聖神が使うアバターが壊れないことは知っての通りだ。ポセイドンとアテナを叩きのめした経験則からも、この次元に来てから仕入れた『情報』からも確認済みだ。先程ゼウスが言っていたように、箱庭や仮想空間ごとでなければ破壊不能なのだ。


 【だから手を緩めない】。


「――――~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?!?」


 ヘパイストスは悲鳴すら上げられない。何なら、その内に宿っているヘラすらも。


 俺は一切の遠慮なく、手加減なく、慈悲なく、俺はヘパイストスを殴り続ける。さながら削岩機さくがんきのごとく。


 こいつとて、いっそ壊れた方が幸せだったろうに。すぐに砕けてしまえば、それ以上は殴る蹴るができなくなってしまうのだから。


 しかしながら、そうはならない。こいつらは〝傲慢〟にも、己が使用するアバターにだけ破壊不能属性というものを付与している。箱庭の住人にはそんなもの一切ないというのに、自分達にだけはそのような属性を付与し、特権階級に収まっていたのだ。


 言わばこれは、その報いでしかない。


「その挙げ句、お前がイゾリテを殺したんだよな? あんな卑怯な手を使って」


 既にこいつが、イゾリテを始めとした俺の関係者に接触し、あれやこれやと【仕込んでいた】ことは完全に把握している。この次元にきて『情報』を読み込むことで、その全てがつまびらかになった。今の俺は【すべて】を知っている。


「楽しかったか? なぁ? 面白かったか?」


 この聖神ヘパイストスは、卑劣にもイゾリテやガルウィンに自爆用の聖具を与えていたのだ。いざという時の最終手段として。


 しかも、選定の基準がクソすぎる。あまりにも下劣だ。


 俺に近く、それでいて弱く、庇護の対象になるであろう相手――そう、まさにイゾリテやガルウィンのような教え子を選んで、自爆要員にしていたのだ。


「してやったり、とか思ったか? ざまぁ見ろ、とか思ったか?」


 俺が油断するであろう相手に自爆用の聖具を持たせ、しかもその記憶と認識を奪い、当人らにすら『己こそが最終兵器である』ということを知らせなかった。


 まさしく、人間爆弾。


 そんなものを作り出す行為が、どれほど賎劣せんれつで、どれほど醜悪で、どれほど非道なものなのか――知らなかったとは言わせない。


 なにしろ聖神だ。聖なる神を名乗っているのだ。道徳について俺が教えをさずけるまでもない。


 そうとも――【わかっていてやったのだ】、こいつは。


 何もかも、全て。


 だからこそ許すわけにはいかない。


 何もかもを知悉ちしつした上で行われた、下衆げすの悪逆無道。


 これを『罪』と呼ばずして何とする。これ以外の一体何を『罪』と呼ぶというのか。


「……ふざけるなよ……」


 機械のように正確に、俺の右拳は繰り返しヘパイストスの横っ面を殴りつける。インパクトの轟音がビートを刻む。一撃ごとにヘパイストスの全身が激しく震える。生き地獄を味わっているであろうその姿を見ても、まるで溜飲が下がらない。


 まだだ。まだまだだ。


「――っざけるなよ……!」


 半ば義務のように動いていた腕に、さらに力が籠もった。決して削れないヘパイストスの顔をなお削るように殴る音が、より大きくなる。


 思い返すだに、はらわたが煮えくりかえる。


 発端は、セントミリドガル王国での騒動。ある日突然、十年も勤めた戦技指南役の座を奪われ、死刑を宣告され、すったもんだの挙げ句の国外追放。


 そこからはもう、本当に色々なことがあった。枚挙まいきょいとまがないほど。『情報』を読み込んだ今なら間違いないと確信できる、聖神ヘパイストスが原因たるアレコレが。


 この野郎、俺達四人を箱庭から排除するために、ありとあらゆる手段を駆使していやがった。ジオコーザやヴァルトル将軍、モルガナ王妃のピアスはもちろんのこと。


 突如、各国の軍に配備された聖具もこいつの仕業だ。


 一般兵が装備する鎧やヒートブレイドを始め、果てはミドガルズオルムのような古代聖具の復活にも、このクソ野郎が一枚も二枚も噛んでいる。


 それだけでなく、セントミリドガルにおける五代貴族の叛逆や、人界大戦における中小勢力の台頭、シュラトやニニーヴの暴走まで――


 当時の苦労を思い出した瞬間、一気にボルテージが上がった。




「――ざけんなッッ!!」




 怒り心頭に発し、こぶしに凄まじい力が入ったところ、ゴギャッ! とこれまでにない手応えがあった。


「――――~~~~ァガッ!?」


 途端、一際激しくヘパイストスの肉体が痙攣した。手足がピーンと伸び、


「――ぉぶぉ……!?」


 目、鼻、口、耳――つまりはアバターに空いた穴と言う穴から、何やら透明な液体が盛大に噴き出した。宇宙空間を背景とした不可視の部屋、その床に一瞬にして大きな水溜まりが出来上がる。


 血液――ではない。おそらくアバター内部を循環する、何かしらの流体、だろうか。エムリスがこの場にいたら即座に回収して研究対象にしそうだが、あいにく俺にそのような趣味はない。


 しかし、箱庭でアテナやポセイドンを蹂躙した際にはこのようなしるは出ていなかったように思うのだが――いや、そうか、なるほど。


 そういえば、あの時は正真正銘の宇宙空間だった。体液など飛び出た瞬間に凍りつくか、あるいは揮発してしまっていたのだろう。


 だが、ここは背景がそう見えるだけで、実際には大気も重力もある通常空間だ。本来、作り物でしかないアバターには呼吸も必要ないのだが、どうせ適当に箱庭の環境設定をそのまま持ってきたとか、そういった理由なのだろう。わざわざ読み込んだ『情報』を精査するまでもない。


「……ぁっ……ぁ……っ……ぁっ……!?」


 聖神の思わぬ変化に思わず手を止め、観察していると、いつまで経ってもヘパイストスの痙攣は止まらなかった。延々とビクビクし続けている。


 それにしても先程の妙な手応えは何だったのか。見たところ、アバターの頭部に大きな変化はない。どう考えても頭蓋骨を粉々に砕いたような感触があったのだが。


「――ふむ」


 ひとくさりヘパイストスの様子を観察すると、またしても新たな『情報』が脳裏に浮かび上がる。


 いかん。どうやら俺は自己評価が低すぎたらしい。


 ヘラがアバターなしでも仮想空間に顕界げんかいできたように、俺にも同質の――いや、それ以上の力が宿っていたようだ。


 つまり、今の一撃は仮想空間内という〝制限〟を越えて、直接ヘパイストスの【内部】――魂、精神と呼ばれるものへダメージを与えた手応えだったらしい。


 いや、ヘパイストスの本体は仮想空間の外にあるはずなので、外部、と言った方が正確か?




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