●43 無双 7





 魂の内部で八悪の因子が活性化しているせいか、言葉遣いがやたらと乱れ、汚くなる。まさに、口を衝いて出る、といった感じで、心にもない言葉が勝手に紡がれる始末だ。


 ――おいおい、俺よ、品位は保てよ。仮にも勇者だろうが。


 我ながらまったく嘆かわしい。もはや神と呼ばれた連中を超越した今となっても、八悪の因子の影響からはまぬがれ得ないとは。エムリスのやつも、とんでもない代物しろものと契約させてくれたものだ。


 俺は努めて呼吸を深くし――別にしなくても死なないのだが――、自己制御セルフコントロール。オーバーヒートしかけていた頭の芯を冷やすと、


「……ん?」


 異変に気付いた。


 頭上、つい先程までヘラの巨大骸骨――上半身のみ――が浮いていた空間に、未だしつこく暗紫色あんししょくの輝きがダイヤモンドダストよろしく散らばっている。


 キラキラと煌めく、どこか玉虫色めいた光はしばし所在なさげにしていたが、やがて静かに下降を始めた。


 そう――【動いている】。確かな意思をもって。


「――――」


 もう一発ぐらい星剣でぶっ飛ばしてやろうかと思ったが、やめた。


 この後どうなるのか、大体【読めた】からだ。


 何故ならヘラの残滓が向かう先には、奇跡的なバランスでもって逆さまになり、不可視の壁にもたれかかっている巨大な鳥かごがある。


 あの中に聖神ポセイドンと聖神ヘパイストスが囚われているのは、既知きちの通り。


 そんな鳥かごに降りかかっていく黒紫の光の思惑など、容易に想像がつく。


 だから、俺は黙って見守った。


 ちょうどいい、と思ったから。


 もしヘラが俺の想像通りのことをしでかしてくれるのなら――【都合がいい】、と言う他ない。


 いわば『一石二鳥いっせきにちょう』というやつだ。


 俺の気が二重で晴れ、きっと爽快な手応えが得られるはずだ。


「――ァァルゥゥ……」


 案の定、ひっくり返った鳥かごの中から恨みがましい声が生まれる。


「……ゥゥサァァァァルウゥゥゥ……」


 俺の名を呼んでいるのだろう。声の響きは男のそれだが――さて、その発生源となっているのは【どっち】なんだろうな?


 別にどっちでもいいが。


「アァァァルゥゥゥサァァァルゥゥゥ……!」


 地獄の亡者がごとき怨嗟の声。ザラついた響きが耳孔の内側をなぞり、ひどく不快になる。


 併せて、分厚い布を裂く音が立つ。頑丈な帆布を、古い刃こぼれしたナイフで切るような音だ。ブチ、ブチ、と力尽くで繊維を千切っている。


 おそらくだが、拘束服を内側から破いている音だろう。


 やがて、鳥かごのおり、その格子こうしをしっかと握る手があった。


 やはり男の手だ。こころなしか、暗紫色の燐光を帯びているようにも見える。


 間もなく、バキン、と音がして格子の一部が砕け、引き千切られた。鋼鉄製と思しき金属棒を、クッキーか何かのように素手で破壊したのだ。


 驚くほどのことではない。ここは所詮、仮初かりそめの空間であり、そのベースは聖神らの住まう高次元だ。


 実際のところ、物質としての属性にほとんど意味はない。見た目などテクスチャでどうとでもなる。物理法則よりむしろ『情報』の密度こそが、ここではものを言うのだ。


 その気になれば、金属は金属でなくなるし、逆に豆腐がダイヤモンドよりも硬くなることだってあり得る。


 バキン、バキン、と次々に格子がへし折られ、大人の男が出られる程度の穴が出来上がった。


 黒紫こくしの煌めきをまとったせぎすの手が、鳥かごの縁を掴む。そのまま身を持ち上げ、凶悪なつらが、ぬっ、と姿を現した。


 やはり聖神ヘパイストス。落ちくぼんだ目は真っ赤に充血し、しかしそこにもヘラの輝きの残滓が混じっている。狂気に顔を歪め、陰湿な視線をこちらへ向けてきた。


「――アァァァルゥゥゥサァァァルゥゥゥゥゥゥゥ……!!」


 ヘラがヘパイストスの分身体を乗っ取ったのか。それとも、内部で二柱の神が同居し、同じ目的に基づいて動いているのか。


 ――この感じだと、後者っぽいな。


 あのアバターから放たれる〝圧〟から、ヘラとヘパイストスの気配が同時に感じられる。両者揃って俺を憎悪し、それ故ヘラの輝きがヘパイストスのアバターに宿り、力をブーストしている状態なのだろう。しかも、ほぼ無意識に。


 それぐらい、あの二柱の聖神は純然たる憎しみを俺に向けている。


 そう、神は神でも、あいつらは『邪神』とでも言うべき存在だった。


 あそこまでマイナス感情に振り切った魂が、我が物顔で俺達の箱庭を管理側にいただなんてな。よくぞこれまで破綻しなかったものだ、と逆に感心してしまう。きっと、いや間違いなく、他の聖神の必死なフォローがあった結果なのだろうが。


 一呼吸の間を置き、ヘパイストスの激情に火が点いた。


「アァァアァァァアァァァァルゥサァァァァァァルゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!!!」


 ケダモノじみた叫びを上げたかと思うと、昆虫にも似た動きで四肢を駆動させ、鳥かごから飛び出した。


 正直に言おう。気持ち悪い。人型のアバターだというのに、それを完全に無視した挙動。おかげで中身も、人間のそれから乖離かいりしていることがわかろうというもの。


「ウウウウウウウウウルルルルルルルルァァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 神どころか悪魔憑きにしか見えない動きで、不可視の床に四つん這いになり、左右に飛び跳ね、まるでステップを踏むかのような軽やかさで、俺めがけて突進してくる。


 重ねて言うが、心底きもい。


 想像してみて欲しい。痩せぎす――つまり、もやし体型の根暗男が犬のように這いつくばった体勢で、意外にも猫かバッタかと思うほどの俊敏性で跳躍を繰り返し、落ちくぼんだ眼窩から真っ赤に充血した瞳を輝かせ、口からは意味不明の雄たけび、唇の端からはよだれが飛び散らせ、


 ものすごい勢いで突っ込んでくるのである。


 ゴキブリか。


 これを気色悪いと思えない人間とは、どうあっても仲良くなれる気がしない。そんな奴が存在するのなら、根本から価値観が違い過ぎる。それぐらいの気味悪さだった。


「きっつ。いやマジで」


 思わず声に出た。衝動的にというか、普通に素で言ってしまった。これもまた八悪の因子の影響だろうか。


 しかし、それでも俺の口元には笑みが浮かぶ。


 カタストロフィへの期待がそうさせたのか。あるいは、魂に宿る〝残虐〟あたりがより強く活性化したのか。


 俺は握っていた星剣の柄を手放し、いったん収納。両の拳を全力で握り締め、


「――待ってたぜ、この瞬間ときを」


 足を前に。矢より、弾丸より、稲妻より速く跳躍し、一気に間合いを潰す。


「――ァアァッ!?」


 予想外の事態に驚く程度の理性は残っていたのか、突如として目の前に現れた俺に、ヘパイストスが驚愕の反応を示す。


 いきなり瞬間移動のように彼我ひがの距離が消えたのだ。無理もない。


 だが。


「なに調子乗ってんだ? ぁあ?」


 真っ直ぐ突っ込んできていたヘパイストスの鼻っ面に、カウンターで右拳を叩き込んだ。


 もちろん本気で。


 炸裂。


 拳と頬がぶつかっただけとは思えない爆音がとどろき、凄まじい威力が激発する。


「――~~~~~~ッッ!?!?」


 思いがけない衝撃にヘパイストスが混乱しながら吹っ飛ぶ――前に、その襟首を左手で掴み、力尽くでその場に縫い止める。


「逃がすかよ」




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