●43 無双 5






 とはいえ、俺もここでこうしてアバターに宿っているわけで、いま空間ごと破壊されれば、相応のダメージを受けてしまうわけだが。


 だが――何となくではあるが――なんか大丈夫な気がする。うん、俺だけは問題ないはずだ。多分。おそらく。


 何と言っても、今の〝規格外〟な状態にある俺がそう思うのだ。ほぼ確実に大丈夫なはずだ。ちゃんとした根拠はまったくないが。


 などと、頭の片隅でつらつらと考えながら様子を見ていると、




『 ――ぇぇぇぇぇぇえええええええエエエエエェ! 』




 ヘラの声――むしろ怨念とでもいうべきか?――が、むしろ一気に強まった。


 ゼウスの制止がで収まるどころか、逆に火に油を注いだかのごとく。


 刹那、頭上に黒紫の輝きが生まれ、まばゆきらめく。


 見上げると、そこには〝ドブになる一歩手前の紫〟としか言いようがない色の、光の塊があった。


 さながら、この宇宙空間の会議室へ忽然と乱入してきた凶星、といった風体で。


 俺はその光景をざっと見て、すぐ事態を理解する。


「……ああ、なるほどな。【アバターなしで突っ込んできやがった】、ってわけか。無茶が好きなババアだな」


 通常、いわゆる――聖神から見れば――低次元の世界で活動するためには、そこに対応した分身体アバターが必要となる。


 言ってしまえば、俺が〝あっち〟――即ち聖神らの言うところの箱庭『セブンスヘヴン』に置いてきた肉体すら、アバターの一種だと言えよう。大抵の奴にとってはそれが唯一無二の『魂の器』であり、他に替わりがないから『分身体』などと呼称しないだけで。


 だというのに聖神ヘラは、力尽くでそのルールを無視し、アバターもなしに仮想空間へ干渉しようと【ゴリ押し】しているのだ。


 それは言うなれば、人間が宇宙服もなしに宇宙空間へ出たり、全裸で深海に潜ったりするような、極めつけの愚行である。


 でたらめにも程があった。


 ま、俺に言えた義理ではないが。




『 ェエェエェエェ テンンンンンメメェエェエェエェエェェェェェェ! 』




 ここにきて初めて、ヘラの声が意味のある言葉を放った。


 と言っても、この場に満ちる威圧から、無茶無謀極まる女神の意思などとっくにわかってはいたが。




『 ブブブブッッッココココオオオロロロロロゥゥゥゥゥススススァァァァァオオオオオオオオアアアアアアアアア!! 』




 要は『テメェ、ぶっ殺してやる』と言っているのだ。


 俺に向かって。


 ははは、と思わず笑ってしまってから、俺は頭上のグロい色に輝く光体に向かって毒づく。


「大した執念だよ、ババア。さっきのお前の醜態も【読み取らせてもらった】けどな、よっぽど俺みたいな下位存在が大嫌いみたいだな? その下位存在のおかげで、娯楽ポイントとやらをガッポリ稼いでるくせに。お前この仕事、向いてないんじゃないか?」


 ヘラがこのような滅茶苦茶をする理由はただ一つ。


 俺が聖神デメテルから力を奪い、再起不能にしたからだ。


 本来ならヘラは、デメテルの手によってアバターを修復し、とうに議場へ復帰しているはずだった。


 しかし俺の介入によって、その流れが断ち切られてしまったのだ。


 故に、まっとうな形でこの仮想空間に戻ってくることが、ヘラには出来なかったのである。




『 ァァァァァオオオオオオオオアアアアアアアアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!! 』




 俺の挑発がよほど堪えたらしい。


 ヘラの怨嗟の声はやがて声ですらなくなり、甲高い駆動音じみたものへと変化した。


 堪忍袋の緒が勢いよくぶっちぎれたようだ。


 次の瞬間、気持ち悪く明滅する光体が、うねり、たわみ、形を変えていく。


 ただの光の球体だったものが、やがて人にも似た形状へと変化した。


 だが、そのサイズが尋常ではない。明らかに普通の十倍以上はある。特に手足が異常に長く、他と比して針金のように細い。どう見たって【まっとう】な体つきではない。


 そう、頭上に顕現けんげんしたのは――女神とは到底呼べぬ、雌型めがた異形いぎょうであった。


「ヘラ……!?」「ふ、副主神っ!?」「な、なんてことを……!?」「し、信じられない……」「お、おいおいおいおい……!」「ちょっ、まっ、はっ!? ええっ!?」


 あまりのことにゼウスを始め、さっきまで唖然としていた聖神らもめいめいに反応を示した。俺が読み取った『情報』からすると、ヘラが破天荒な行動をするのは毎度のことらしいのだが、流石にこれほどともなると、聖神らも驚きを禁じ得ないらしい。


 もちろん俺は落ち着き払うどころか、ふてぶてしさをもって中空に浮かぶ異形を眺めている。


 ――アンデッド系の魔物にこういう感じなのが、なんかいたよな……


 なんて感想を抱いてしまうほど、ヘラの姿は醜いものだった。


 高次元から下位空間への無理矢理すぎる干渉のためだろう。どうにかアバターに近い形を取ろうとしているようだが、何もかもが間に合っていない。


 骨組みはある。むしろ、骨しかない、と言うべきか。つまりは骨格というか、骸骨というか。スケルトンというか、ゴーストというか。そんな感じの状態だ。しかも腰から下がない、上半身だけの。


 言わんこっちゃない。


 アバターと同じく骨に肉をつけて実体化しようとしているのだろうが、間に合うわけもなく。うつわもないのに、水をその場に固定化させることなどできるだろうか。何もない空間に、水蒸気をそのまま止め置くことなどできるだろうか。そんなことを考えるのは愚考であり、実行するのは愚行でしかない。


 要するに、肉を形成するより速く注ぎ込んだ力が散逸しているため、上半身の骨組みだけしか作れていないわけだ。しかも最大限に力を注いだ上で、それだけしか維持できていない。超高速で傷の再生をしながら太陽へ突っ込んでいるようなものだ。どう考えても力の無駄遣い、その極致きょくちである。




『 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!! 』




 ここまでくるともはや神というより魔物、もしくは怪物の類いとしか言いようがない。


 いや、このジェットエンジンの駆動音じみた咆哮はどこか聖竜アルファードを彷彿とさせる。考えようによっては、聖神らしい、とも言えるだろうか。


「はっ、まぁその根性だけは買ってやるけどな」


 俺は鼻で笑うと、右手に握った星剣の柄を無造作に肩に乗せ、緩く構えた。


 ヘラが、動く。


 完全な形での顕現を諦めたのだろう。巨大な人骨が、異様に長い両腕を大上段に振り上げる。どう見ても俺を叩き潰さんとする動きだ。単調な攻撃だが、いくら骨だけとは言えサイズがサイズだけに、大木のような骨に圧殺される可能性は十分ある。


 が――


「……遅すぎるけどな」


 当たり前だ。無理を通せば道理が引っ込むなどと言うが、口にするほど簡単ではない。ただでさえアバターなしで強引に顕現しているというのに、そこからさらに攻撃動作ときた。骨に肉を纏わせることすらできないのに、どうしてそんな真似ができると思ったのか。




『 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!! 』





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