●42 強襲、満を持して 6





「…………」


 言っては何だが、この神社のセキュリティは完璧だ。その一言に尽きる。


 これは過信ではない。誇大妄想でもない。れっきとした事実だ。疑いようもない、ただの【真実】でしかない。


 何故なら――この次元そのものが情報で構成されており、その根幹である概念の一つ『イージス』を所有しているのが、この希臘式きろうしき神社かいしゃオリュンポスであるからだ。


 情報は保護されなければ情報たり得ない――それがこの次元における基本原則だ。


 その『保護』を確固たるものとしている概念が『イージス』。


 全ての情報を保護し、『情報』としての形式を保つ――この次元世界の根幹としか言いようのない概念だ。


 どのような解釈であれ、ことが『防御』『防護』『保護』といった概念と結びつくのであれば『イージス』に勝るものはない。


 これある限り、この次元における防護は完璧としか言いようがない。


 完全無欠の防御の概念――それこそが『イージス』なのだ。


 ――要するに、内部の裏切り者はもちろん、外部からの攻撃も基本的には無効化されているはず、なんだよな……理論的には。


 絶対防御の概念でもある『イージス』。


 その所有者および権利者は、神社の上層部の共同名義である。


 つまり複数の所有権利者が存在し、その全員が同意しない限り、『イージス』をどうこうすることはできない。


 これによって『イージス』は個神こじんのものではなく、神社かいしゃの所有となり得るのだ。


 そして『イージス』を所有しているのは、高次元広しと言えど、このオリュンポスのみ。


 つまりは独占状態。


 他の神社ならともかく、『イージス』を保持しているオリュンポスが外部からの侵入を許すとは、まずもって考えられない。


 ――とはいえ、実際にそうとしか思えない現象が『セブンスヘヴン』では起こってるわけで……


 やはりどう考えても箱庭の住人――ただのユニットでしかない英雄ユニットが常軌を逸した能力、権限を持っているのは尋常ならざる事態だ。彼ら彼女らがたまさか、その力を手に入れたとは考えにくい。


 ――というか、ね。【どうしてこの箱庭だけなんだ】? もし仮に……あくまで仮に、外部の奴が『イージス』の防御を突破できるとして。あくまでも仮なんだけどね。でも、それでやることが……箱庭一つへの微妙な介入? それっておかしくね?


 完全無欠の防御をすり抜ける――それ即ち、この神社オリュンポスの中枢に触れるのと同義だ。その気になれば何だって出来る。それこそ一つの箱庭どころか、運営している全ての箱庭クラスタを削除することだって可能だろう。なにせ絶対堅固な防壁を越えた先には、完膚なきまでに無防備なリソース空間が広がっているのだから。


 だというのに。


 現在『イージス』を越えて不法介入をしでかした者、あるいは者達は、大した悪さをしていない。


 やったことといえば、数ある箱庭の一つ、さらにその中にいる英雄ユニットと接触――これはあくまで予想かつ推察に過ぎないが――し、妙な力と権限を与えただけ。


 おかしい。


 あまりにもバランスが悪い。手段と目的がまるで釣り合っていない。やり遂げた成果に対する結果がまったくチグハグだ。


 意味がわからない。


 ――むしろ今の今まで神社かいしゃに何の損害もなく、平穏無事だったのが不思議なぐらいなんだよな……


 ヘパイストスの主張する他社、ないしは外部の第三者について考えれば考えるほど、不可解な思いにとらわれてしまう。


 ――一体、何が目的なんだ……? 何がしたいんだ……?


 侵入者――詰まる所、神社にとっては〝敵〟と呼称すべき存在の意図が一向に見えず、アポロンは困惑する。


 ――悪意がない? だから大した目的もない? さては愉快犯? それにしたって、やってることの規模がでかすぎない? というかヤバすぎない? 全部が明るみに出たら冗談じゃ済まないぞ?


 言うまでもなく不法侵入ハッキングは重罪である。たとえ肉体を持たない情報生命体の聖神であれ、集団で活動する限り規範ルールからは逃れ得ない。


 現在のヘパイストスやポセイドンが権限を凍結され拘束されているように、犯罪者は星幽アストラル体に制限を加えられ、自由を奪われる。どこへでも行け、誰にでもなれ、何でも出来るはずの情報生命体が、その意義を喪失するのだ。苦しいなんてものではない。精神だけの存在である聖神にとって可能性を潰される責め苦は、まさしく地獄だ。


 その結果として自我が崩壊し、『情報』としてのたがを失い、存在意義を喪失する者とている。


 アポロンは〝そうなった〟聖神を知っている。故に、ああはなりたくない、と心の底から思う。だからこそ、


 ――面白半分でやっていいことじゃないぞ? マジで洒落になってないからな? まさか……本気で覚悟してのことじゃない、のか……?


 特に目的意識の感じられない、どこか【ふわっ】とした感じの犯行に、戦慄を禁じ得ない。


 ――適当……そう、悪い意味での適当だ。やっていることの規模の割に、妙に関心が薄い。箱庭の英雄ユニットに干渉するだけして、それだけ。まるで、管理者であるオレ達が箱庭プレイヤーの希望を叶える時みたいに……


 箱庭の運営に『救いの手を差し伸べる』と呼び習わす行為がある。運悪く不遇な境地に追いやられてしまったプレイヤーを助ける、いわゆる救済措置のことだ。


 多くの箱庭では仕様上、聖神界システムエリアから人間界メインエリアへと移動する際、ランダムで初期位置が決定される。


 この時、ごくまれに活動不可能エリアへ転送される場合がある。


 極端な例で言えば、海や湖の底、火山の火口の内側や、地底の奥深く――時には英雄ユニット用に設置した迷宮の奥や、内側からは脱出不可能な隠し部屋の中など。


 こういった場合、特例として運営が救いの手を差し伸べることが規約で決まっている。


 箱庭の運営が直接的な介入を行うことを嫌うユーザーは多いが、流石にこの時ばかりは文句を言ってはいられない。そうしなければユーザーの快適な箱庭ライフが阻害されてしまうからだ。


 今回の〝敵〟の行動には、それと似た匂いを感じる。


 そう、まるで――【英雄ユニットに力を貸すためだけに行動したかのような】。


 ――いや、いやいやいやいや……まさかね……ねぇ?


 あまりにも荒唐無稽にすぎる想像に、アポロンは内心、慌てて否定の言葉を紡いだ。表情管理が間に合わず、つい唇の端が、ひくっ、と引き攣る。


 確かに、〝敵〟と英雄ユニットが秘密裏に手を組んでいた、ということなら辻褄は合う。『イージス』の防御を突破し、その痕跡をヘパイストスにすら掴ませないほどの技術の持ち主が、しかし英雄ユニットの要望にだけ応えたというなら、このチグハグな状態にも一応の説明がつく。


 だが、辻褄が合うだけだ。


 普通ではない。到底、納得などできない。むしろ、なおさら意味がわからなくなる。


 これだけの技術を持つ高次元の存在が何故、仮想の世界でしかない箱庭の、その住人のために危険をおかすのか?


 今度はそちらがわからなくなる。


 どう考えても割に合わないではないか。箱庭の英雄ユニットにチート能力を付与して、〝敵〟に一体何の得があるというのか。


 ――いや、待て。違う、得ならある。あると言えば、ある……が……


 例えば、箱庭を鑑賞して楽しんでいるユーザーなら、確かに意味はあろう。ある意味〝勇者システム〟とは【そういうもの】だ。別世界から転写してきたユニットに特殊な力を付与して、魔王を討伐させる――それが〝勇者システム〟の基本なのだから。


 しかし、これは度が過ぎている。そう言わざるを得ない。


 英雄ユニットに箱庭の枠を越える力と権限を付与して楽しむ――その悦楽は理解できないでもないが、そんなことと、凍結および拘束される地獄とを天秤にかけるなど馬鹿げているではないか。


 リスクとリターンがまるで釣り合わない。少なくともアポロンはそう思う。


 ――そんなことを歯牙にもかけない異常者、か? それならまぁ、説明はつく、か……?


 アポロンは、今なお何事かを喚き続けているヘパイストスを一瞥して、どうにか自分を納得させようとする。


 肉体を捨て精神だけの存在となろうとも、各々が持つ個性の振り幅は人間とさして変わらない。聖神にも頭のおかしい奴は一定数いる。実際、ヘパイストスやヘラ副主神がそうであるように。ついでに言えばゼウス主神もそうだ。いかにも厳めしい顔つきで自分は常識人でございという風体なりをしているが、実際はあのジジイもかなりろくなものではない。流した浮名は数知れず、詳細を聞けばヘラがことあるごとにキレるのも無理からぬ、と納得できるほどなのだ。


 つまり、常識では推し量れない頭のおかしい奴はどこにでもいる、ということ。


 今回の〝敵〟も、そういう手合いかもしれない。これまで得た要素を考慮すると、その可能性が一番高い、とアポロンは見る。


 とはいえ、微妙に腹落ちはしないのだが――


 そんな風につらつらと思考を回していると、いつの間にやらヘパイストスの演説がクライマックスへと突入していた。


「――ですから、私は考えたのです! 考えついたのです! あの害虫めらを排除する方法をッ!!」


 どうやらこれまでずっと、英雄ユニットがどれほどの害悪なのかを延々と説明していたらしい。


 円卓の面々を眺めやると、どいつもこいつも辟易した顔をしている。ヘパイストスの話など聞きたくもないが、立場上そして場の空気的に、しっかり耳を傾けなければならないので仕方なく――と言ったところか。


 ほとんどの者が、深海の底でうごめくグソクムシじみた雰囲気をかもし出していた。


「あやつらは殺せません! 殺そうとしても殺せない、そう、まるで魔王ユニットの不死属性を奪ったかのごとく! だからと言って彼奴きゃつらと箱庭をまとめて消すのも業腹でしょう! ならば――」


 両手両足が拘束されていなければ、さぞ大仰な身振り手振りをしていたであろう。ヘパイストスは踊る芋虫がごとく体を上下左右に動かしながら、喉を反らして高らかにうそぶく。


「【排除】です! そう、【隔離】です! 抹殺することができないのであれば、どこか遠く【隔絶】した場所へ追放してやればいいのです!!」


 それがさも名案であるかのように、ヘパイストスは顔を歪めて愉悦の笑みを浮かべた。


「どうやるのか、ですか? それは簡単です!」


 誰も質問などしていないのに、勝手に問いを想定して話を進めていく。要するに自己顕示欲が強すぎるのだ。この弾けっぷりを見るに、普段からかなり自身を抑制して過ごしているに違いない。変人にも自制の概念があるとは驚きだが――


 ――ああ、そういえば第七運営部には【あの】デメテルさんがいるんだっけか。そりゃうっかり変なこともできない、かぁ……


 副主神ヘラの親友だけあって、役職こそないがデメテルも【かなりのもの】だ。というより、役職がないのは本人がそう希望したからであり、その理由も『自由でいたいので』という途方のないものだったと聞く。しかも、その要望が社内で当たり前のように通っているというのがまた恐ろしいところだ。


 ――陰の実力者、か。なんなら第七の話だし、あの女神ひとにも来てもらった方が話も早かったかもなぁ……副主神も大人しかっただろうし……


 この仮想空間の外で監視しているはずの女傑を思い出し、軽く悔いる。


 いざという時のために待機してもらっているデメテルだが、あの女神がそばに居るだけで、多少なりともヘラの理性が補強される。無二の友人であり最大の味方が近くにいることが、ストレスをやわらげるのだろう。


「箱庭をもう一つ用意するのです! そう、彼奴らを隔離するための箱庭を! その箱庭と我らの『セブンスヘヴン』を一時的に合体させ、繋げます! そして隔離用の箱庭へとアルサルめとその一党を追い込み、閉じ込めるのです!」


 ヘパイストスが高らかに絵空事をうたう。


 箱庭をもう一つ用意するのは構わないが、それにどれだけのコストがかかると思っているのだろうか。


 そもそも『追い込む』と簡単に言ってくれるが、誰が、どうやって、それを実行するというのか。


 スーパーアカウントが二柱もいて手も足も出なかったというのに。


 ――あ、そっか。彼、そのことはまだ知らないんだっけ?


 先述の通り、拘束および凍結状態にある聖神は情報的にも封鎖され、外界の出来事など知る由もない。


 そのため、スーパーアカウントをもって下界ダイブしたポセイドンとアテナがあっけなく返り討ちにあったことを、ヘパイストスはまだ耳にしていないのだ。


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