●42 強襲、満を持して 7





「さすれば、さしもの彼奴きゃつらも手も足も出なくなるでしょう! 誰もいない箱庭に、たった四人で! 流石に箱庭を渡るすべなど持っていないでしょうからね! 彼奴らめの絶望に染まりきった顔が実に楽しみではありませんか!」


 その口振りはもう既に勝利したかのごとき勢いで、己の計画が無謬むびゅうであることを確信しているようだった。


 そんなはずなど、あるわけないというのに。


「さらに言えば――!」


「あーもういいよ、ヘパイストス。そろそろ黙ろっか」


 パチン、とアポロンが指を鳴らすとヘパイストスの口元を塞ぐマスクが再び具現化された。顔の下半分を完全に覆う形状のため、途端にヘパイストスの声は遮断される。


「ンンン――――――――!?」


 いきなりの仕打ちに当然のごとく抗議の呻きが上がる。まだまだ語り足りないことが山ほどあるというのに、と血走った目が必死に訴える。


 だが、もう聞きたい話は聞き終えた。むしろ余分が多かったほどだ。これまで話させていたのが余程の温情だった、と理解して欲しいぐらいである。


 だというのに。


「ンンンンッ!! ンンンンンンンンンンン――――――――ッッ!!」


 しつこい。ヘパイストスは鳥かごの中で飛び跳ね、駄々をこねる。跳躍のたびに鳥かごが大きく揺れ、ガシャンガシャンと耳障りな音を立てた。


「――はぁ……もうオレにこの指を鳴らさせないで欲しい、って言ったのに」


 これ見よがしにアポロンは溜息を吐くと、パチン、とまた指を鳴らした。


「ンガグブゥッッ!?」


 途端、飛び跳ねていたヘパイストスが空中で、ビクーンッ! と硬直し、そのまま凍ったバナナのような体勢で鳥かごの床へと落下した。


 ビタンッ! と顔が床に叩き付けられ、そのまま動かなくなる。


 静かになった。


「やれやれ……」


 うるさいのが黙っただけに、戻ってきた静寂がやけに空虚に感じられる。そんな中、アポロンのぼやきはよく響いた。


 しばしの間を置き、円卓の誰かが安堵にも似た息を吐く気配があった。それを皮切りに、場の空気が少しだけ弛緩する。


 それを確認してから、アポロンは改めて鳥かごの中へと話しかけた。


「さて……もう話せるかどうかわからないけど、ポセイドン。いけるなら君の話を聞こうか? まぁ無理はしなくてもいいんだけど」


 先程、強制的に沈黙させたポセイドンへと水を向ける。


「――――」


 が、返ってくるのは沈黙だけ。おそらくまだ気を失っているのだろう。先刻の『お仕置き』が少し強すぎたのかもしれない。


「ふむ……ほいっ」


 気付けになれば、と思ってアポロンはまたも指を鳴らした。ごく弱い衝撃を与えて、ポセイドンの目を覚まさせてやろうと。


「――ンブッ!?」


 幸い、ちょうどよかったらしい。すぐさまポセイドンが覚醒し、がばり、と芋虫よろしく身を起こした。


「――!? !?」


 首から下を拘束服で縛られているポセイドンは慌てた様子で周囲を見回すと、やがて円卓に座すゼウスの顔を見つけ、


「んー!! んんんんんんんー!! んんんんんんんんんんんんッ!!」


 気絶する前と変わらず何事かを必死に訴えかける。


「おっと、ごめんごめん、外すの忘れてたね」


 アポロンが指を鳴らすと、ポセイドンの口を塞いでいたマスクが幻のように消失した。


 そして開口一番ポセイドンが叫んだのは、


「――逃げてくださいッッ!! はよう今すぐッッ!!」


 血を吐くような避難勧告だった。


「は……?」


 と声をこぼして首を傾げたのはアポロンだったが、他の面子も同じ気持ちだったであろう。


 会議の間にまたぞろ白けた空気が漂う。


「……あのさ、ポセイドン、君まで何を言って――」


 おかしなことをほざくのはヘパイストスだけで充分だと思いつつ、たしなめようとすると、


「――【来とる】! 【来とる】んやッ!」


 アポロンを無視してポセイドンが畳み掛けた。


「俺にはわかるんやっ! 【アイツ】の力なら何百回も喰らった! せやから気配でわかるんやっ! 【アイツが来とる】! もうそこまで【来とる】んやッ!!」


「き、来て……? はぁ……?」


 どうにも要領を得ない話に、円卓についた全員の頭に疑問符が生える。ポセイドンが必死に訴えているのはわかるが、その内容がいまいちよくわからない。ポセイドン自身、自分でも何を言っているのか理解していないのだろう。


「せやからはよ逃げなぁッ! はよう逃げ――頼んます逃げてくださいお願いですから早くッッッ!!!!」


 最後には涙目になって絶叫するが、やはりその意気込みは空転するばかりで、議場の皆の心にはまったく響かない。


 とっかかりの一切ない、微妙な空気が流れる。


「え、えーっとね……」


 この得も言えない雰囲気をどうにかしようとアポロンが口を開きかけた時、それは起こった。




『残念だが、もう手遅れだぜ』




 突如、どこからか重い声が響き渡った。


「――!?」


 聞き覚えのない声音。そこに込められた途方もない【圧】。


 議場にいた全員が一瞬にして圧倒された。


 姿も見えない声の主に。


「――何者だ?」


 対抗するようにゼウスが重苦しい声で問うた。早くも落ち着きを取り戻し、鋭い視線をそれとなく周囲に配っている。


 そんな主神の質問に、


『答える必要あるか、それ?』


 声の主は尊大にも半笑いで応じた。


 しかしゼウスは微塵も動じず、さらに問い返す。


「名前と所属、目的を答えよ」


 あるいはゼウスは、相手が聖神――それも社員の誰かだと思っているのかもしれない。アポロンはそう感じた。


 別段、おかしなことではない。ここは仮想空間だが、箱庭ではない。箱庭ではないが、社内の一角とも言える。


 よって、この円卓の議場へ来られるのは通常、聖神である社員だけに限られる。


 常識的に考えれば、だが。


 故に主神しゃちょうの対応、態度はもっともなものである。実に当たり前のことだ。何者かわからない相手に名前と所属、目的を問う。実に【まっとう】な質問ではないか。


 だから、【相手が勇者ユニットかもしれない】、などと考えた自分の方がおかしいのだ――背筋を何度も往復する悪寒の中、アポロンはそう自分を納得させようとする。


 分身体アバターの頭の天辺てっぺんから足のつま先まで駆け抜けるおののきが、まるで終わる気配がないというのに。


『ははははは、面白い質問だな』


 誰とも知れぬ声の主が笑った。もうこの時点で、社内の誰かという線はとうに消えている。神社の最高権力者である主神にこんな口が叩けるのは、副主神のヘラを除けば、社外の者でしかあり得ない。


『いいぜ、せっかくだから答えてやるよ。こんな場所くんだりまでやって来た記念だ。名乗ってやるのもやぶさかじゃない』


 どこまでも傲岸不遜に――そう、【傲慢】に声は笑った。


 そして告げる。




『俺は〝銀穹の勇者〟アルサル。お前らをぶん殴りにきた』




 それは聖神をして本能的な恐怖を覚えるほど――ドスのきいた声だった。





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