●42 強襲、満を持して 5
情報生命体である聖神は、肉体を持たないが故に感情のブレによる
「そもそも、下位存在に次元を超えることなんて無理無理、絶対に無理……そう、そうだよ、確実に不可能だ……」
己に言い聞かせるように呟き、アポロンは平静を取り戻していく。
考えるまでもない話だ。上から下へ降りる、ないしは落ちるのは簡単だ。だが逆は非常に難しく、不可能であることも多々。
上位存在が下位次元にアクセスすることは、さして難しいことではない。三次元の住人とて、当たり前のように二次元を用い、使いこなしている。さらに上位の次元にいる聖神なら、何をか言わんやだ。
いくら件の勇者ユニットが【規格外】であろうとも、次元の壁を突破するなど到底不可能。聖神とて、今よりさらに上の次元へ行く技術など確立されていないのだから。下位存在である箱庭の住人にそんなこと出来るはずもない。
それこそ、【聖神よりもさらに高次元の上位存在から恩恵でもあずかっていない限りは】。
「……ふぅ……」
落ち着いた。全身の血管が脈打つような焦燥感は
そうとも、焦る必要なんてない。危機感を覚える必要もない。さすがにスーパーアカウントでも魔王ユニットを殺せないという事実は衝撃的だったが、何のことはない。外部からの操作なら自分達でも出来ることなのだ。きっと上手い具合にハッキングすれば、内部からでも可能なはずだ。大体、肝心の情報ソースがヘパイストスなのだ。技術の高さこそ買うが、
「――ハッキング……?」
ふとした思い付きだったが、そこに無視できない引っかかりを感じた。
アポロンの思考が加速し、冴え渡る。
――そうだ、ハッキングだ。その可能性を真っ先に検討するべきだった……!
運営の、さらに外からのハッキング――つまり悪意ある他社、ないしは第三者による不法アクセスだ。
「……そうか、他社のハッカーと勇者ユニットが共謀して、外と内、双方からハックすれば……!」
箱庭の設定を強制的に書き換え、不死属性の魔王ユニットを殺すことなど造作もない。
そうアポロンが気付いた時、
「――ですからそれは私が
いきなりヘパイストスが絶叫した。
どうやら
「言いましたよね!? 私は言いましたよねェ!? あの勇者めらは他社のエンジニアと内通し、箱庭にバックドアを仕掛けたに違いありませんと! 誰が見ても明らかでしょう!? あの異能! 明らかなチート行為の数々! 幾度も報告さしあげましたよ!? 私自身ですら数え切れないほどォ!!」
やっぱり報告書をちゃんと読んでなかったじゃねぇかテメェ、と言外に言うかのごときヘパイストスの
「……ああ、はいはい、そうだったね。わかってるよ」
アポロンは溜め息を堪えつつ、片手を上げてヘパイストスを制した。だが視線は真っ直ぐ向けられず、あらぬ方向へとそらされる。
――やっべ、忘れてたな……
何度も言うが、報告書に目を通したのは嘘ではない。流し読みと飛ばし読みの中間ぐらいの適当さだったが、要点は拾って事態はそれなりに把握していた。
それを場合によっては、うろ覚え、とも言うが。
だがしかし、これはいいことを思い出した、とアポロンは内心で拳を握る。
「――どうやら競合他社の不法介入による不測の事態……その可能性が出てきたようですよ、皆さん」
アポロンは声を高めて、円卓を囲う面々に告げた。
「私もうっかり失念していましたが、そこの彼――ヘパイストスが以前より
表情筋に力を込め、顔を引き締めたのは、思わず浮かびそうになった笑みを我慢するためだ。
「――悠長に様子見とか言っている場合じゃ、ないですよね?」
天秤は傾いた――アポロンは確信する。
結果は一目瞭然だ。
円卓を囲む幹部連中は総じて顔色を変え、目を泳がせている。動揺は波のように広がり、寄せては返し、その都度に大きくなっていく。
腐っても神社上層部。他社からの
誰もが危機感をもって万全の心構えをしていたわけではないのだ。
故に驚愕し、うろたえている。
ただでさえ不測の事態。そこにライバル神社の介入ともなれば、まさしく存亡の危機だ。日和見などしていられない。
「そ、そんな……ど、どうすれば……!」「こ、これではロールバックどころではないのではないか!?」「いや、こうなればいっそ箱庭を放棄するべきでは!?」「し、しかし損害が……! そんなことをすれば我が社の経営が……!」「何を言っている! 箱庭の一つや二つ!」「ただの箱庭ではないぞ! 今の神社の礎ともいうべき重要な箱庭だ!」「コアな古参ユーザーも多い! 廃棄などしたら一体どうなるか……!?」「他の箱庭からも引退を考えられるかも……!?」
そんな中、変わらずゼウスは静かに構え、ヘラは今なお
――いや、というか副主神、いつまで固まったままのつもりだ……?
余計なことをされなくて都合がいいが、いくら何でも回復が遅すぎる――とアポロンは頭の片隅で疑念を抱く。通常、分身体に不調があろうと一定の処理を行えば問題なく復帰するはず。それが難しい場合であっても、社内の専門担当社員――
――何を手間取っているんだ……?
激昂したヘラの分身体が不調をきたして停止するなど日常茶飯事だ。そのため、いつも副主神のプライベートな友人であり分身体のスペシャリストでもあるデメテルが裏で待機し、必要があればリカバーする――今回もその手筈になっていたはずだ。
――変だな……
確かにこのままの方が静かで助かる。話は混ぜっ返されないし、変な方向に逸らされもしない。こうして目論見通りに話を進められる。
だが――不気味だ。
嵐の前の静けさ、などという言葉もある。
妙な前触れでなければいいのだが――
と、アポロンが密かに危惧しているのを
「――皆様ぁ、お聞き下さいッ!」
鳥かごのヘパイストスが、騒然とした空気を切り裂くように叫んだ。
これまでと違って芯の太い声音だったせいか、全員の意識がそちらへと向いた。
ここへ召喚された時よりなお両眼を真っ赤にしたヘパイストスは、まなじりを決し、歯を食いしばり、何事かを覚悟したと思しき
「どうか、どうか私の話をッ! お聞き下さいッ! 皆様はご存じないようですが、あのアルサルを始めとした英雄ユニット共は紛れもなく反逆の徒ッ! 我らが美しき箱庭を侵食する害虫ッ! 彼奴らを箱庭から駆逐しない限り――!」
「あーはいはい、ストップストップ」
どう考えても長くなりそうだったので、アポロンは腕を振って適当に遮った。
「というかヘパイストス、さっきは他社の介入がどうとかバックドアがどうとか吠えてたけど、それって他でもない君自身がしっかり調査して、その上で裏付けが取れなかったってオチがついてなかったっけ?」
だから自分の中でも重要度が低い扱いになっていたのだ――とアポロンは内心で言い訳を付け加える。報告を受けた当時は明らかに信憑性に欠けていたのだから、これはヘパイストスの過失であって、自分の認識不足ではない――と。
痛いところを突いたはずだが、ヘパイストスは歯牙にもかけず、
「ええ、そうですとも!! それはそう!! 否定はしません!! その点については逃げも隠れもいたしませんとも!! 私は証拠を掴むことができませんでした!! 何の成果もあげられませんでした!! それは事実です!!」
大いばりで開き直った。それどころか、
「ですが、もうおわかりになったはず!!
事態にかこつけて自画自賛まで始める始末。別段、
しかし、言いたいことはわかる。この
つまり、内通者――内部の裏切り者がいるわけではない。ヘパイストスはそう主張しているのだ。
だとすれば、箱庭を
――確かにその可能性しか考えられないんだけど……そうだとしても、何だか妙な違和感もあるんだよなぁ……
滾るヘパイストスの力説を耳で適当に聞き流し、視界の端に微動だにしないヘラを収めつつ、アポロンは思索の海へと片足を突っ込む。
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