●42 強襲、満を持して 4





「あなた方は……あなた方は一体何を見てきたのですか!? 私の報告の一体何を聞いていたのですか!?」


 ヘパイストスが激発するのも無理はない。今にも両眼から血の涙を滂沱ぼうだしそうなほどの形相で、拘束されている男神は喚き散らす。


「私があんなにも必死に! あんなにも大きく激しく! 何度も! 何度も何度も! 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も! 声を上げていたというのにッ!!」


 拘束服によって自由を奪われている中、唯一動かすことが可能な首を上下に振って、ヘパイストスは怨嗟の声を吐く。


「あなた方は何をしていたのですかッ!? 一体何をわかったつもりになっていたんですかッ!? 私の話の何を……!」


 叫ぶにつれ、怒りよりも情けなさが増してきたのだろう。語気が弱まり、声音が震えだした。


 ヘパイストスは俯き、怒りに震える息を吐き、


「……ああ……ッ……!」


 それでもなお激情が収まらなかったのだろう。勢いよく面を上げた瞬間。


「――ふざけるなぁぁぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁぁぁぁッッ!!!!」


 あらん限りの絶叫を迸らせた。


 この時、ヘパイストスの全身から放たれた威圧は、先刻の怒れるヘラにも匹敵した。全方位に放射された重圧は円卓に並ぶ幹部――分身体が停止しているヘラを除く――を圧倒し、僅か以上に身を仰け反らさせた。


 腹の奥底、否、魂からの雄叫びを絞り尽くしたヘパイストスは、しばし全身で荒い呼吸を繰り返していたが、やがてワナワナと震えだし、


「……ええ、ええ、理解しましたとも。納得しましたとも。あなた方は何もわかってはおられなかった。何も。何も。何も! わかっていなかった! わかっていなかったんですね!」


 ここへ召喚された時よりもさらに目を真っ赤に血走らせ、怒鳴りながら周囲をにらみ付ける。


「なんと愚かな! なんと怠惰な! 彼奴きゃつらの罪過をまるで理解していなかったとは! 私が何故あんなにも声を上げていたのか不思議に思わなかったのですか! この私が! この私がなんてことない事態に大騒ぎする愚か者だとでも!? いいえいいえ、そう思っていたのですね! そう思っていたからこその――愚考ぐこう! 愚挙ぐきょ! 愚劣ぐれつの極みィッ!!」


 ヘパイストスの悪罵あくばはとどまるところを知らない。口角泡を飛ばす勢いで並み居る幹部を猛烈に非難する。当然、公平な視点からではなく完全なる私怨でもって。


「そんなことだからッ! そんなことだからッ! あの狂星共が野放しになり、我が箱庭が汚染されていくのですッ! 嗚呼、なんと嘆かわしや……! よもや上層部の方々の意識がここまで貧弱だったとは……!」


 嘆かわしい、との言葉通り、ヘパイストスは号泣する。嗚咽を漏らし、両眼から大粒の涙をこぼし、声にならぬ声で呻きを上げる。


 ――あーあ、もう、マジで鬱陶しいな……


 男泣きするヘパイストスを尻目に、アポロンは内心で毒づく。


 同時に、事実を伏せておいてよかった、とも思う。


 実を言うと箱庭『セブンスヘヴン』で現在起こっている事案を、ヘパイストスは知らない。彼は凍結処理を受けた時点までの情報しか有していないのだ。


 よって彼が執心する勇者ユニット――本名『熊野一朗太』こと勇者アルサルが原因不明の暴走をし、傲岸不遜ごうがんふそんにも運営に対してロールバックの実施を要求してきている件については、ヘパイストスには知る由もない。彼もポセイドンも、この議場に召喚されるまで精神的にも情報的にも封鎖された場所へ格納されていたのだから。


「私は、私は……情けない……ッ! 情けないですよ、皆様……! あんなにも、あんなにも、私は、私はァ……!!」


 さめざめと嘆くヘパイストスをよそに、場の空気はかつてないほどに白けている。無理もない。誰もヘパイストスの感情の振れ幅についていけてないのだ。


 さらに言えば、この男神の心情に寄り添っている場合ではないことが、他でもない彼の口から語られたばかりである。


「……スーパーアカウントでも魔王ユニットを殺せない……? だとしたら、何故……」「……箱庭の仕様が絶対なら、起こり得ないことのはずだが……」「……だが実際に起こったことだ。起こり得ないという前提は通じない……」「……しかし一体どうやって? まさか我々の力を超えた何かが……」「……我々の力を超える? どうやって? こちらで作った箱庭だぞ……」


 円卓のそこかしこで、密やかだが深刻な声が飛び交う。


 アポロンも我知らず、顔面を蒼白に染めていた。


 原因不明――これまでその単語の意味を、あまりにも軽く考えていた。我ながら愚かしいほどに。会議が始まる前の自分を殴ってやりたいぐらいに。


「――待て、待て待て待て待て……」


 アポロンは片手で口元を押さえたまま、円卓の一点を見るともなしに見つめ、独り言を囁く。


 動揺を抑えようとしていた。だが、どうしても抑えきれない。頭の芯がグラグラと揺れている。


 まるで、階段で足を踏み外して落ちる夢でも見て目を覚ましたような気分。あるいは、今立っている場所が地雷原だと気付いたかのような――


「……待ってくれ……いやマジで……」


 もはや溜め息すら出ない。


 火薬庫のすぐ隣で火遊びをしていたかのごとき、遅まきすぎる危機感と焦燥感。そのことにやっと気付いた手遅れ感と――自己嫌悪。


 正直、会議なんかやってる場合じゃないだろ、と言いたい。


 それほど事態は切羽詰まっている。いや、とっくの昔に逼迫ひっぱくしていたのだ。ここにいるほぼ全員が気付いていなかっただけで。


 悠長に話し合って投票などしている余裕などあるのか。いや、ないはずだ。だが今更ここで会議を打ち切ることなどできない。一度始まった会議は結論が出るまで続けるのが鉄則だ。そうしなければ何も決まらず、誰も何も行動に移せない。組織とはそういうものだ。上の決定がなければ、下は動けないのだ。


「……一体、何がどうなってる……?」


 ようやく、幾重にも遅れて、アポロンを始めとした上層部はその重大すぎる問いに真っ正面から向かい合った。否、向かい合わざるを得なくなった。


 会議が始まってすぐ、アポロンは現状を笑い飛ばしていた。その程度にしか考えていなかった。意味はわからないが、どうせ大したことはないだろう、と。勇者ユニットが高慢にも交渉を仕掛けてきたようだが、所詮は箱庭の住人。〝あちら〟から〝こちら〟には何も出来ない。出来るはずもない。事実、『交渉』という手段をもちいているのが何よりの証拠だ――そんな風に考えていた。


 だがもし、そうでなかったとしたら――?


 仮に、あくまで仮にだが――〝あちら〟から〝こちら〟へ干渉する手段があるとしたら? 規格外の勇者ユニットの性能が、こちらが思う以上に【規格外】だったとしたら?


 最初から、何もかも、根本的に、見誤っていたとしたら――?


「――~ッ……!?」


 凄まじい戦慄がアポロンの背筋を走り抜ける。得も言えぬ衝撃が仮想の背骨を駆け抜け、我知らず喉奥から声ならぬ声が漏れ出た。


 今が分身体にログオンしている状態でよかった、と心底思う。もし通常の情報生命体のままだったなら、周囲にとんでもない影響を出していたところだ。腐ってもアポロンは聖神の一柱ひとり。それも神社では専務に就くほどの格がある。本気になったゼウスやヘラほどではないが、地位相応の力があるのだ。


「……いや、いやいやいやいや……」


 無意識に、口で否定を繰り返す。自分の得た感情の正体になかば気付きつつも、素直には受け入れられない。


 そう、先刻アポロンが感じたのは――恐怖だった。


 得体の知れない未知の存在へ抱いた、深い怖気おぞけ


 この聖神アポロンとあろうものが。他の凡百ならいざ知らず。


 ――心の底からマジビビリしたって? このオレが……?


 容易には認められない。


 だが、認めざるを得ない。それもわかっている。


 こういった直感を無視せず向き合ってきたからこそ、アポロンの今の地位があるのだ。


 落ち着け。冷静に思考しろ。抽象的なイメージでは駄目だ。具体的に危険性を分析しろ。事態を明確に把握しろ――そう己に言い聞かせる。


「――つまり、相手は箱庭を【イジれる】……? 内部から箱庭の設定を改変して、メタ的な変更を加えることが可能……? だからスーパーアカウントでは歯が立たない、のか……?」


 スーパーアカウントを超える絶対権限。外部からの操作と同等、あるいはそれ以上のことを実行することが可能な力。


「……いやでも、ならどうしてロールバックをこっちに要求してきた? ……できないのか? そこまでの権限を持ちながら?」


 魔王ユニットの不死属性を解除できるのに、箱庭のロールバックが出来ない道理があるのだろうか。権限レベルで言えば、ほぼ同等のはずだが。


「できない? それとも……【わからない】……?」


 権限は有していても、やり方がわからないのでは意味がない。実質的に権限を持っていないも同然だ。


 故に、ロールバックの実施を要求してきたと考えれば――辻褄は合う。


 逆に言えば、例の勇者が【それすら理解してしまったら】――


「――ッ!?」


 最悪の可能性を想起して、アポロンの分身体が総毛立った。


 もし勇者が独断で箱庭のロールバックを実施できるようになったら?


 そんなものは決まっている。


「……交渉の決裂……」


 誰にも聞こえない声量でアポロンは囁く。


 自身で箱庭のロールバックが行えるのなら、勇者に交渉する理由はなくなる。


 そうなれば、こちら側――つまり運営側の存在は、


「……無意味、無価値になる……」


 いや、それだけならまだいい。場合によっては、


「……むしろ邪魔になる……」


 自分達は勇者ユニットにとって、広義の意味でも『味方』とは決して言えない立ち位置にいる。それは、箱庭にスーパーアカウントとして降り立ったポセイドンとアテナが徹底的に痛めつけられたことからも明らかだ。


「……人質も無用になる……」


 箱庭内に拉致されている形のアテナも、利用価値が消失する。


 だが、箱庭の住人がスーパーアカウントの分身体を破壊することなど不可能――そのはずだ。


 あくまで、設定上は――


 あくまで、理論上は――


 それこそ、魔王ユニットがそうであったように――


「……だが、いや、でも……」


 さらに言えば、たとえ分身体の破壊が可能だったとしても、その内に宿る聖神そのものを殺すことは絶対に不可能だ。


 プレイヤーとして箱庭コクーン下界ダイブしている聖神は、その分身体アバターが使用不可の状態になった場合、自動的にログアウトするよう設定されている。


 つまり、どれだけ分身体を攻撃しようが、高次元にある聖神の本体の命にまでは届かない。


 そう、あちらが【次元を超える力でも有していない限りは】。


「――は、はははは……いやいや、それはないでしょ……」


 そこまで考えて、さすがに冷静になってきた。


 そうだ、いくら何でもそれはない。考えすぎだ。落ち着け、常識的に考えろ。


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