●33 削れていく心根 1
さて、何がどう地獄なのかなどは言わずとも知れようものだが。
とうにお膳立ては整っていたのだ。
魔王エムリス率いる魔竜王とアルファードの群れに、魔族と魔物の軍隊。
聖女ニニーヴが使役する名状しがたき合体聖具に、その周囲を飛び回る剣や槍といった形状の白兵武器の群体。
ニニーヴの結界のおかげで外界には何ら影響は出ていなかったが、それだけに内部は嵐の海よりもなお酷い有様だった。
まっとうな生き物がほとんどいなかったのが不幸中の幸いだった、と言う他ない。
結界内に響き渡る
まぁ今ここにいる生命体と言えば、俺とエムリス、ニニーヴを除けば魔族と魔物ぐらいなのだから、当然と言えば当然だが。
『 そら そら どうしたんだい? その程度の火力じゃあボクには届かないよ? 興味深い合体機構で図体は大きくなったようだけれど、それは見てくれだけかい? ねぇニニーヴ 』
フラットな口調のくせに、紡がれる言葉はやたらとリズミカルだ。エムリスの中で〝怠惰〟と〝残虐〟が綱引きでもしているのだろう。
気が狂ったように、魔竜アルファードの群が魔力を孕んだ疑似竜砲を乱射する。ドス黒く染まった熱閃は大気を灼き焦がし、ニニーヴの合体聖具のあちこちに突き刺さっては弾け飛ぶ。しかし、
『 やっかましいわこのアホンダルァ! ゴチャゴチャいうてる暇があんならもっと火力ひり出せやボケカスオルァ! 全然きいてへんぞゴルァアァアァアァ! 』
聖女とはとても思えぬ巻き舌のオンパレード。
知らなかった。ニニーヴが怒鳴ると、あの鈴を転がすような天使の声音が、ここまで濁ってガラガラになってしまうのか。
全然きいていない、の言葉通り、確かに魔竜のブレスは合体聖具の巨体にほとんど傷をつけられていなかった。中には魔竜王による極太の竜砲も混ざっているのだが、それですらビクともしない。
合体聖具に充填された聖力が膨大すぎて、魔力による攻撃を完全に中和しきっているのだ。
完全なる防御――さすが〝白聖の姫巫女〟は伊達じゃないと言ったところか。
しかし防戦一方では負けはしないだろうが、同時に勝ちもない。
無論のこと合体宝具のあちこちから突き出た砲口や砲塔、宙を飛び回る羽鳥のごとき白兵武器の群れによって反撃は行われていた。これにより魔竜や上級魔族はともかく、魔物の群はいっそ面白いほど激烈に虐殺されている。
人類が持つ理力とは違い、聖力は明確に魔力に相反する力だ。火に大量の水をかけると消えるように、あるいは猛烈な火炎によって水が蒸発するように、常に強い方が勝ち、負けた方は消滅する。
つまり魔物にとって、聖力の籠もった武器はまさに天敵。
乱舞する白兵聖具が魔物の群を蹂躙していく様は、燎原の火もかくやという勢いだった。
しかしながら、戦果が出ているのは原則、知性のない魔物のみ。上級魔族や魔竜アルファードは、魔竜王の体内にいるエムリスが垂れ流す濃密な魔力を取り込み、肉体を強化することによってニニーヴ側の猛攻に耐えていた。
とまぁ、言葉で説明すると以上のようになるわけだが、その実際はというと、
「……うるせぇな、ガチで……」
俺はげんなりして呟いた。
両陣営が手加減抜きで殴り合っているのだ。先日アルファドラグーンで観光した『ドラゴンフォールズの滝』の大瀑布よろしく、間断なく爆音が
派手も派手。やはりイゾリテを
だが、そんな乱痴気騒ぎもここまでだ。
全身にグッと力を籠めると、皮膚上に張り巡らされた輝紋に銀色の光が灯り、浮かび上がった。
「――弓を持て、〝リゲル〟。
星の権能を呼び起こす。それも三つ同時に。
別段、一度に扱える星の権能が一つだけだと言った覚えはない。なんなら、その気になれば全ての星の権能を一挙に扱うことだって可能だ。
もっとも、それほどのエネルギーを何に使うのかが問題になってくるわけだが――
ともあれ、俺の身に宿った権能が天空より
我ながらこの無駄な演出は、ある意味で俺の最大の弱点だと言わざるを得ない。なにせ、いかなる時であっても星の権能を召喚するだけで空から光が落ちてくるのだから。
これでは俺の居場所と、これから強い攻撃を放つことを大声で宣言するようなものではないか。
おかげで不意打ちや奇襲といった戦法が非常にとりづらい。まぁ、そんな卑怯な真似をする奴なんぞ勇者と呼べるか、といった理由での〝銀穹の勇者〟特有の仕様なのかもしれないが。
ともあれ俺の内に宿った三つの星の力を収束させると、
もうこの時点で、エムリスとニニーヴ側には俺の存在が露見しているはずだ。空から三つも流星が降り、一カ所に集まってこれでもかと光を放っているのだから。
といっても見ての通り、既に戦場の様相がカオスに過ぎるので、目を灼く光景に紛れて気付かない可能性もなくはないが。
だが今回の場合、俺としては意地でも気付いてもらわなければ困る。
何故なら俺の目的は、この馬鹿げた戦闘を止めること。当初の目論見から外れまくった現状には何の意味も見いだせない。ましてや八悪の因子を宿す者同士の殺し合いなど、不毛の極みである。どれほど不毛かというと、コンクリートの上に花の種をまく方がまだしもマシなぐらいだ。
だからこそ、二人には俺の存在に気付いてもらい、戦いの手を止めてもらわねばならないのだ。
というか、さっさと正気に戻ってくれ。頼むから。
「――〈アンタレス・ピアサァ〉」
エムリスとニニーヴ、魔王軍と合体聖具とが激突する戦場のど真ん中へ、撃滅の矢を放つ。
地上から天空へ。さながら、重力に逆らって大地から宇宙へと飛び出す流星のごとく。
俺の手から離れた矢は、途端に膨張を始めた。そのまま止まることなく巨大化を続け、際限なく大きくなっていく。細い棒から丸太がごときサイズへ。さらに膨れ上がり、列車を超え、王城を超え、どこまでもどこまでも――
星の心臓を穿つ矢なのだ。並大抵の大きさで収まらないのは、むしろ当然のことであった。
斯くして魔道士と聖女の陣営が繰り出す猛攻の真っ只中を、天空に浮かぶ
刹那、全ての攻撃が星穿の矢に打ち負け、吹き飛んだ。
矢が通り過ぎていった後に残るのは、ただただ静寂。
流星が全ての音を
これまで戦場を席巻していた轟音の一切が消えた。
それがむしろ、どんな大音響よりも雄弁に俺の存在を喧伝する。
数え切れないほどの注目が、戦場の端――忽然と現れた巨大な矢の発生源へと集まってくるのがわかった。
無論、魔竜王の体内にいるエムリス、合体聖具の傍にあるだろうニニーヴからの視線も。
俺は複数の理術を同時に発動させ、肉声、拡声、通信といったありとあらゆるチャンネルを使って語りかけた。
『よう、何やってんだお前ら。馬鹿やってないでとっとと落ち着けよ。というかな、もう俺達もいい大人なんだぜ。そろそろ周囲の迷惑を考えろって話だぞ』
だからこそ、互いの猛攻を根こそぎ吹っ飛ばした一撃で二人の目も多少は覚めると思ったのだが――
『 ああ、来たみたいだね、鈍感男のアルサルが 』
『 ほんまや。のうのうとやって来よったわ、思わせぶり男が 』
氷塊を擦りつけるような声音が、エムリスとニニーヴの双方から発せられた。通信ではなく、変わらず戦場全体に響く拡声で。
『……えっ?』
な、何だ? 今、明らかに二人の敵意がそれぞれ矛先を変え、俺に一極集中したような気がするのだが。
『 落ち着け、だってさニニーヴ。どうやらボク達は落ち着いていないように見えるらしいよ 』
『 せやねぇ、見ようによっては〝そういう風〟に見えたかもしれへんけど。相も変わらず目が節穴っちゅうか、なんちゅうかね 』
いやいや。お前ら、ついさっきまでの言動をもう忘れたのか? 思いっきりテンション上げてバカスカ撃ち合ってただろうが。
というか、何なんだこの空気は。何故かいきなり俺だけが針のむしろに座らされているんだが。
『ま、待て待て。話が見えん。じゃあ何だ、さっきまでのは茶番だったって言うのか? 説明してくれ』
だとしたら、ド派手に邪魔しに来た俺が馬鹿みたいではないか。道化もいいところである。
『 説明も何も。見ての通り、ボク達は【じゃれ合っていた】だけじゃあないか。君にはどんな風に見えていたんだい、アルサル? 』
『 せやせや。ウチもエムリスはんも楽しく遊んでただけやで? 見てわからんかったん? 』
『…………』
絶句。二の句が継げぬとはまさにこのことだ。
だが、黙っていても事態は好転しないどころか、逆に俺の立場が悪くなっていく一方なのもわかっている。
故に、俺はどうにか抗弁しなければならなかった。
『――というか、だ。お前ら〝暴走〟していたんじゃないのか……? 二人とも明らかに様子がおかしかっただろ』
何度思い返しても、やはり先程のエムリスとニニーヴの言動は尋常ではなかった。
今だって単に平静を装っているだけで、八悪の因子の影響で精神が汚染されている可能性は決して否定できないのだ。
『 暴走? このボクが? やれやれ、見くびられたものだね。ボクを誰だと思っているんだい? 』
『 ああ、さっきのウチのことは気にせんといて。久しぶりに顔見知りと
どっちだ? 今の二人の反応は、確かに俺の知るものだ。
二人の言葉を信じるのなら、どちらも〝暴走〟はしていない。しかし――
『……悪いが、信じられないな。エムリス、ニニーヴ、今のお前達は絶対におかしい。断言してやる。お前らは今、因子の影響で馬鹿になってるぞ』
俺の中の天秤は、明確に傾いた。
理由は単純。
現在進行形で、エムリスとニニーヴの二人から、冗談事では済まない規模で敵意が発せられているからだ。
主に俺に向けて。
どう好意的に解釈しようとも、広義の意味で『味方』に向けるレベルの感情では絶対にない。
だからこそ俺は確信する。今の二人は間違いなく八悪の因子が〝暴走〟していると。
かつてのシュラトがそうだったように。
『 ふーん、へぇ……なるほどね。そうかい、つまり君はボク達のことをまったく信用していないと――つまりはそう言いたいわけだね? いやはや、面白いじゃあないか。普通に腹が立ってきたよ。君みたいな鈍感な男に、自分はいかにも鋭い男だぞ的なことを言われるとね 』
エムリスの声の温度が益々下がっていく。再会した時点で既に氷点下だったものが、さらに冷たく凍えていく。それに応じて、俺に向けられる
『 ボクが思うに――君は一度、痛い目を見るべきだね。うん、そうだ。少しばかり泣くべきだ。だから、ボクが君を懲らしめてあげよう。たっぷりとね 』
エムリスの放つ敵意が完全にこちらを向いた。先刻までニニーヴに割かれていた分まで、一滴残らず俺に注がれる。
そら見たことか。言動と雰囲気がさっきニニーヴと撃ち合っていた時と同じに戻っているではないか。抑揚のない口調といい、嗜虐的な物言いといい、完全に〝怠惰〟と〝残虐〟に呑まれてしまっている。
『 ええねぇ、エムリスはん。それについてはウチも同感やわ。なんや、アルサルはんみたいに思わせぶりな態度ばかり取って、実際には何もしてけぇへんような
ニニーヴが同調する。
言葉遣いこそ俺のよく知るニニーヴのものだが、声音に険が籠もりすぎている。まるで苦虫を噛み潰しながら喋っているかのようだ。
何というか、腹の底で暴れ回る
『 なぁ、アルサルはん 』
ニニーヴの喉から、はぁ、と熱い吐息の気配。
『 ――いっぺん、死んでみよか? 』
その一言が火蓋を切った。
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