●32 勇者だからこそ 3
まず自分の世界に没頭してしまっているイゾリテの心を呼び戻さなければ。そのためには少々強引かつ過激な手段も問わない。なにせ今は緊急事なのだから。
「お願い申し上げますアルサル様。どうかどうか私を――えっ?」
寝言のように言葉を紡いでいたイゾリテが、異常に気付いた途端、やけに可愛らしい声を漏らした。素で驚いたのだろう。
さもありなん。何故ならこの俺がイゾリテのおとがいを片手で掴み、くい、と持ち上げたのだから。
さらには軽く腰をかがめて顔を近付けているのだから、尚更だったはずだ。
そう、
「……アル、サル――様……?」
緑色の目が大きく見開く。桜色の唇が呆然と半開きになる。浅黒の肌がやや紅潮しているようだ。
当然ながら、ここは口づけをする場面ではない。
俺は息のかかるほどの至近距離から真っ直ぐイゾリテと見つめ合い、
「いいか、落ち着いて聞け。さっきも言った通り、俺はエムリスとニニーヴを止めに行く。お前はここに残って兵士の面倒を見ててくれ。絶対に俺についてくるな。いいな、絶対だぞ? お前にはまだやらなきゃならないことが山とある。変なところで死なせるわけにはいかないし、死なれたら俺が困る。というか、かなりしんどい。大事なことだからもう一回言うぞ。お前はついてくるな。ここにいろ。何なら危ないと思った時は転移で逃げろ。わかったな」
ここまで言うと、流石に俺の所作がロマンティックなものでないことに気付いたのか、はたとイゾリテの顔色が変わった。
「ですが――」
「こいつは命令だ。俺の判断が正しいと思うなら従ってくれ。間違っていると思うなら無視しろ。どっちだ?」
「――――」
我ながら意地悪な言い方であることは自覚している。俺はイゾリテの畏敬の念を逆手に取って、実質的に一つの選択肢へと追い詰めたのだ。
これまでの言動からもわかる通り、イゾリテは俺の判断が間違っているとは口が裂けても言えない。どれだけ俺について行きたいと思っていても、そこを裏切ることはできない。故にイゾリテは言うしかないのだ。俺の判断こそが正しいと――
そう、今みたいに。
「……従います」
さっきまでの上気したような顔は嘘みたいに消え、仏頂面一歩手前の無表情がそこにはあった。声音の響きからして、唇が尖っていないのが不思議でならない。
俺は頷きを一つ。
「よし、いい子だ」
そう言ってイゾリテのおとがいから手を離した。すると、さりげなくだがイゾリテが一歩後ろに下がった。その所作もまた、どこか拗ねているような雰囲気が漂っている。
やがて視線を斜め下に向け、ぼそり、と。
「……アルサル様はずるい
聞こえなかったふりをした。この距離だ、聞こえないわけがない。だが反応するのも悪手な気がしたので、俺は黙殺を選んだ。
それにしても、イゾリテがこんな風に露骨な不満を漏らすとは珍しい。流石に意地悪が過ぎただろうか。今度、何かで埋め合わせしてやらないとな。
「じゃ、ここは任せたぞ。言っておくが、お前だから頼むんだからな。信頼の証だとでも思っててくれ」
心中にやましい気持ちがあるせいか、ついそんなことを言ってしまった。少々ご機嫌取りがわざとらしかっただろうか。
するとイゾリテは我に返ったように居住まいを正し、
「――かしこまりました。アルサル様のご武運をお祈りしております」
内心はどうあれ、頭を下げて了承してくれた。
俺は頷きを一つ。
「行ってくる」
そう告げると、一歩だけ横へ軽くステップを踏み――といってもそれだけで五メートル以上は飛ぶのだが――跳躍の余波が野営道具に影響が出ない位置に立つと、ぐっと腰を落とし、足裏に〝氣〟を籠め、
「――ッ!」
わりと強めに大地を蹴った。
俺の体が撃ち出された弾丸よろしく、一気に宙を飛ぶ。
次いで、背後から落雷じみた爆音が轟く。
あまりに跳躍の勢いが強すぎて、そして飛翔速度が速すぎたせいで、爆発じみた轟音が遅れて俺の背中を追いかけてきたのだ。
いかん、ちょっと強めに蹴りすぎてしまったか。イゾリテに土がかかってなければいいのだが。まぁ、今のあいつならその程度のこと心配ないだろうが。
一瞬で国境線――『ビューボイジャーの森』の上を飛び越えた俺は、そのまま高速でエムリスとニニーヴが対峙する極悪な戦場へと身を投じていく。
目の前に立ちはだかるのは、先程イゾリテが話していた聖力の防壁。
ニニーヴの張った結界だ。
「悪いが――こじあけさせてもらうぜ」
口に出して言いながら、右手に〝氣〟を収束。瞬時に
この手の結界は規模が大きければ大きいほど層が薄くなり、
ましてや八悪の因子を宿し、魔王を討伐した頃から十年も経過しているのだ。
だからこその全力全開。
「――っらぁッ!」
気合いの声を発し、大きく振りかぶった銀剣を不可視の、しかし向こうの景色がやや歪んで見える障壁へと叩き付ける。
普通のロングソードサイズの銀剣が、インパクトの瞬間だけ一気に爆裂する。
稲妻が爆ぜるような音と、ガラスの砕けるような音が混ざり合い、盛大に響き渡った。
銀色の〝氣〟の炸裂が、ニニーヴの張り巡らせた結界の一部に穴を穿ったのだ。
といっても、大人一人がどうにか通れそうな程度の大きさだったが。
「――おいおい……」
別に額に血管が浮くほど必死にやったわけでもないが、それでも反動が後に引かない程度の全力の一撃だったんだぞ。それでこれぐらいの穴しか空かないとか。ニニーヴの奴、どれだけ硬さが増してやがるんだ。
ともあれ結界は綻びた。俺は何もない空中を蹴って、中へと飛び込む。
そして、この目に飛び込んできたのは果たして――
ただの地獄だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます