●32 勇者だからこそ 2
そうだ。力と力なら、ぶつかり合えば余波が生まれる。いつぞやの俺とシュラトの戦いがそうだった。だが、ニニーヴの能力は基本、防御や回復が専門だ。つまりニニーヴなら、エムリスの力を強引にはねのけるのではなく、柔らかく受け止め霧散させることが可能なのだ。
それなら無駄な余波は生まれない。イゾリテの言う通り魔力と聖力が中和しあった〝凪〟の空間が生まれるはずだ。無論、力の規模が規模だ。いくばくかの破壊はまき散らさずにはいられないだろうが。
「いや――でもちょっと待て。あれはどう見ても攻撃兵器だぞ? お前は知らないかもしれないが、ニニーヴは聖女の顔した超武闘派だ。あの様子じゃ真っ向からぶつかり合っても――」
ニニーヴが合体させた巨大な古代聖具――便宜上『合体聖具』とでも呼ぼうか――を指差す俺に、イゾリテは小首を傾げた。
「――? よくご覧になってください、アルサル様。ニニーヴ様が生み出された聖具は、既に聖力のフィールドを展開し、戦場一帯を完全包囲されております」
「……なんだと?」
意外に過ぎる指摘に、俺は目を見張った。
マジか。俺でも気付かなかったことにイゾリテが先に気付くとは。
だが改めて感覚を研ぎ澄ませてみると、果たしてイゾリテの言う通りだった。ニニーヴの作り上げた合体聖具を中心として、巨大な全球型の結界が張られている。既にエムリスを始め魔竜王と魔竜の群は、聖力の結界内に囚われていたのだ。
「――そうか、なるほどな。エムリスの眷属になったおかげで、魔力の流れに敏感になって、それで聖力の動きも読めるようになったわけか」
こう言っては言い訳に聞こえるかもしれないが、俺の感覚の鋭さはあくまで戦闘向けだ。ある程度の距離ならそれなりに働くが、流石に国境線を挟んだ向こうともなると、かなり意識を集中しなければ正確な探知は難しい。
「はい。ご明察です」
一方、あのエムリスから魔力と魔術の
そして、風を読みたいなら風そのものではなく舞い上がる砂を見ろ、という言葉がある。
イゾリテはあくまで魔力と理力のみしか感知できない。だが、エムリスとニニーヴが争うあの場においては、魔力の動きをよく観察することで聖力の動向もまた自然とわかろうというもの。
故に、イゾリテは俺以上に戦局を正確に把握していたのだ。
「私は普段のニニーヴ様の言動は存じ上げませんが、たとえ言葉遣いが乱れていても、その御心は凪いだ湖面のごとく静謐のままかとお察しいたします。事実、エムリス様の魔力を通して感じられるニニーヴ様の聖力には、言葉ほどの荒々しさを感じません」
イゾリテの
いや、だが、しかし――うん、そうか。言葉を
イゾリテに言われた通り、落ち着いた頭で考えてみれば、俺にも経験がないわけではないのだ。
なんだかんだ、俺もよく〝傲慢〟と〝強欲〟に【引っ張られる】ことがある。あいつら、肉体と精神の【根っこ】の方に寄生していやがるからな。どうしたって影響が出てしまうものなのだ。特に、戦闘中ともなれば。
そう考えれば、エムリスとの戦闘に入ったニニーヴがオラつく――もとい、荒ぶってしまうのも致し方ない気がする。特に〝嫉妬〟はともかく、〝憤怒〟は戦いに直結するような因子だ。言動に強く作用するのは、むしろ当然のことである。
頭が冷えてきた俺は、ふぅ、と息を吐き、肩の力を抜いた。
「……わかった。言ってくれて助かった。ありがとうな、イゾリテ」
「アルサル様のお役に立てたのなら、これに勝る喜びはありません」
礼を言うと、イゾリテはかしこまって頭を下げた。セントミリドガルの王妹になったというのに、結局、俺を主君扱いするのをやめるつもりはないらしい。
「――それで? わざわざ俺を制止したってことは、それなりの妙案があるんだよな?」
少し揶揄するように俺が言うと、イゾリテは素直に首を横に振る。
「妙案と呼べるほどのものではありません。ただ、現状ではエムリス様とニニーヴ様の御力は完全に拮抗状態にあります。アルサル様が介入されるのであれば、このまましばらく様子を見て、お二人が消耗されてからの方が上手くことが運ぶと思いました」
率直な意見を述べるイゾリテ。まぁ、その程度のことなら誰でも思いつくだろうが、実際にはさっきまで熱くなっていた俺には思い至らなかったからな。貴重な知見である。
「漁夫の利を狙うってわけか」
「はい」
俺が身も蓋もない言い方をしても、イゾリテは素直に頷いた。何かと
俺は改めて戦場へ意識を傾けつつ、思考を回転させる。
「……ま、悪くはないな。この状況なら、様子見を続けるのが確かに
エムリスとニニーヴの戦いによる被害がイーザローン平野を超えて広がらないのであれば、二人の消耗を待ってから止めに行くのが賢い選択である。
俺は深く頷き、
「ああ、うん、いわゆる軍の指揮官においては正しい判断だ。間違いないな」
「では――」
と何か新たな提案をしようとしていたイゾリテを遮り、俺は言った。
「だが、〝勇者〟としてはどうなんだろうな?」
「え……?」
珍しいことにイゾリテが目を見張り、口を半開きにして固まった。
俺は丸くなった緑の瞳と視線を合わせ、もう一度問いを放つ。
「昔の仲間同士が派手に喧嘩してるってのに、それを黙って見ている男はちゃんと〝勇者〟してると思うか?」
「…………」
返答はない。イゾリテは身をすくませたように硬直し続けている。
だから俺は自分で答えを出した。
「いや、それはあんまり〝勇者〟じゃないよな。どっちかって言うと〝ズルい奴〟のやり方だ。勇気のない奴の行動だ。そうだろ?」
俺は薄く笑って、同意を求める視線をイゾリテに送る。それから、
「でも、さっきも言った通り、戦略的には正しい判断だ。イゾリテ、お前は間違ってないし、おかしなことを言ったわけじゃない。むしろ正解も正解、大正解だ。大事なことだからもう一回言うぞ。お前は正しい。間違ってない」
俺は片手をあげ、自然とイゾリテの頭を撫でていた。幼子に言い含めるかのごとく。
「――……」
不服なのか、そうでないのか。イゾリテは表情筋を微動だにさせず、されるがまま俺に頭を撫でられる。若干だが拗ねているようにも見えるが――さて、どうだろうか。
ふっ、と思わず小さく笑って、
「だけどな、俺は腐っても元〝勇者〟だ。別に偉ぶるつもりはないんだが……それでも、仲良く旅をして一緒に魔王を倒した仲間達がいがみ合ってるっていうのに、それを黙って見ているなんてわけにはいかないんだ。どうしたってな」
くどいようだが、戦略的にはイゾリテの案が圧倒的に正しい。実際、ニニーヴが出てくるまでは俺も戦局を見極めるためにずっと静観していたのだ。
ここは座視が正解。誰にだってわかる。
しかし今回ばかりは――というか、俺に限ってはそうもいかない。
「いくら何でも、あいつらがガチでやりあっているのを黙って見ているだけ、なんてことしたら男が
理屈ではない。理論でもない。
これは
悪く言えば、意地の問題だと言ってもいい。
たとえ、それがどれだけ愚かであろうとも。
たとえ、それがどれだけ無駄であろうとも。
俺という〝勇者〟には、どうしたって行かなければならない時があるものなのだ。
「そういうわけだ。悪いな、せっかく助言してくれたのに。あいつらの喧嘩を、よりにもよって俺が見過ごすわけにはいかねぇんだよ」
イゾリテの頭から手を下ろし、体ごと戦場方面へと向き直る。
正直、俺が割って入ったところで平和裏に争いが収まるとはまったく思わないのだが。なんなら根拠はないが、むしろ戦闘が激化する予感さえしているわけだが。
しかし、行かないわけにはいかない。
何故って、あの二人を止められる奴なんて、俺かシュラトぐらいしかいないのだから。
ちなみに、シュラトには既に連絡を入れている。ただこちらがこうなっている以上、あちらでも何か妙なことが起こっている可能性も十分にある。どうか何事もなく、シュラトが助太刀に飛んできてくれるのなら非常に助かるし、心強いのだが――
「……大変申し訳ありません、アルサル様……」
ともすれば聞き落としてしまいそうなほど、微かなイゾリテの声。
「――ん?」
振り向くと、すっかり彫像と化していたイゾリテが緑の瞳をやや見開き、俺を見つめていた。
刹那、キラーン、とその両の
あ、やばい――そう思った時にはもう遅かった。
「――お許しくださいアルサル様。このイゾリテが愚かでした軽率でした不心得者でした。アルサル様の仰る通りです私こそが間違えておりましたええ井の中の
はっきりとした
こういうところは流石に兄妹だな、ガルウィンとそっくりだ――と頭の片隅で思う。
そう、今更言う必要もないだろうが――これは〝暴走〟だ。
いや別に八悪の因子がどうとかの話ではなく、この前のガルウィンと同様、俺への畏敬の念が高まりすぎてイゾリテがおかしなモードに入ってしまったのだ。
まぁ、ガルウィンと比べてさほど勢いがなく、暑苦しくもないのはいいのだが――しかし一見すると冷静そうに見える顔で、よもや唇に油でも塗っているのかと思うほど早口で、饒舌に俺への褒め言葉とイゾリテ自身の卑下をつっかえることなく連ねていく姿は、なんだか色々なものを通り越して背筋が寒くなってくる。
「待て、落ち着けイゾリテ。いったん深呼吸しろ。な?」
と待ったをかけるが、無論のこと暴走モードに入ったイゾリテは聞く耳を持たない。
「このイゾリテ深く感銘いたしました。どうか
まるで夢遊病者か、自動読み上げ機械か。どちらにせよ常人離れしているのは確かだ。誰が見たってまともな状態とは思わないはずだ。
本音を言えばさっさとエムリスとニニーヴを止めに行きたいのだが、こんなイゾリテを放置していくわけにもいかない。というか、こいつ普通についてこようとしてやがる。
俺は、すぅ、と息を吸って覚悟を決めた。
「――イゾリテ」
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