●32 勇者だからこそ 1





 約八十機――否、八十【匹】ほど残存している魔竜アルファードの内、とある一体にさらなる異変が生じた。


 ただでさえ半生物として異形化しているところへ、さらなる変態が起こる。


 膨張ぼうちょう


 機械としても生物としてもあり得ない規模で、魔竜の体が膨れ上がり、巨大化していく。


 それに合わせて鮮やかな蒼だった表皮――元は金属の装甲――の色彩が、徐々に暗くなっていく。闇色に近付いていく。やがて漆黒には染まりきらず、しかし限りなく漆黒に近いそれは、まさに〝蒼闇〟と呼ぶ他ない――紛うことなきエムリスの色だった。


 アレだ。


 あの巨大化した個体にエムリスが搭乗している。間違いない。もう見ただけで確信できる。


 巨大化した魔竜――即ち『大魔竜』はサイズが十倍近くまで膨張しただけに止まらず、全体的にシルエットが凶暴化していた。見るからに『魔竜の王』という雰囲気だ。魔王が乗り込んでいるだけに。


 大魔竜ないしは魔竜王とでも呼ぶべき怪物から、凄まじい魔力が放出される。ただでさえ一帯に膨大な量の魔力が漂っているというのに、一際強く感じられる圧倒的なまでの勢い。


 おかしな話だが、魔力というものはあまりに強くなりすぎると、もはや魔光を放つことすらなくなるらしい。


 これまで魔力を扱うエムリスを見てきたのだから既に気付いているかもしれないが、あいつに言わせれば『【光る程度の魔力】なんて恐るるに足らないさ。なにより、目に見えない方が底知れなさが際立つだろう?』とのことで、強すぎる力はまさに人知の及ばない存在へと成り果てるのだ。




『 ――あはははははははは そういえばニニーヴ、君とは前から一度やり合ってみたかったんだ それがこんな形で叶うなんてね ボクは嬉しいよ 』




 魔竜王の巨大なあぎとから魔術で増幅されたエムリスの声が響く。


 内容はいつものエムリスだが、口調が明らかにおかしい。


 いかにも笑っている風だが、声音はまったくの平坦。それでいて、どことなく嗜虐しぎゃく的な色味をびている。


 間違いなく〝怠惰〟と〝残虐〟の影響だ。


 すると、思いがけずニニーヴから劇的な反応が返ってきた。




『 はぁ? なんやそれ。ウチのことナメとんのか? ええやんけ、吐いた唾ぁ呑み込むんとちゃうぞ! 手加減なしでブッ殺したるわ!! 』




 さっきまでと別人過ぎる。というか、こんな風に声を荒げるニニーヴなど初めてだ。


 なんなんだ? 一体何が起こっているんだ? というか聖女の面目はどこに行った? やはりこちらも〝憤怒〟と〝嫉妬〟の影響なのか。本気で洒落にならないぞ、おい――


 などと瞠目どうもくしていると、今度はニニーヴがアクションを起こした。


 戦場に存在するニニーヴ配下の聖具が、一斉に咆吼を上げたのだ。


『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!』


 長い、とてつもなく長い機械の雄叫び。それは内蔵ジェネレーターの駆動音だ。あるいは音波によって何かしらの信号を放っているのか。複雑な音響が一斉に紡ぎ合わされ、空へと吸い込まれていく。


 次いで始まったのは正直、なかば予想できた展開だった。


 エムリスが魔竜の一つを巨大化させたのだ。ニニーヴもまた、それに対抗できるものを出さねばならない。だが聖具は基本的には機械だ。聖力も、魔力と違って『世界の法則に抗う』ような無茶は出来ない。


 ならばどうするか?


 ――【合体】である。


 聖狼フェンリルガンズ、そして聖駒ヴァニルヨーツンが、それぞれ独特の変形を経て、連結し、結合し、新たな機械兵器へと変貌したのだ。


 そうして出来上がったのは、筆舌に尽くしがたい形状の巨大兵器。


 どこをどう表現すれば伝わるだろうか。まったくわからない。既成概念にまったくない、初めて見る形をしている。聖力と聖術のすいを集めた古代聖具だけに、何かしらの計算のもと効率的な形態を構成したのだろうが――俺にはどこがどう最適化されているのかさっぱり理解できない。


 しいて例えるなら、大樹を背負った蜘蛛、とでも言おうか。あるいは、頭から大木を生やしているタコ、と言っても違和感はない。いや、蜘蛛だのタコだのに例えているからといって、足が八本なわけではない。というか、どう考えても十本以上ある。例えはあくまで例えでしかないのだ。


 ただ、サイズだけは魔竜王に匹敵するどころか、それ以上にまで膨れ上がっている。合体することによって数こそ一機のみになったが、各所から突き出している砲塔や、機体のど真ん中に出来上がった馬鹿げたサイズの大砲を見れば、実質的な総合火力は決して下がってはいまい。


 さらに言えば、合体することによってニニーヴの聖力がより凝縮され、密度が上がっている。おそらく見た目以上に頑健で、馬力も上がっているはずだ。


 かくして、魔竜王率いる八十匹のアルファードと、聖狼フェンリルガンズと聖駒ヴァニルヨーツンの合体した名状しがたき巨大兵器の対決という、頭の痛くなる構図が出来上がった。出来上がってしまった。


 ここからは、もはや想像もつかない激闘が――


「――いや、させるわけねぇだろ……!」


 我ながら情けないことに、ようやっと正気に戻った。このままエムリスとニニーヴを激突させるわけにはいかない。下手すれば、セントミリドガルとヴァナルライガーの半分ずつが消し飛ぶような結果になりかねない。


 しかし。


「お待ちください、アルサル様」


 改めて飛んでいこうとした俺に、イゾリテから制止の声がかかった。


 俺は振り返り、どうして止める? という目線を向ける。するとイゾリテはゆっくり首を横に振り、


「今あちらへ行くのは得策ではありません」


 そんなことを言っている場合じゃない、と怒鳴りそうになったが、どうにか理性で感情を押し込めた。


「……どういう意味だ」


 問うと、イゾリテは迷いのない真っ直ぐな視線を俺に向け、


「どうか落ち着いてください、アルサル様。現状、エムリス様とニニーヴ様の力は拮抗しているように見えます。つまり、魔力による大気汚染はこれ以上は進みません。事態の鎮圧を急ぐ理由はなくなりました」


 確かに、それはイゾリテの言う通りだった。


 いつだったかエムリスが言っていたが、俺達は十年前に比べて大きく成長している。エムリスの魔力が天井知らずに強大になっているということは、ニニーヴの聖力もまた同様のはず。


 故に、危惧していた魔力による人界の汚染は止められる――そう、それは確かに間違いない。


 だが。


「もうそれどころの話じゃない。見てただろ? あの二人が本気でやり合ったら、ここも含めて国一つ分が焦土と化すぞ。止めるなら今だろ」


「いいえ。おそらくですが、そうはなりません」


 俺の想定は、しかしキッパリと否定された。おそらくと言いながら、妙に自信ありげに断言するイゾリテに、俺は驚いて軽く目を見張ってしまった。


「――なんでそう言い切れる?」


 どう見たって二人の様子はおかしい。互いに加減をしながら戦うとはとても思えない。そして、世界を救った英雄が本気を出せばどうなるのか、俺は誰よりも知っている。


「ですから落ち着いてください、アルサル様。普段のアルサル様ならとうに気付いているはずです。お二人が心配なのはわかりますが、どうか冷静な分析を」


 イゾリテは質問に答えず、それどころか俺をなだめてきた。静かな口調だったが、俺はバケツで水をぶっかけられたような驚愕を覚える。


 どうやらイゾリテをしてここまで言わしめるほど、俺は動揺しているらしい。イゾリテの指摘そのものより、自分にその自覚のないことの方がよっぽど衝撃的だった。


「〝蒼闇の魔道士〟エムリス様の力は強大です。ご存じの通り、その気になれば世界を滅ぼすことも可能なほどです」


 かなり大仰おおぎょうな表現だが、間違いではない。イゾリテは他ならぬエムリスの眷属にして弟子だ。今となっては、俺以上にあいつのことを理解しているかもしれない。


「一方、〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ様もまた世界を救った英雄のお一人です。そして、その御力おちからは攻撃よりも防御と支援――即ち味方を守護しいつくしむことに特化していると聞きます」


 特化していると聞きます――その言い方に、そういえばイゾリテはニニーヴの姿や戦っているところを見たことがないのだった、と思い至る。


 一応、俺達四人のそれぞれの能力や特徴は、その気になればいくらでも入手できる情報だ。なにせ十年前は国どころか世界を上げて喧伝けんでんされていたのである。魔王を倒し、世界を救う英雄が現れたぞ――と。疲弊した人々の希望となるように。


 故にこそ〝白聖の姫巫女〟がいわゆる後方支援型の役割を担っていたことは、その筋の人間なら知らないはずがなく、いわんやイゾリテをや、だ。


「これがアルサル様とエムリス様の激突であれば、懸念されている事態は間違いなく起こるでしょう。滅亡一直線です。しかし、守護と支援に特化されたニニーヴ様であれば、おそらく【凪】の拮抗状態が生まれるはずです」


「――!」


 遅まきながら、はっ、となった。



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