●24 突然の悪夢の始まり 5







 当たり前だが、王城の敷地に踏み入ってもなお、抵抗らしき抵抗はなかった。


 実を言うと、ほんの少しだけ驚いていたりする。


 いい意味ではなく、もちろん悪い意味で。


 人間というしゅが魔族や魔物と比べて脆弱ぜいじゃくなのは、もちろん知識やはだ感覚かんかくなどで知っていたつもりだった。


 だが、この現状は正直しょうじき予想外よそうがいというか、思った以上にもろかったというか――


 ぶっちゃけ、多少の期待があったのだと思う。


 ほんの少し前まで自分が所属していて、戦技指南役として兵士を鍛えていた立場だっただけに。


 もう少しこう、意地いじというか、矜持きょうじというか。


 そういったものを見せてくれるんじゃないかと、心のどこかで期待していたのだ。


 そういった意味では、先刻せんこくのヴァルトル将軍は立派だった――と言って然るべき、なのかもしれない。


 同時に、例のピアスの影響も強かったのだろうから、あまり評価できないとも思うのだが。


 ともあれ、かつて俺が守護していたセントミリドガルという国は、思った以上に惰弱だじゃくだった。これは慚愧ざんきの念にえない。


「というか、人の気配がほとんどないんだが……」


 王城の中に足を踏み入れた俺は、生体反応を感知する理術を使いながらひとちた。


 正門へと続く石橋は俺が壊してしまったため、ガルウィン達には別のルートから王城に来るよう指示してある。俺も既に力を抑え込んで威圧感を消しているので、今なら常人が近付いてきても安全だ。


 だというのに。


「……逃げたのか? まだ戦闘も起こってないのに?」


 広い廊下に俺の靴音だけが響く。


 理術で感知できる生体反応は、そのほとんどが王城の中枢部に集中している。が、その数は明らかに少ない。


 単純に考えて、人口密度の高い場所に国王のオグカーバや王太子のジオコーザがいるはずだが、それにしたって護衛の層が薄過ぎる。


 百人どころか、十人いるかどうかだぞ。


 おかしいと思って理術の感知範囲を広げてみると、なるほど、王城の敷地から多くの気配が逃げ出しているのがわかった。


 混乱している様子はない。どいつもこいつも、整然と外に向かって移動している。


 この時点で、何となくの予想はついた。


 なにせ、これまでがこれまでだ。ちょっと考えればわかることである。


 果たして、セントミリドガル王城の中枢――執務室しつむしつけん、緊急時の司令室である場所に辿たどいた俺を待っていたのは、何とも物悲ものがなしい光景だった。


「……来たか、アルサル」


 扉を開けた俺に最初に声を掛けてきたのは、奥まった席に置物のごとく鎮座しているオグカーバだった。


 心なしか、以前よりも体が小さく見える。いや、王としての威厳が減衰した――と言った方が正確か。


 だが、それ以上に印象的というか、衝撃的なのは、


「……ジオコーザ、お前なにしてるんだ?」


 部屋の中央で膝をつき、両腕をだらりと垂らし、放心状態で天井を見上げているジオコーザの姿だった。


 明らかに生気がない。というか、魂が抜けている。


 目尻から頬、顎にかけては血涙が流れ落ちたあと


 だらしなく開いた口の端からは涎が垂れ、床に小さな水溜まりを作っていた。


「――――」


 ジオコーザは無反応。聞こえていないのか、瞬きもしないまま、じっと頭上を見上げている。


「……ジオコーザ様はつい先程、突然とつぜん大声を上げて叫ばれ、その声が収まった途端、動かなくなられました……」


 結局、俺の問いに答えてくれたのはジオコーザの近くの席に座っていた高級武官の一人だった。かつての同僚なので、顔に見覚えがある。


「大声?」


 とオウム返しにすると、執務室に残っている他の武官らも揃って、ぎこちなく首肯した。


 事前に理術で調べたのでわかっていたが、やはり執務室には十人程度の人間しかいない。本来なら、ここは三十人ぐらいが入っても余裕の広さがあるというのに。司令室としての機能を果たすために用意された座席にも、ほとんど人が座っていない。


 実質、もぬけの殻、と言っても過言ではない状態だ。


 とても戦争中の国の臨時司令室とは思えない。


「追い詰められて、精神が崩壊したのじゃろう。余が言うのも何じゃが……あっけないものじゃな……」


 本当にどこか他人事のようにささやくオグカーバの声を聞きながら、俺はジオコーザに歩み寄る。顔の前で手を振ってみるが、瞳に反応なし。


「ああ、確かにこりゃ……イってるな」


 王城に乗り込む前までは、ジオコーザと顔を合わせたらまたイキって怒濤のごとく悪罵あくば誹謗ひぼうを浴びせてくるのだろうな、と予想していたのだが。


 どうも俺が思っていたより、ジオコーザの心は脆く小さかったらしい。


 俺が近付いてくる――その圧力だけで潰れてしまったのだ。


「なんつうか……ひどいオチだな……」


 完全に心神喪失状態のジオコーザが、それでも呼吸だけはしっかりしているのを確認しつつ、俺は呟いた。


 これだけのことを仕出しでかしたのだから、再会したら一発ぶん殴ってやろうと思っていたのだが、流石にこの状態では無体むたいに過ぎる。


「これじゃ、拳で思い知らせてやることもできねぇじゃねぇか」


 はぁ、と溜息を一つ。


 この瞬間――俺の中の〝傲慢〟が、ドクン、と脈を打った。


「――なんて言うとでも思ったか?」


 と、フェイントをかけてから俺は無造作にデコピンを一発。


 ジオコーザの額にぶちかます。


「ぅぐわあぁっ!?」


 バチコーン! と我ながらデコピンとは思えない音が響き、ジオコーザの体が大きくり、吹っ飛んだ。


 少年の小柄な体が机にぶつかり、もろともに倒れる。


 やはりか。叫び声が出たあたり、完全に精神が破壊されたってわけではなさそうだ。


 一瞬ののち、ジオコーザは襲い来る激痛にもだえ苦しみ出した。


「ぉお……ぐぉおおおおおっ!? がぁああああああっ!?」


 床に転がった状態で手足をバタバタと暴れさせる。


 そら見たことか。怪しいと思ったのだ。精神が崩壊している割には糞尿ふんにょうを垂れ流しているわけでもなし。床に倒れ伏しているわけでもなし。


 おそらく一時的に深い茫然自失におちいっていただけだったのだ。


「よう、目が覚めたかよ? ジオコーザ殿下」


 あっけない終わりで済まなくて残念だったな、と皮肉を込めて挨拶を投げかける。


 すると、


「――!? き、貴様は……アルサルッ!? 何故ここに貴様が……っ!?」


 両手で額を押さえながら、実に間抜けなことをほざきやがった。ずっと目の前にいたってのにそんな台詞が出てくるってことは、さっきのはまるっきり演技だったわけでもないらしい。


「というかお前、目の充血やばいな……ちゃんと寝てるか?」


 敢えてジオコーザの問いには答えず、どうでもいい言葉を返す。


 途端、わかりやすく激昂げっこうしやがった。


「きっ、貴様ぁぁああああああああああ――――――――ッッ!!」


 痙攣けいれんじみた動きで素早く立ち上がるジオコーザ。おお、今の動きはなかなかいい感じだぞ。そうだ、敵を前にして尻をついたままでいるのはまったくの悪手だからな。すぐにでも立ち上がらないとな。


 と、内心では元教え子のことを褒めてやるが、無論おくびにも出さない。


「お、やる気か? いいぞ、俺はそのためにここまで来たんだからな。わざわざ」


 はっ、と笑って片手を上げ、くいくい、とあおってやる。


 本来のジオコーザならここで怖じ気づくところだったろうが、耳につけたピアスがそうはさせなかった。


「こッ……! こぉのぉ不敬ふけいものめがぁ――――――――ッッッ!!」


 いまや俺がムスペラルバード王であることを当然知らないジオコーザは、やはり的外れな憎悪を燃やして殴りかかってきた。


 言うまでもないが、かつては八大竜公のブレスだのを相手にしていた俺である。つい先刻に至っては超弩級の聖具ミドガルズオルムと一戦交えた俺が、こいつのこぶし程度ていどで動じるはずもなく。


 寸前まで顔に届きかけたジオコーザの拳打を、パン、と手の甲で弾くと、逆のてのひらでカウンターの平手打ちを叩き込んでやった。


「バァ――!?」


 大声で叫びながら突っ込んできたせいで、ほほ掌打しょうだを喰らったジオコーザの口から変な声が飛び出る。


「あっ……」


 しまった、という意味で声が漏れた。


 手加減したつもりだったが、それなりの威力が出てしまったらしく、その場でジオコーザの体が立体的に回転した。


 即ち――一瞬で頭が下へ、両足が上へと来るような高速回転。


 もちろん回転が一度で終わるわけもなく、まるで空間そのものに突き立てられた虫の標本みたく、腰のあたりを中心として三度ほど体の上下が入れ替わった。


「ぶべらばっ!?」


 遠心力で揉みくちゃにされたジオコーザは、最終的に顔面から床に落ちた。そのまま脱力して倒れ伏し、得も言えない変なポーズで停止する。


 終わりだった。


「……大丈夫か? 死んでないよな?」


 たった一発の平手打ちで再び沈んだジオコーザに声をかける。


 幸い、息はあるようだ。今度こそ完全に気を失っているようだが。


 なんとも、あっけないオチである。


「……ったく、最初からこうしておけばよかったぜ……」


 しゃがんで気絶しているジオコーザの顔を見下ろしながら、俺は小さく呟いた。


 今更の話で、こんな悔恨かいこんに意味などまったくないが、それでも思ってしまう。


 こと発端ほったん――俺がいきなり処刑だの国外追放だのと言われた際、こうして力尽くでジオコーザを叩きのめしていれば、少なくとも今現在いまげんざい人界じんかいに広がっている戦乱は起きなかったのではなかろうか、と。


 わかっている。どうせ考えても詮無きことだ。


 第一、俺に責任のあることではない。


 聖神ボルガンの介入があったとはいえ、人界じんかい大戦たいせんしょうしても過言ではないこの状況が生まれたのは、他でもない人類の手によるものだ。


 俺が国を出たことが原因げんいん一端いったんにはなっているだろうが、あくまで一端だ。すべてではない。


 だから俺の気に病むところではないのだが――


「はぁ……」


 こうして万難を排してジオコーザをぶん殴っただけでことが済んでしまうと、こんなことなら最初からやっときゃよかった、と思わずにはいられないのだった。



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