●23 勇者の帰還 二回目 3






「ええい、あの詐欺師さぎしはまだ見つからないのか! おのれボルガンめぇ……! 一体どこへ逃げたぁ!」


 セントミリドガル王城の一角、臨時りんじ司令室しれいしつと化している執務室にジオコーザの怒声が響き渡る。


 現在、ヴァルトル将軍の姿はここにない。切迫せっぱくした状況ゆえに、前線近くまでおもむじか指揮しきっている。もはや遠く離れた場所から、理術で戦況をモニターしている場合ではなくなったのだ。


 かつての勇者にして戦技指南役のアルサルからほどきを受けたジオコーザではあるが、彼は生粋の軍人ではない。立場はあくまでセントミリドガルの王太子であり、本来なら軍の指揮系統には含まれない存在なのだ。


 故にヴァルトル将軍が傍にいない場合、彼の言葉は原則として無力である。王子の命令が軍を動かすことはない。無論、耳にした者が〝忖度そんたく〟することはあり得るが。


「それにしても、ヴァルトル将軍はいつになったら戻ってくるのだ! 賊軍ぞくぐんごときをまだ押し返せないのか!?」


 セントミリドガルを攻める各種勢力の激しさは、ミドガルズオルムの爆発をきっかけとして一気に倍増していた。


 四つの大国はもちろんのこと、貴族軍や他勢力にも、どういった経緯か『聖具』が普及している。


 ミドガルズオルムやアルファードのような巨大機動兵器でなくとも、殺傷力の高い武器や堅固な防具が多く集まれば、相当な脅威きょういとなる。


 いくらセントミリドガル軍が精強とはいえ、撃退げきたいも一筋縄ではいかなかった。


 またせんだってのヴァルトルの判断により、敵の外堀を埋めていた戦力を国境の警備に戻したのがあだとなった。


 後顧の憂いが断たれた貴族軍はにわかに勢いを増し、包囲した王都への圧力を高めたのだ。


 ままならぬ現状に、ジオコーザはギリギリと歯ぎしりする。


「おのれ……おのれおのれおのれおのれおのれおのれぇッ!!」


 ただでさえ血走って赤く染まった双眸を大きく見開き、拳を机に叩き付ける。


「何故だぁっ! 何故こうなる! 何故こうもままならぬのだ!」


 耳のピアスの影響で自意じいしき肥大化ひだいかしているジオコーザにとって、自らをとりまく今の状況は、あまりにもれがたいものだった。


 この世のなにもかもは、自分の思い通りにならなければならない。むしろ、自分が思うよりも先に『みずからにとって都合のいいもの』となるべきだ――そんな身勝手に過ぎる意識がジオコーザの心理の根底でとぐろを巻いている。


 だからこそ少年はいきり立つ。憤怒の炎が燃え上がり、これは理不尽だと怒号どごうを放つ。


 こんな現実は間違っている。あってはならない。この自分が戦争を起こし、全世界を敵に回したのならば、全ての対抗者は喜び勇んで平伏し、勝利を捧げるのが道理ではないか――


 嘘でも誇張でもなく、ジオコーザの思考はそのように回転している。そこに矛盾を感じることもなければ、論理が破綻しているなどとは夢にも思わない。


「どうしてどいつもこいつも私の前にひれ伏さないのだっ! とっとと負けを認めてこうべれればよいものをっ! 誰も彼も万死ばんしあたいするぞッ!」


 ストレスが頂点に達したジオコーザの、これまでにないひどい発言に、執務室の誰もが振り返った。


 理術の通信によって各地の戦況をモニタリングしている武官でさえ、その理不尽りふじんきわまる言動に度肝を抜かれたのだ。


 この王太子の辞書に、戦術や戦略と言った言葉はない。こんなことを言う人間なのだから、戦争にのぞむにあたって勝算などあろうはずもない。


 自分達は、そんな人間の命令でこの殺し合いを始めたのか――と。


 誰もが愕然がくぜんとし、慄然りつぜんとする。


 配下の者が総じて絶望のベールに包まれた、その時だった。


「――な……こ、これは……!?」


 王都周辺の状況を監視していた武官が声を詰まらせ、うめいた。


 その声が耳障みみざわりだったのか、ジオコーザが敏感に反応する。


「何だ!? どうした!?」


 まるで叱りつけるような語調に武官の両肩が跳ねる。慌てて声を上擦うわずらせ、


「そ、それが――きぞ、いえ、賊軍ぞくぐんに動きがありました! 攻撃の勢いが衰え……ど、どうやら敵軍の後方に何らかの勢力が出現した模様です!」


 思わず『貴族きぞくぐん』と言いかけたところを『賊軍ぞくぐん』と修正し、状況を報告する。


「何らかの勢力とは何だ!? どこの奴らだ! 報告は正確にしろ!!」


 武官の名誉のために申し添えるが、武官の報告は不正確だったわけではない。理術の遠見による戦況観察にも限界がある。この場合、貴族軍の後背こうはいに現れた戦力が多勢であれば、彼は遺漏いろうのない報告が可能だったはずだ。


 しかし、貴族軍から見て後方――ジオコーザらセントミリドガル勢から見れば、賊軍を越えたその向こう側――南の方角からやってきたのは、たった一人だけだったのである。


 言わずもがな、〝勇者〟にして現ムスペラルバード王のアルサルである。


 結局、味方の兵士達を置いてけぼりにしてしまった彼が、誰よりも早くセントミリドガル王都へと到着してしまったのだ。


 彼は王都を取り囲む貴族軍に接触したかと思えば、おもむろに戦闘を開始した。


 刹那、凄まじい銀光が炸裂。


 激しく駆け抜ける銀閃の爆裂。


 たった一撃で、貴族軍の南方に位置していた戦力は壊滅的な損害を受けた。


 幸いなことに死者が一人として出なかったのは、兵士達に強固な鎧の『聖具』が行き渡り、その身を守ったからか。あるいは、アルサルの絶妙なる手加減のおかげか。


 とにもかくにも貴族軍、南方面の兵力のほとんどが一瞬にして戦闘不能へとおちいった。


 その様子を理術によって映し出されたスクリーンで見ていたジオコーザは、二重の意味で叫んだ。


「な――なにぃいいいいいいいいいいぃっ!?」


 一つは追放したはずの、そして現在進行形で捜索中の〝勇者〟アルサルが現れたことへの驚愕きょうがく。あの銀色の煌めき、見紛おうはずもない。セントミリドガル王城を真っ二つにした恐るべき力。姿を見ずともわかる、あれは間違いなくアルサルだ――と。


 二つ目は、そのアルサルの実力が想定のはるか上を行っていたこと。


 何度もしつこいようだが、繰り返す。ジオコーザはアルサルの力を甘く見ていた。過小評価していた。自らにとって都合のいいものだけを見て、あるいは自らにとって【物事を都合のいいように見ていた】ジオコーザにとっては、いま目の前で起こった出来事はまさしく青天せいてん霹靂へきれきであった。


 銀光ぎんこう一閃いっせん


 それだけで、ヴァルトル将軍しょうぐんひきいるセントミリドガルの精鋭をもってすら押し返せなかった貴族軍の大半が、一瞬で壊滅状態へと追い込まれたのだ。


 当然ながら、戦線崩壊などという話ではない。スクリーンに映るのは、あまりのことに右往左往する貴族軍の姿。


 大人と子供の喧嘩けんかという次元ではない。もはや喧嘩けんかにもなっていない。


 象とアリがごとき、圧倒的にして絶対的な力の差。


 アルサルはそれを、まざまざと見せつけたのだ。


「だから言うたであろう。アルサルが来る、とな」


 愕然とするジオコーザに、執務室の隅にいたオグカーバが告げる。


 しかし、その声は少年の耳には入らない。


「ば、馬鹿な……い、いや! そ、そうか、あの反逆者め、セントミリドガルの危機と聞いて駆けつけたのだな!? そうだ、そうに違いない! しゅ、殊勝な心がけではないか! 褒めてやるぞ!」


 このに及んでなお、ジオコーザは自身にとって都合のよい、ありもしない希望的観測にすがりついた。自身が一体いったい何度なんどそのてのひらを返したのか、数えてもいない。意識さえしていなかった。


「見ろ、アルサルめの功績こうせきで賊軍は壊滅状態だ! これならヴァルトル将軍の部隊ですぐに叩き潰せるであろう! 我らの勝利だ!!」


 真っ赤に充血した目を弓形ゆみなりに反らし、ジオコーザは笑う。


 周囲の者はその意地汚さから、そっと視線をらし、顔をしかめるのを我慢した。表情を変えたところを見咎みとがめられれば、命がないことを誰もが知っていた。


 調子に乗ったジオコーザはこんなことまで言い出した。


「よし、アルサルめに通信を繋げ! 奴のことだ、我が軍にいたときの識別符号シンボルをまだ輝紋に残しているであろう! 今でも繋がるはずだ!」


 この私が直々に褒めてやろう――と。


 よりにもよって、この場で最もやってはならないことを思いついてしまったのである。


 だが、ジオコーザの言葉に逆らえる者などいない。よって、通信を担っている武官は命令通り、セントミリドガル軍で使用されている識別符号シンボルもちいて、アルサルへ応答を求めた。


 意外なことに、通信はすぐに繋がった。


「つ、繋がりました……! 映像、出ます!」


 執務室の天井近くに、他と比べてもひときわ大きい理術のスクリーンが浮かび上がった。


 そこに映るのは、かつての〝勇者〟にして〝戦技指南役〟、アルサルの顔。


 漆黒の瞳が、氷のような目線をスクリーン越しに向けている。


 しかしジオコーザは口角をつり上げ、満面の笑みを浮かべた。


「よくやったぞ、反逆者アルサル! 見事な働きだ! よくぞ賊軍に大打撃を与えたな! この私が声高く褒めてやろう! 貴様こそ我がセントミリドガルに仕える者のかがみ! この功績に免じて貴様の罪をゆるし――ん?」


 厚顔こうがんにも調子よく舌を回していたジオコーザだったが、ふと口を止めて目をすがめる。


 スクリーンの中で、アルサルが無表情のまま妙な動きを取ったのだ。


 こちら――スクリーンでそう見えるだけでなく、実際にジオコーザのいる王城――に人差し指をピンと立て、先端を向ける。


 そう、さながら雲の向こうを突き刺すように、王城の頂点を指差したのだ。


 次の瞬間、通信理術を介してアルサルの声が届き、執務室に響いた。




めてんのかクソガキが」




 指先から銀光がきらめき、一条の閃光がセントミリドガル城を貫いた。




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