●19 アルサルの誓い 4





「あたしはね、こう見えて東北地方の豪族の末娘すえむすめなの。まぁ他の人もみんなそうだけれど、いわゆる政略結婚? みたいな理由で後宮に入れられたのね」


 よくある話だ。国のトップに立つ人間の婚姻に愛があることなどまれである。何人もの側室そくしつを持つ王族であれば、大体の結婚理由は『政略』の一言で済む。


「でも、知っているとは思うけれど、うちの国はずっと内乱でゴタゴタしていたでしょう? 結局の所、あたしみたいな身内を後宮に入れても、水面下での対立は消えなくて、いつまた内乱が起こってもおかしくない状況だったのよ」


 和睦のための政略結婚も、多方面からつまめとっていては畢竟ひっきょう、あちこちからのしがらみで雁字がんじがらめになる。


 あちらを立てればこちらが立たず。それぞれに対立し合う勢力は、やはりそのままでは共存不可能なのだ。


「そんな時に限って、セントミリドガル王国があんなことになったじゃない? 国として攻めるのには好機だし、地方豪族の人達にとっては中央の戦力が薄くなるしで、どう考えても〝崩壊〟が目に見えていたのよね」


 その時の状況がまぶたに浮かぶようだ。当時の国王ら一派いっぱは、長年敵視していたセントミリドガル王国をつぶす絶好の機会だと思ったに違いない。それと同時、ムスペラルバード国内の地方豪族らもまた、下剋上げこくじょう千載せんざい一遇いちぐうの好機だと考えたはずだ。


 それぞれがきばぎ、爪をとがらせ、激発げきはつの時期を待っていたはずが――


「でも、ちょうどそこにシュラトちゃんが来てくれて。あっという間に宮殿を制圧しちゃったのね」


 ふふふ、と楽しげに笑うレムリア。当時の光景を思い出しているのだろう。水色の瞳がキラキラと輝くようだ。


「すごかったわぁ。シュラトちゃんが何もしてないのに衛兵えいへいさんがバタバタ倒れていくし、そりゃもう王様も王妃様も、もちろん後宮のみんなもガクガクブルブルだったのよ。もちろん、あたしもフェオちゃんもね?」


 俺の〝威圧〟やエムリスの〝魔圧〟と同じ原理だろう。


 だがシュラトの闘気の制御は俺やエムリスとは違い、精密な調整が可能だ。


 オールラウンダーではなく肉体を駆使した戦闘に特化したシュラトだからこそ、衛兵のみを昏倒こんとうさせることが出来たのである。


「それからはあっという間だったわねぇ。王様はシュラトちゃんに変わっちゃって、そしたら宮殿の危機って聞いた各地方の豪族が群れを成して攻めてきて……もちろん、あたしの家の軍隊も。でも……」


 こらえきれなくなったように、あっははは、とレムリアは笑い声を高くした。


「みんな一緒だったの。シュラトちゃんがひとにらみしただけで玩具おもちゃみたいに倒れていって、誰も何も出来ないまま終わったの。あっけなかったわぁ」


 それは見ようによっては凄惨な光景だったろうが、同様に見方を変えれば喜劇きげきにも映っただろう。身内であるレムリアには、しかし後者として見えたようだ。


 ひとしきり笑ったレムリアは、ふぅ、と一息つくと、


「おかげで、とっても平和的に内乱が収まったのよ。誰も死ななかったどころか、誰も傷つかなかった。あたしのお父さんも、お兄さん達も。本格的な内乱が起こったら誰かしら死んじゃうものと覚悟していたのにね。みーんなシュラトちゃんに心折られて、あんなにいがみ合っていたのが嘘みたいに大人しくなっちゃったの。まるで借りてきた猫みたいに」


 うふふ、とまたしても思い出し笑いをする。


 まぁ、男共の気持ちはわからんでもない。戦うことすら出来ずに負けたのだ。下手に戦って負けるよりもよっぽどプライドは傷つくだろうし、絶望感もひとしおだったろう。


 なるほど、と今更ながらに納得する。


 久々にムスペラルバードに来て、王都アトラムハーシスを訪れた際、やたらと活気があるなと思ったものだが――


 さもありなん。国王が替わったとはいえ、その代わりほか諸問題しょもんだい軒並のきなみ解決したのである。


 いつ戦乱が起こるものかとおびえていた国民にとっては、これ以上無い朗報ろうほうだったのだ。


「だからね、シュラトちゃんはあたしにとって恩人なの。その上で後宮にたくさんいる人の中から、あたしを選んでくれたのよ? こんなのもう愛しちゃうしかないじゃない。でしょ?」


 幸せそうに微笑んで、レムリアは軽く首を傾げて同意を求める。無論、俺は肯定も否定もしない。こういうノロケ話に乗ってはいけないと、経験則で知っているが故だ。


わたくしはレムリア様ほど込み入った事情ではありませんが、おおむね似たようなものです」


 と静かに語り出したのは、見るからにムスペラルバード人ではないフェオドーラ。


「お察しの通り、私はニルヴァンアイゼン人です。レムリア様や他の皆様と同様、国交を目的とした政略結婚の一環で後宮に送り込まれました」


 だと思った、とは口には出さなかった。


 北国であるニルヴァンアイゼンの人間は、人種的特徴が南国のムスペラルバードとは真逆まぎゃくに過ぎる。


 髪、肌、瞳の色はもちろんのこと。顔立ちから体付きまで異なるので、同じ人間ではあるが、同時にまったく別の種族であることが明白だ。


 さらに言えば、フェオドーラの全身からは抑えようもない気品が漏れ出ている。聞くまでもなく、高貴な出であることが察せられた。


「ですが、私もこちらへ来てまだ日も浅い新参者です。人種の違いもあってか、我ながら後宮の中でひどく浮いていた私を、シュラト様は見出して傍に置いてくださりました。新しい石畳に座らされているような気分だった私ですが、おかげ様で随分と救われました。いくらお礼を言っても足りそうにありません」


 後宮とは女の園。俺には想像しか出来ないが、その場でしか通用しないローカルなルールがたくさんあったはずだ。外国人のフェオドーラはほぼ間違いなく場の空気に馴染むことが出来ず、あぶれていたに違いない。知ってか知らずか、シュラトは彼女をそんな境遇からすくげたのだ。


「私は前の国王陛下とはまだお目通りすらかなっていませんでした。ですので、私にとっておうとは、おっととは、シュラト様ただお一人だけなのです」


 大人しそうに見えてしかし、くっきりとした強い視線でフェオドーラは俺を見据える。見た目の線こそ細いが、芯は太い――そう思った。


 幸か不幸か、〝色欲〟の影響下でとんでもない行動を起こしたシュラトは、随分と希有けうな女性らを妻として引き当てたらしい。


 言わずもがな、ただの人間の女がここまで覚悟を決められるはずがない。


 何らかの運命か、それとも神のいたずらか。シュラトが選んだ美姫二人は、〝勇者〟の俺が驚くほど肝の据わった女傑じょけつだったのである。


 この二人がシュラトの妻にして眷属だと言うのなら、かつての仲間として、そして古い友人として、もはや言うことはない。


 幸せを掴んだな、シュラト。


 心から祝福するぞ。


 とはいえ、しかし――だ。


「――なるほど、よくわかった。だが、一つだけ疑問があるんだが、いいか?」


 レムリアとフェオドーラがシュラトと出会った時、奴は八悪の因子〝色欲〟と〝暴食〟から強い影響を受けていた。


 沈黙ちんもく寡言かげんに手足が生えたようなシュラトだが、当時は多少なりとも人格が変容へんようしていたはず。


 そう、再会した時のようにチャラチャラした陽キャだったはずだ。よく笑い、よく喋り、よくおどける――本来の性格からは真逆のキャラクターで、グリトニル宮殿を制圧していたと予想できる。


 それが今や、まったく正反対の陰キャなのだ。


 そのあたりのギャップについてはどう思うのか? と問うと――


「そうでもないわよぉ? シュラトちゃん、後宮であたし達を選んでくれた時はまだ純朴そうな感じだったし。むしろ、この何日かで変なノリになっちゃったから、あたし達もちょっと驚いていたのよねぇ」


「ええ。現国王陛下がお会いに来た時がピークだったかと。シュラト様らしからぬ様子でしたが、楽しそうでしたのであまり気にしないようにしておりました」


 現国王陛下――つまりは俺のことなのだが、改めてそのように呼ばれると背中がかゆくなってくる。


 しかし、なるほど。グリトニル宮殿に乗り込んで後宮ハレムを乗っ取るという行動にこそ出てはいたが、まだ人格にまで大きな影響が出ていない微妙な時期だったのか。


 八悪の因子の影響は、人格よりも先に行動パターンに出る――よく覚えておこう。


「ってことは、今みたいな寡黙で表情があんまり変わらないシュラトでも問題なし、なのか?」


 確認のため、敢えてシュラトの非モテなところを挙げて聞いてみたのだが、レムリアとフェオドーラは同時に首肯した。


「そういうところがいいのよー。ほら、ムスペラルバードの男って陽気でうるさいのが多いから。あたし的には新鮮で魅力的に思えるのよねー」


 赤毛のレムリアは、うふふふ、と蠱惑的こわくてきに笑い、


「私は逆に、ニルヴァンアイゼン人の男性によく見られる質実しつじつ剛健ごうけんなところが素敵だと思っております。そして、シュラト様はほかるいを見ないほどの紳士しんしです」


 意外なほど強い語調で、銀髪のフェオドーラは力説した。


 まぁ、〝色欲〟の影響下にありながらなお二人の美姫には指一本触れていなかったというのだから、シュラトの理性というか、女性に対する奥手ぶりは筋金入りだ。


 確かに、見ようによっては『紳士』とも言える。見ようによっては。


 俺が勝手に頭の中でそう得心とくしんしていると、レムリアがやや頬を赤く染め、どこか照れくさそうにしながら、


「それに……ほら。可愛いでしょ? シュラトちゃんって」


「――は?」


 戦闘時の筋肉ダルマ状態を知っている俺としては、シュラトに対して『可愛い』という言葉ほど縁遠いものはない。故に、思わず変な声が出てしまった。


 片手でしゅしたほほを押さえながら、完全に惚気のろけモードに入ったらしきレムリアを、フェオドーラが薄桃色うすももいろひとみで冷たく見やる。


 お、そうだぞ。このボケには、相方のお前さんがツッコミをいれるのが一番だよな――とか思いながら見ていると、


「わかります」


 真面目ぶった顔で力いっぱい同意しやがった。


「は?」


 え? どうしよう。何これ? 何の話? 俺は一体どう反応すればいいんだ?


 突如として出現した謎空間に、俺は混乱する。


「レムリア様の仰る通り、シュラト様の魅力はその『可愛さ』にこそあります。あれは……たまりません」


 待って? その『あれは……』の後の溜めがすごくない? 言葉にあらわそうとして結局は出来なくて、最終的に『たまりません』の一言に全てをんでるよね?


 ひそかに拳を握り込んだフェオドーラに、きゃあ、とレムリアが黄色い声をあげてはしゃぎ出す。


「そうなのよー! それにほら、シュラトちゃんって体の大きさが変えられるじゃない? あたしね、あたしね、特に子供になったときのシュラトちゃんがほんとに大好きでー!」


「完全同意」


 聞いてもないことを語り出したレムリアに、しかしフェオドーラも見た目に依らない力強い声で同調する。いや四文字熟語みたいに言うな。言葉遣いというかキャラが壊れてるぞ。というか、そこまで気合い入っているのに表情があんまり変わってないって逆にどういうことだよ。


「…………」


 まいったな。言葉は通じるのに、二人が何を言っているのかさっぱりわからない。


 唯一わかるのは――


「――ショタが好きなのか?」


 直感的に頭に浮かんだ質問を出すと、ピタリ、と二人の美姫の動きが止まった。


「…………」


「――――」


「いや図星かい」


 まるで時が凍り付いたかのような、あからさま過ぎる静寂に、俺の気の抜けたツッコミだけがよく響いた。


 しかし何はともあれ、これで疑念ぎねん払拭ふっしょくされた。


 別段、人の趣味をどうこう言うつもりはない。とやかく言ったところで無粋ぶすいきわみだからな。


 レムリアとフェオドーラが可愛くて小さい男の子が好きな特殊性癖の持ち主ということで、それ故に肉体操作のできるシュラトにぞっこんだというのなら、納得なっとくしかない話である。見た目は子供、中身は大人――そんな奴はそうそういないだろうからな。


 二人がシュラトの妻であり眷属であり続けることを選んだ、その理由は理解できた。


 これ以上は夫婦間の話である。


 俺からは敢えて何も言うまいて。


 頑張れよ、〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 存分に幸せになってくれ。


 まぁ、知らんけど。




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