●17 星を斬り、法則を変え、起死回生を狙う 6





 結論から言おう。


 シュラトは正気に戻っていた。


「すまなかった」


 瓦礫の上にあおだいに転がったシュラトは、俺達の顔を見るなり端的たんてきに言った。


 声のトーンがとても低い。ムスペラルバードでの再会した時の踊るような抑揚よくようはどこへやら。いかにも無骨な戦士な声音だった。


 既に姿形も、筋肉ダルマから普通の成人男性のそれへと変わっている。優男に少し筋肉をつけたような、ちょうどガルウィンにも似た体格である。おそらく、これが本来のシュラトの姿なのだろう。


 未だエムリスの封印シールによって力のほとんどが抑制よくせいされているはずだが、傷が全快している。とても雲よりも高い場所から落ちてきたとは思えない姿だ。


 ちなみに、俺もシュラトも身につけている衣服には各々おのおのの〝氣〟が伝播でんぱしており、こちらも肉体と同様いくらでも再生する。自分で言うのもなんだが、不思議かつ、なかなか便利な特性である。


「やあ、シュラト。【久しぶりだね】。元気そうで何よりだ」


 先刻せんこくまで切り札として使用していた大判の本に再び腰掛けて浮いているエムリスは、皮肉たっぷりの挨拶を返した。


「その様子だともう〝色欲〟の影響はない感じかな? アスモデウスの人格は引っ込んだという認識でOK?」


 ややおどけた態度でエムリスが問うと、


「ああ」


 言葉少なにシュラトは肯定した。


 うむ、これぞ俺の知るシュラトだ。基本は無口で、口を開いても必要最低限のことしか言わない。まさに〝金剛の闘戦士〟という名にふさわしい人格である。


「よう、シュラト。これは嫌味いやみだが、こっちを油断させておいて実は……なんてことはないよな?」


 エムリスにならったわけではないが、俺もつい揶揄するような言い方をしてしまう。


 昔の仲間が元に戻ったのは喜ばしいことだが、ここに至るまでの手間が半端なかった。なにせ十年ぶりに〝星剣レイディアント・シルバー〟を抜いたり、エムリスだって禁呪を解放したのだ。


 規模で言えば、魔王との戦いと同レベル。


 つまり世界の行方を左右するような状況だったのだ。


 これまでの苦労を思えば、皮肉や嫌味の一つぐらい言いたくもなる。


「ない」


 やはりシュラトの答えは簡潔だった。真紅の瞳を赤い空に向けたまま、ぽつりと否定する。


 まぁ、当然と言えば当然だ。俺と全力でぶつかり合って、あれだけボコボコにされたのだ。いくら〝色欲〟のアスモデウスが外部世界の悪魔とはいえ、エネルギーの大半を使い果たしたことだろう。主導権が本来の肉体の持ち主であるシュラトに戻ってこなければ、こっちが困る。


「じゃあ、もう一つ確認だ。これまでのアホな行動は全部アスモデウスの仕業しわざで、お前自身の意思はこれっぽっちも関わっていない……ってことでいいんだよな?」


「…………」


 俺の問いに、シュラトは空を見つめたまま無言。


 どうやら返事はイエスではないらしい。


「――お前の意思もあった、ってことか?」


 まさか、と思いつつも問いを重ねる。


 すると、これにもシュラトはしばしの沈黙を返し、やがて――


「……わからない。だが、火のない所に煙は立たない。火元は間違いなくオレだ」


 淡々とした口調で、シュラトは告げた。


 その無感情っぷりは、どこかイゾリテを彷彿させる。


 そういえば、シュラトとイゾリテの二人は少し似ているところがある。俺が幼い頃のイゾリテを気にかけて理術を教えるなどしたのは、そういった理由があったからかもしれない。


「まぁ、確かに。ゼロには何を掛けてもゼロだけれども、少しでもあれば増幅は可能だ。〝色欲〟はシュラトの中にあった些細な欲望を大幅に増加させて、その勢いで肉体を乗っ取ろうとしたんだろうね」


 俺達に八悪の因子を埋め込んだ張本人であるエムリスが、うんうん、と頷きながら分析する。


「そういう事態を考慮して、それぞれの因子から一番遠い奴を選んで宿らせたんじゃなかったのか?」


 俺が糾弾するような言い方をしてしまったからか、エムリスが、むっ、と眉根を寄せた。


「それだけ八悪の因子の影響は強烈だった、ということさ。というかシュラトだからこそ、この程度で済んだとは思わないのかい? もしシュラトじゃなくてアルサルに〝色欲〟が埋め込まれていたら、今頃は世界中の女という女をはらませていたかもしれないよ? 朴念仁のシュラトがハーレムを作りたがったくらいだ。アルサルなら間違いなくそれ以上のことをしでかしていたはずさ」


 プンスカと怒った口調かつ、やたら早口で言われたので、俺は思わず圧力に押され、


「お、おう……」


 と返事してから、とんでもない誹謗中傷を受けたことに気が付いた。


「――っておいコラ、今何つった? 勢いに任せてめちゃくちゃ失礼なこと言わなかったか?」


「いやぁそれにしても驚くべきはシュラトの理性だね! ほとんど〝色欲〟のアスモデウスに乗っ取られながらも、後宮ハレムの女性には一切手を出していなかったと言うのだから、これは本当にすごい話だよ。まぁ二人ほど眷属化していたようだけれど? 逆に言えばその程度しかしていなかったということで、実に素晴らしいことさ。〝色欲〟と〝暴食〟をシュラトに担当してもらって本当によかった。心の底からそう思うよ、ボクは」


 こいつ、適当に煙に巻いて誤魔化すつもりだな。


 しかし、いかにもな口調でシュラトを褒めそやしていたかと思えば、一転して声を低め、


「――そう、だから気にする必要なんてないんだ。今回の件は君のせいじゃあないんだよ、シュラト。君ほどの人格者でも、因子が暴走すればこんな事態を引き起こす……つまりはそれほどのものだったということさ、ボクがこの世界に呼び込んだ八悪の力というものは。だからこそ、あの規格外の魔王を倒すことが叶ったとも言えるのだけれどね」


 それは、正気に戻ったシュラトの『すまなかった』という謝罪に対する返答だったのだろう。


 言外に、全ての責任はボクにこそある、と言っているかのように俺には聞こえた。


「 解除リリース 」


 エムリスが囁くように告げると、シュラトにかかっていた封印がかすみのようにかき消えた。


 精悍な男が上体を起こし、俺達を見る。


 ちょっと前まで自分のことを『オレっち』、俺のことを『アルサル氏』なんておかしな呼び方をしていたシュラトは、もうどこにもいない。


 人が変わったように――いや実際に中身が変わっているのだろうが――物憂げな表情を浮かべたシュラトは、瓦礫の上で立ち上がり、


「いや、因子につけ込まれたのは己の責任だ。信頼されて託されたというのに、期待を裏切ってしまった。本当にすまない」


 改めて、俺とエムリスに頭を下げた。


「……ムスペラルバードの人々にも悪いことをした。戻って謝罪しなければ」


 面を上げたシュラトは、押し殺した声で言う。


 この言葉をもって、俺は心の底から確信した。


 こいつは正真正銘、俺達の仲間のシュラトだ――と。


 無骨ぶこつ無愛想ぶあいそう、だが生真面目きまじめ


 戦闘前の軽佻けいちょう浮薄ふはくな態度とは、まったくの正反対。


 これぞ〝金剛の闘戦士〟シュラトだ。


「特に、レムリアとフェオドーラには悪いことをしてしまった。一般人を己の眷属にしてしまうなど……戻ったらすぐに取り消さなければ」


 挙がった二つの名前は、おそらくは玉座の傍にはべらせていた美姫のものだろう。響きからして、レムリアが赤毛と小麦色の肌のムスペラルバード人。フェオドーラが、銀髪と白皙を持つニルヴァンアイゼン人だと思われる。


「ま、やっちまったもんは仕方ないだろ。素直に謝って、王位を返上して、後は賠償金やら何やら払えば許してくれるさ、多分。幸いなことに誰も死んでねぇし、何も壊れてない……あ、いや、宮殿のど真ん中がぶっ飛んじまってたな、そういえば」


 シュラトを慰めようとして、俺は戦闘開始直後のことを思い出した。


 よりにもよって玉座のある謁見の間が粉微塵になってしまっていた。俺とシュラトが激突した衝撃によって。


 くすっ、とエムリスが笑う気配。


「なら、賠償金の半分はアルサルが支払わなければいけないんじゃあないのかな?」


「ぐっ……」


 嫌なことを言いやがる。


 確かに一理ある。


 一理あるが、しかし――


「――待て、それを言うならお前にも責任があるんじゃないのか? シュラトの暴走は八悪の因子を移植した自分の責任だとか何とか、言っていただろうが」


 俺が言い返すと、ふふん、とエムリスは余裕の態度で肩をすくめて見せた。


「そうだね、その通りだ。そして、ボクたち三人はかつて一緒に戦った――そう、死線を共にした仲間だ。だからここは仲良く、責任を三等分しようじゃないか。ああ、美しい友情とはまさにこのことだね! てへぺろ」


 いけしゃあしゃあと抜かしやがる。ムスペラルバードにつ前は、あんなにも殊勝な態度を取っていたくせに。何だ、てへぺろって。


 はぁ、と軽く溜息を吐く。




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