●16 激闘、魔界の空の下 5





『すぐに出る。お前はシュラトの相手をしといてくれ』


『もちろんさ。というか現在進行形で相手をしているところだけどね。というか、このままだとキリがないなーと思っているところさ!』


 投げやりに念話を飛ばして、俺は全身に力を込める。


 肉体が瓦礫の山の中にあるのなら、さっきのシュラトのように全部吹き飛ばして脱出するしかなかろう。周囲への被害はさらに広がるが、まぁ気にしない。


 そう――俺は、〝人類の守護者〟であることを自らに課している。そして、魔界に対する限りでは、自身こそが〝人界の代表〟だとも思っている。


 だからこそ、俺は明確に線引きをする。


 俺がまもるべきは人類であり、人界である。


 その逆に、魔界の何もかもはその範囲外とする――と。


 無論、魔族や魔物とて生命の一つだろう。どこでだったか『命は星よりも重い』なんてフレーズを耳にしたことがあるが、それもしかり。


 だが、その論法を尊重するのなら、俺は毎日食べる肉にまで気を遣わねばならなくなる。


 牛や豚、とりとて一つの命。人間の命と比べてどちらが重いかなど、人が決めていい領分ではない――と言えば聞こえはいいかもしれないが、言い換えれば、優先順位がつけられない優柔ゆうじゅう不断ふだん戯言たわごとだ。


 天秤に傾きを作らない奴には何事も為すことはできない。


 かつての俺とて、人類のがわに立っていたからこそ、百万を超える魔王軍を突破し、魔王を殺すことが出来たのだ。


 だから、今になって天秤の傾きを変えるわけにはいかない。この手で奪った命に対して、俺は責任をまっとうし続けなければならない。


 故にこそ、俺は線引きをする。


 魔界の全ては壊してもいいものだ。魔界の命は殺してもいいものだ。魔界は滅んでもいい場所だ。


 俺は〝人類の守護者〟。護るべきものを護るためならば、他の全てを犠牲にする。


 そう――俺は〝勇者〟なのだから。


「――っらぁあああああああああああっっ!!」


 先刻のシュラトにならって、己の〝氣〟を爆発的に膨張させる。銀光が迸り、闇を照らす。


 次の瞬間、爆音と共に周囲の瓦礫が吹き飛び、視界が開けた。


 俺はよそ見をせず、即座に視線を空へと向ける。


 体へのダメージはもうない。シュラトの掌が胸に炸裂した瞬間は風穴が空いていたかもしれないが、とっくに再生している。どんな傷を負おうが瞬時に回復する――それが俺達なのだ。


 あらゆる方角から多くの悲鳴が聞こえてくるが、気にしない。


 視界の端に、青黒い魔族特有の血の色が入ってきた気もするが、これも無視する。


 魔族の血など十年前の戦いで目が腐るほど見た。今更どうでもいい。


 今はとにかく、シュラトを。


 靴底に理術を展開し、宙を踏む。全力で跳躍し、一気に空へと上昇した。


 その瞬間、雲よりも高い場所で凄まじい閃光が生まれた。


 遅れて、世界全体が揺れるような轟音が響き渡る。


 エムリスの攻撃魔術だ。


 あいつも遠慮なしに大技を連発しているらしい。


 さもありなん。そうでもしなければ、さっきの俺みたいに一瞬で肉薄されて一撃必殺だからな。


 特にエムリスは〝魔道士〟ということで完全に後衛型だ。何があろうと絶対にシュラトを近付けさせまいと、弾幕ならぬ【魔術幕】を張るのが基本戦術となる。


 無論、あのシュラトを遠ざけるような威力の大魔術を連発していたら、いくら空中での発動とはいえ、地上への被害は甚大だ。


 戦いが終息する頃には、この魔界の央都は魔王城だけ残して焦土と化しているかもしれない。いや、かもしれないと言うより――十中八九そうなるだろう。


 ともあれ、俺としてはまずシュラトに先程のお返しをしなければ。


「――吼えろ、〝シリウス〟」


 シュラトの一発を食らった時点で既に〝ベテルギウス〟によって作成した大剣は消えている。よって、俺は新たな星の権能を召喚した。


 間違っても人界では呼べない、超絶ちょうぜつ強烈きょうれつ星辰せいしんを。


 そして俺は加速。全身から銀の輝光をほとばしらせながら宙を貫くように飛翔し、エムリスの攻撃魔術を喰らってまたも吹っ飛んでいる最中のシュラトへと突撃していく。


「――〈天狼てんろう〉」


 意趣返しってわけでもないが、ささやくように剣理術を発動。俺の両手から膨大な銀光が溢れ、しかし一瞬にして剣の形へと収斂する。


 いや、正確には『剣』ではない。刀身が反り、片刃しか持たない――『刀』だ。


 銀剣ならぬ『銀刀』を手に、俺は光に近い速度でシュラトに接近し、斬閃を見舞った。


「――!?」


 シュラトが俺に気付いて防御態勢を取ろうとしたが、時すでに遅し。脇を締めたコンパクトな斬撃は吸い込まれるようにシュラトの右肩に呑まれ、左脇腹を突き抜けた。


 直後、その背後に広がる赤い空が大きく裂け――一瞬だけだが、宇宙の姿が垣間見える。


 斬撃の余波が時空を歪め、ほんの数瞬だけ距離の概念を消失させたのだ。


「かっ……!?」


 シュラトの喉から掠れた呼気こき


 俺の剣は『絶対切断の概念』そのもの。だが、シュラトの概念防御も鉄壁だ。


 なにせシュラトが肉体に宿すのは『無限成長の概念』。〝戦いの中でだけ〟という制約こそあるが、時が経てば経つほどシュラトの力は成長――強化されていく。


 つまり、放っておけば攻撃力も防御力も無限に上昇していくという、反則級の能力を持っているのだ。


 ――ま、俺に言えた義理ではないかもしれないが。


 しかし、だからこその〈天狼てんろう〉だ。


 これは剣理術ではあるが、技ではない。俺の持つ『絶対切断の概念』を凝縮し先鋭化剣を作り上げる、そういう術だ。


 これなら無限の防御力を持つシュラトの肉体さえ、切断することができるのだ。


 ――どうせすぐ再生されるだろうが、な。


「さっきの借りは返したぜ、シュラト」


 そううそぶくと、真紅の瞳が俺を見る。


 機械のように無機質な目。ダメージを苦痛ではなく、ただの事実として丸呑みしている顔だ。こいつ、まだ気力は充分か。


「〈我王がおう裂神れっしん――」


 ロボットのように淡々とした声が、シュラトの唇からこぼれ出る。


 こうして近寄ると、さっき再会したときの優男風な顔はどこにもない。大型のゴリラみたいにごつい図体に、角張った顔。丸太のように太い手足――言っちゃあ何だが、化物一歩手前の見た目だ。


 そんなシュラトの両拳に、目を灼く程の黄金の輝きが生まれる。


 信じられない奴だ。今まさに肉体を両断された直後だというのに、四肢を動かして反撃しようというのだから。


「――通天つうてん八極はっきょく〉」


 このままでは先程と同じように、俺はまたも直撃を喰らって遠くへと吹き飛ばされてしまうだろう。いや、ここまでの大技となると流石に五体バラバラになっちまうか?


 しかし――この戦いにおいて、【俺は一人ではないのだ】。


 パチン、と指の鳴る音。


 それを耳で聞いた時にはもう、俺の別の場所へと転移している。


 さらに、




「 〈氷結地獄アブソリュート・ゼロ〉 」




 エムリスの大魔術が発動。


 せっかくの大技のぶつける先を失ったシュラトは、為す術もなく極寒の冷気に晒される。


 魔界の赤い空が、一瞬にして純白に染まった。


 例えようがないほどの膨大な冷気が生まれ、空そのものを凍結させたのだ。


 当然、シュラトも分厚い氷塊の中に閉じ込められ、完全に封印される。


 とはいえ――


「……これでどれぐらいつ?」


「残念だけど、保って一分ぐらいかな? やっぱり強いねー、シュラトは。流石はボク達の切り込み隊長だよ」


 俺の質問に、エムリスが気楽に笑いながら答える。


 半径数十キロに渡って天空が凍てついたというのに、それが保って一分程度だという。


 自分で言うのも何だが、本当に洒落にならない規模の戦いであった。


「……つうか本気でキリがないな、これ」


「そりゃあそうだよ。ボク達は実質的に不死身なんだ。いくら殴り合ったところで意味なんかない。お互いに殺すことは出来ないし、それぞれの所有する『概念』や体に宿した八悪の因子のことを考慮すると、封印することだって不可能だ。ボク達は【戦う前から詰んでいる】……前にもそう言ったろう?」


「百聞は一見にしかず、ってやつだ。実際にやってみて、ようやく実感できることだってあるんだよ」


 どこか得意げに語るエムリスに、俺は辟易へきえきしながら反駁はんばくする。


 いざシュラトとほこまじえる段になればどうなるか――エムリスとは事前に話し合いをしていた。


 結論から言えば『決着は絶対につかない』というのが、答えだった。


 そう、結末など最初からわかっていたのだ。


 勝敗が決まるはずもない。


 人外となった俺達に死はなく、終わりはない。


 お互いに負けることがないということは、同時に、どちらも【勝利の栄冠を握ることはない】ということでもある。


 だから、どんな攻撃も、どんな防御も、どんな小細工も、意味などまったくない。


 戦うことそれ自体が無意味なのだ。


 じゃあ、どうして戦っているのかというと――


「……本当にシュラトの目が覚めるのか、こんなことやってて?」


「理論上はね。ボク達自身の持つエネルギーは無尽蔵と言ってもいいけれど、八悪の因子――『色欲のアスモデウス』の力は有限だ。いくら人格を得てシュラトの肉体を乗っ取ろうとも、限界を超えるダメージを受ければ弱体化する。それが道理というものだよ」


 つまりは【ショック療法】というやつである。荒療治ともいう。


 シュラトが〝色欲〟の力に呑まれて暴走しているのであれば、これを力尽くで叩きのめし、目を覚まさせる――


 俺達がやろうとしていることは、つまりはそういうことだった。


「改めて思うが、本気で頭のいい方法じゃないよなぁ、これ」


「仕方ないじゃないか、ボク達はもう細かいことがどうこうって次元にいないんだから。ちょっとした小細工でどうにかなるのなら、ボクがとっくにやっているよ」


 あきれの溜息をく俺に、エムリスがくちびるとがらせる。


 エムリスが作り出した超巨大な氷塊ひょうかい――否、空飛ぶ氷山は今なお宙に浮いたまま。


 これだけ巨大な物体が重力に引かれて落ちていかないのは、魔力によって浮揚させられているからだろう。


 現時点で早くも、全体が小刻みに震え始めている。


「そうは言っても、このまま小競り合いを続けていてもらちがあかないよな?」


「そうだね、適当に殴っただけでアスモデウスが弱体化してくれるのならよかったのだけど、どうもそう簡単にはいかないようだ。これはもう少し、ボク達も気合いを入れる必要があるみたいだね」


 俺とエムリスはお互いに神妙しんみょうな顔を見合みあわせる。


 大人になると、子供の頃には簡単にできていたことが途端に難しくなったりするものだが、その一つが――【本気を出す】、というやつだ。


 特に俺達は、その本気が人界を滅ぼしかねない。冗談抜きでこの十年間は、本気を出す機会がまったくなかった。


 ぶっちゃけ、俺もエムリスも『本気の出し方』ってやつを相当忘れてしまっている。


 二人して顔つきが憂鬱ゆううつげなのは、そのせいだ。


「――仕方ないな。久しぶりにちょっくら本気出してみるか」


 俺は右手を左胸に当て、息を整える。


「ああ、そうだね。ボクも久方ぶりに【この本を開くとするよ】」


 そう言ってエムリスは、いつも尻を乗せていた本から降りた。改めて飛行魔術で宙に浮き、大判の本を顔の前まで移動させる。


 氷山の震えが徐々に大きくなってきた。エムリスの〈氷結地獄アブソリュート・ゼロ〉は並の相手であれば時間ごと凍結させてしまう、まさに氷地獄コキュートスがごとき魔術だ。しかし、そんな大魔術をもってしてもシュラトを封印するには至らない。


 今なお〝金剛の闘戦士〟は氷塊の中で無限の成長を続けているのだ。


 このままいたずらに時を過ごせば、シュラトの攻撃力と防御力は物理の限界を超え、一種の無敵状態に入る。そうなるともう『殴って目を覚まさせる』どころではない。下手すりゃシュラトのパンチ一発の余波が、遠く離れた人界にまで届き、甚大な被害を出す恐れだってあるのだ。




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