●16 激闘、魔界の空の下 2





 ガルウィンにとって、目の前で起きていた現象はあまりにもスケールが大きすぎて、ほとんど理解が追いついていなかった。


 かつてアルサルと共に魔王を討伐した英雄の一人――〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 想像していた人物像とは全く違うひととなりだったが、それでも英雄は英雄。


 アルサルとエムリスの後方に控えながら崇敬すうけいの念を抱いて眺めていたが――


 気が付いた時には戦いが始まっていた。


「お兄様!」


 咄嗟に妹のイゾリテが防御結界を張ってくれなければ、いくらアルサルの眷属と化したこの身でもただでは済まなかっただろう。


 アルサルの剣と、シュラトの拳の激突。


 事実だけを捉えるなら、単に剣と拳がぶつかっただけだ。もちろん素手で刃を迎え撃つことは異常とも言えるが、鋼のように鍛えた肉体の持ち主であれば不可能なことではない。


 おかしいのは、たったそれだけのことで生じた破壊力である。


 馬鹿げている。


 自分達がいたのは宮殿の謁見の間だったはずだが、一瞬の後、そこは何もない抜けた空間になっていた。


 アルサルとシュラト、二人の衝突による余波によって何もかもが吹き飛んだのだ。


 どこまでも広がっていくと思われた破壊の波濤はとうが一定の範囲に限定されたのは、おそらくエムリスが【外側を守護するための結界】を張ったからだと思われる。


 文字通り、桁違いの戦いの始まりに戦慄を覚えざるを得ない。


 建物そのものが粉微塵に砕け、ムスペラルバード特有の青空と白雲が視界に入る。陽光が強いあまり、現実離れしたコントラストを描き出している天空だ。


 気付けば足の下には巨大なクレーターが。


 妹が飛行魔術を発動させてくれたおかげで落下することはないが、忽然こつぜんと口を開いた穴は、ガルウィンに奈落への道を連想させる。


 剣と拳がぶつかっただけで、こんなことになるのか――憧れていた英雄同士の対決は、しかし冗談事では済まされない事態を引き起こしていた。


 ガルウィンが心臓にタップダンスを踊らせていると、


「イゾリテ君、君はガルウィン君を補佐しながらシュラトの眷属けんぞくの相手を! 首尾良く勝利した後は民衆がこの宮殿に近寄らないようにしてくれたまえ! ボクとアルサルはしばらく戻れない! よろしく頼んだよ!」


 早口でエムリスが指示を下し、妹が、


「了解しました、師匠マスター!」


 と応答した刹那、アルサルとエムリス、そしてシュラトの姿が蜃気楼しんきろうのようにかき消えた。


 転移したのだ。


 おそらくは、周囲をはばかることなく存分に力を振るえる戦場へと。


 それがどこかはわからない。わからないが、こうなれば自分達に出来ることは一つのみ。


 アルサル達の勝利を信じることだけだ。


「――落ち着きましたか、お兄様。であれば、剣をお抜きください」


 目の前の出来事にすぐ心を揺らしてしまう自分と違い、いつだって冷静沈着な妹は、こんな時だからこそ頼りになる。


 いったん防御結界を解除した妹の見据える先には、シュラト側の眷属――赤毛と銀髪の美女が二人。たがいに手を繋ぎ、薄い黄金の膜に覆われた状態で宙に浮いている。


「――っ!」


 妹の言う通りだ。ガルウィンは理術で隠蔽いんぺいしていた腰の剣を現出させ、柄を握って一気に抜き放った。


 お互いの主君同士が戦闘に入ったのだ。眷属である自分達もまた、戦うのが道理というもの。


 まずはシュラトの側室である眷属である美女二人を打倒し、その後にエムリスの指示通り宮殿の外へ出て人払いを――


 と、そこまで考えた時だ。


「ハーイ、ちょっとよろしいかしらー?」


 赤毛の美女が陽気に手を挙げ、友好的に声をかけてきた。


「「――!?」」


 ガルウィンもイゾリテも、揃って驚愕をあらわにしてしまう。


 なにせ緊迫していた空気が一気に破られてしまったのだ。


 風船が破裂したにも等しい驚きがあった。


 黒い肌――浅黒の肌を持つ自分達にとっては多少の親近感を覚える美姫が、にっこり、と魅惑的な笑みを浮かべ、


「なんかねー、シュラトちゃんがあなた達のご主人様……勇者様? とじゃれ合っているみたいだけど、別にあたし達まで争う必要はないと思うのー。どうかしら? 面倒なことはやめて、あたし達だけでも停戦といかない?」


 のほほん、といった音が聞こえてきそうな長閑のどかさで、そんなことを言ってきた。


「な……」


 思わずガルウィンの喉からうめき声が漏れる。


「お兄様……」


 イゾリテも戸惑っているのだろう。どうします? と目線で問うてくる。


 迷っている間に、今度は銀髪の美女が口を開いた。


「――正直に申し上げますと、私達はアルサル様とシュラト様が争う理由を理解しておりません。何やら、よんどころない事情がおありの様子ですが……しかし、それよりも私達は民衆のみなが心配です。突然のことにきっと驚いていることでしょうから。少しでも早く、民を安心させてあげたいと思います」


 赤毛の美女とは打って変わって、細い清流を連想させるような、ひどく静かな声。それだけに言葉に籠められた意思が強く伝わってくる。


「……つまり、戦意はない、と?」


 ガルウィンが問うと、赤毛の美女はうんうんと首を縦に振り、銀髪の美姫は顎を引くようにして頷いた。


「――お兄様、エムリス様は『あの二人の相手を』としか仰ってません。それは、戦って倒せ、という意味だけではないでしょう。避けられる戦いであれば、避けるのも一つの手かと」


 この場においては年長者である自分を立ててくれるつもりなのだろう。イゾリテが小声でささやく。あくまで判断はガルウィンに任せる、というていだ。


「……ああ、イゾリテの言う通りだな。アルサル様も戦技指南役の頃から無駄な戦闘はこのまない御方おかただった。自分達も主君しゅくんならおう」


 逆に言えば、そんなアルサルがあのようにシュラトに食ってかかったということは、相応の理由があるに違いない。


 そして、エムリスもムスペラルバードの民衆のことを気にしていた。ならば、アルサルとてそうだろう。


 利害は一致している。


 ガルウィンは二人の美姫に深い頷きを返した。


「……わかりました! 戦うのはやめておきましょう! 今は何よりも民衆のことを! 我々も同じ思いです!」


 声を張って応じると、赤毛の美女が明らかに相好そうごうくずした。


「あらあら、よかったわぁ。あなた達、初めて見た時から『いい子そうだなぁ』と思っていたのだけど、本当にいい子ちゃん達ねぇ。嬉しいわぁ」


 コロコロと笑いながらの言葉に、ガルウィンは自分とイゾリテの母親二人を思い出す。双子の母親達は兄妹にとって、どちらも母親であり、同時に叔母おばでもあるような存在で、よく頭をなでられては『いい子ねぇ』と褒められたものだ。


 そんな記憶がすぐに出てくるのは、やはり彼女の肌の色が理由だろうか。


「ご英断に感謝いたします。もちろん、完全にこちらのことを信頼していただけるとは思っておりません。わたくしたちはあなた方とは逆方向に出て、民衆を抑えます。宮殿の北側と南側、どうぞお好きな方をお選びください」


 対照的に白く透き通った肌を持つ美姫は、しかし見た目を除けば内面はイゾリテに似ている――などとガルウィンは思う。ニルヴァンアイゼン人特有の、氷のような美貌。その容貌から連想する通りの振る舞いに、感銘を受ける他ない。


 話が上手くまとまっているというのに『自分達が完全に信用されているとは思っていない』という冷徹な判断力。そして、このやりとりが罠でないことを示すかのように、どの方角から宮殿を出て行くのかを選ばせる心遣い。


 赤毛の美女もそうだが、どうやら〝金剛の闘戦士〟シュラトがこの二人を『お気に入り』と称していたのは、なにも外面だけが理由ではないらしい。


 そのようにガルウィンが感じ入っていると、


「ご提案、うけたまわります。こちらこそ、賢明なご判断に敬意を表します。それでは、我々は北側を。南側はどうぞよろしくお願いいたします」


 イゾリテが礼儀正しく、美女二人に返事をした。すると、


「はぁい、それじゃよろしくねー」


「早速ですが、急ぎますので失礼いたします」


 赤と銀、黒と白の対照的な色合いの美姫らはそれぞれの反応を示した後、ガルウィンとイゾリテに背を向けた。


 金色の膜に包まれた二人が、宙を滑るように移動し、宮殿の南方へと立ち去っていく。


 先にきびすを返して無防備な背中を晒す――完璧な気遣いに、ガルウィンはただただ恐れ入る。


 二人の姿が見えなくなってから、大きく感嘆の息を吐く。


「……いやはや、なんとも、心まで美しい方々だったな……!」


 容姿はもちろんのこと、心の中まで清く、さらに言えば聡明そうめいだった。


 ――もしアルサル様がご結婚なされる際は、あのような女性が伴侶であれば最高だ……!


 という思いから出た言葉だったのだが、


「……お兄様? ついて行きたいのであれば、あちらへ行かれても構いませんよ? 私は一人でも問題ありませんので」


 非常にまれなことにイゾリテが満面の笑みで言うので、ガルウィンは目をくほど仰天ぎょうてんしてしまう。


「え、ええええええっ!? な、何故だイゾリテ!? 何故そんなことを!? ど、どうして怒っているんだ!?」


 自分は何か悪いことをしてしまったのか――と大いに焦るガルウィンから、イゾリテは、ぷいっ、と顔を逸らし、


「怒っておりません。お兄様の気のせいでは?」


 あくまで冷たい声でイゾリテは突き放す。


「お、怒っているじゃないか!? じ、自分が何か悪いことを言ってしまったのか? な、何が気に障ったんだ!? 教えてくれ!!」


「お兄様に教えることなど何もありません」


 必死の訴えも不発に終わり、イゾリテはそのまま飛行魔術で北側へと遠ざかっていく。


「ま、待ってくれイゾリテ! じ、自分も行くぞ! お、置いていかないでくれ!」


 ガルウィンを宙に浮かせているのはイゾリテなので、彼女がその気にならなければ置いて行かれてしまう。ガルウィンは必死に宙を泳ごうとするが、当然ながら一ミリも前には進めない。


「イゾリテー! 何だかよくわからないがすまなかったー! 許してくれー!」


 微妙な女心、そして妹心が徹頭てっとう徹尾てつびわからないガルウィンなのであった。





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