●15 〝金剛の闘戦士〟の乱 7





「――くっ……くはっ……はっはっはっ……」


 今なお頭を低くして俯いているシュラトの体が、小刻みに揺れ始めた。別段、宮殿の揺れのせいではない。聞いての通り、笑っているのだ。


 やがて、垂れた前髪で顔を隠したままのシュラトは、一気に面を上げて哄笑こうしょうした。


「はははは……HAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 玉座に腰掛けたまま喉を逸らし、宮殿の外まで聞こえそうな大声で大笑いする。


 だが次の瞬間、ピタリと止まり、


「――オーケイオーケイ、よーくわかった。【お前ら】、要はオレの邪魔しに来たってわけだな? ああそうかい、そうなのかい。ならしょうがない。ああ、しょうがないよな。どうしようもない、どうしたってもしようがない。そういうことなら仕方がないんだよな。本当にもう、どうしようもないんだから」


 抑揚のない口調で、しかしどこかうたうようにリズミカルに言うと、シュラトは、ゆらり、と幽鬼ゆうきのように玉座から立ち上がった。


 天井に向いていた顔が、ぐん、といきなりこちらに動いた。赤く輝く瞳が、どこか無機質な視線を突き刺してくる。


 俺にはわかる。


 あれは――【敵を見る目】だ。


「――ころす」


 シュラトがそう呟いた瞬間、その全身から洒落しゃれにならない勢いで黄金の〝オーラ〟が噴き出した。


 真実、それは爆発だった。シュラトの肉体を中心として全方位に衝撃波が生じ、周囲のものを吹き飛ばす。左右にはべっていた美女二人は素早く飛び退いていたが、玉座やカーペット、床の一部が粉々に砕けて飛散した。


 転瞬、謁見の間に豪風が吹き荒れる。


 無論のこと、俺にとってはそよ風みたいなものだが。


「殺す、と来たか。面白い冗談だ。笑えねぇな」


 爆風を全身で受け止めながら、俺は言葉通り表情筋を引き締めてシュラトを睨みつける。


 そこまで馬鹿になったか、〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 俺もお前も殺せない。そう簡単には死なない。


 いや――【死ねない】んだよ。


 そんなことすら忘れちまったのか、馬鹿野郎。


「シュラト、言ってもわからないと思うけれど、今の君は本来の君じゃあない。しかも君のやっていることは、せっかく平和にした世界を混乱させる行為だ。ボクはかつての仲間として……そして、君の中に〝色欲〟と〝暴食〟を移植した者として、責任を取らなければいけない」


 空飛ぶ大判の本に腰掛けたエムリスが、ゆっくりと前へ出た。柄にもなく神妙な顔つきで、黄金の〝氣〟を放つシュラトを見つめている。そんな〝蒼闇の魔道士〟もまた、ダークブルーの輝紋を励起させ、同色の〝氣〟を全身にまとっていた。


 だが、その真摯な言葉は今のシュラトには欠片かけらも届くまい。


 今や戦闘モードに入ったシュラトは、昔のように仮面のような無表情を俺達に向け、まるでうわごとのように、


「うるさい。黙れ。オレの邪魔をするな。お前ら何なんだ。何の権利があってオレに指図するんだ。鬱陶うっとうしい。あっち行けよ。寄ってくるなよ。消えろよ。オレはやりたいようにやるんだ。それだけの力があるんだ。好きにして何が悪いんだ。腹が立つ。どうしようもなく腹が立つ。せろ。せろ。今すぐ出て行って戻ってくるな二度とその面を見せるなお前らとはこれでもうおしまいだ」


 戦いを前にして感情を見せなくなるところは、昔と同じだ。しかし、この口数の多さはなんだ。まるで【らしくない】。


 これでは〝色欲〟や〝暴食〟に浸食されているというより――


「……まずいね、アルサル。おそらくだけど、アレはもう【シュラトじゃない】……別の人格が目を覚まそうとしている……」


「――どういう意味だ?」


 聞き捨てならないにも程がある台詞に、俺は思わず素で聞き返した。


「【八悪の因子そのものが人格を持ち始めているんだ】。アレは因子の影響を受けてシュラトの人格が変わったんじゃない……まったく別の人格が、シュラトの肉体を乗っ取ろうとしているんだよ……!」


「……!?」


 少なくない衝撃が頭の中の弾け、俺は絶句する。


 ――そんなことあるのか……!?


 思わず視線にそう乗せてエムリスを見つめると、夜色の髪を持つ魔道士は顎を引くようにして頷いた。


「――君のことだからもう忘れているとは思うけれど、十年前にも説明したように、八悪の因子はもともと悪魔が持っていたものだ。それを強制的に抜き出し、ボク達に二つずつ移植した」


「……そういえば、そうだったな。おう、覚えてるぞ」


 嘘である。そんな話を聞いたような気がする、程度の記憶だ。内心では脂汗ダラダラだが、おくびにも出さないよう気をつける。


「シュラトの行動から察するに、人格を持ち始めているのは〝嫉妬〟の化身――【アスモデウス】だ。悪魔はちからそれ自体が、存在そのものだと言っていい。つまり、悪魔の存在はちからそのものだとも言える。だからボク達に宿した因子は、イコール悪魔そのものだとも言えるのだけど……まさか、この世界でここまで成長して、しかも暴走するだなんてね……」


 エムリスの声には苦渋が満ちている。自らの見通しが甘かったと悔やんでいるようだ。しかし、


「今それを言っても仕方ないだろ。切り替えろよ、意識」


「わかっているさ。後悔こうかい謝罪しゃざいも全部、あとの話だ。今はシュラトを止める。全身全霊をかけてね」


 俺の言葉に、エムリスは力強く首肯した。ふと、十年前にもこんなやりとりがあったな、と思い出して微笑しそうになるが、やはりそれどころではない。


 不意にシュラトが身を屈める。腰を落とし、両の拳を握りこみ、完全な戦闘態勢に入った。


 来る。


「――消えろ」


 金色こんじきに輝くシュラトが刹那、床を砕きながら飛び出すのと同時、俺は両手に銀光を束ねて前へと出た。


 銀剣、収束。


 拳を振り上げて突っ込んできたシュラトに対し、逆袈裟の斬閃を跳ね上げる。


 瞬きにも満たない一瞬。


 俺の銀剣とシュラトの黄金の拳が激突した。


「「――――!!」」


 衝撃が爆発する。


 咄嗟にエムリスが結界を張っていなければどうなっていたことか。


 言うまでもなく、この一刹那いっせつなでグリトニル宮殿の大半がこの世から消滅した。


 そして、これが俺とエムリス、そしてシュラトの――戦いの幕が切って落とされた瞬間だった。







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