●14 東国の興り、成長する英雄、新たな最終兵器 3





 結論から言うと、犠牲となったのは俺達の『記憶』だ。


 前にいた世界のこと、自分の名前、家族や友人――今いるこの世界に来る前の出来事は全て、八悪の因子を手に入れるための代償として差し出し、つゆと消えてしまった。


 だから、俺の〝アルサル〟という名前も、歴史上れきしじょうはつの勇者からいただいたもので、本来の名ではない。


 当然、エムリスも、ニニーヴも、シュラトだってそうだ。


 全員が過去を抹消まっしょうすることで、異次元の存在である魔王を殺す力を手に入れたのである。


「もう自分がどこで何をしていた人間なのか、なんて名前だったのかもまったく思い出せないからね。まぁ、おかげで元の世界に帰りたいとも思わないし、そもそも悪の因子を宿したからには帰るわけにはいかないのだけど。――ありがたいと言えばありがたいことさ。他人には上手く説明できないことではあるけれども」


 無論のこと、何もかもを完膚なきまでに忘れた、というわけではない。


 例えば俺が前にいた世界では、理力や魔力といったものは存在していなかった。


 科学というものが発達して文明を支えていて、しかし生活レベルはこの世界と比べものにならないほど格段に高かったのを覚えている。


 エムリスの世界は、俺の世界よりもさらに進歩した、科学と魔法が融合したような文明だったと聞く。俺達の体に刻まれている輝紋きもんのことも〝SEAL(シール)〟と呼び、エムリスは生まれた頃から持っていたのだとか。そのあたりが、あいつが〝蒼闇の魔道士〟としてばれた所以ゆえんだったのだろう。


 詳しいことは割愛かつあいするが、ニニーヴもシュラトも、場所も時代もまったく違う世界から召喚されている。惑星レベルで違うのか、次元レベルでことなるのか、そこのところはよくわからないが。


 ともあれ、俺達が異世界からの来訪者であることは口外禁止の禁忌タブーである。


 言っても誰も信じないだろうし、あまり意味もないだろうが――もし信じてしまう人間がいたら、世界が混乱してしまうかもしれない。


 ここの人類は、この世界一つだけでも持て余しているのだ。他にも世界があるなんて知れたら、何が起こるかまったく予想できない。


「じゃあ、仕方ないね。説明はしないでおこう。なぁに、あの子達はボクらの眷属なんだ。しかもアルサルに心酔している。君が『行くぞ』と一声かければ、どこにだってついて来てくれるだろさ」


 キッパリと、エムリスは諦めの言葉を口にした。


 まるで悪びれずに。


「お前なぁ……」


 あまりの適当さ加減に、思わず呆れの声が出た。


「なんだい? いいじゃあないか、別に。説明できないことなら無理に説明することもないさ。この世は最初から不思議なことだらけなのだからね。一つや二つ増えたところで誤差というものさ」


「そういう問題じゃないだろ。場合によっちゃあシュラトと【やり合う】ことになるんだぞ? 何も言わないのは……フェアじゃないだろうが」


「フェア? 何を言っているんだい、君は?」


 心の底から不思議そうに、エムリスは聞き返した。


 本気で俺の言っている意味がわからない、という顔だ。


「【どうでもいいじゃあないか、そんなこと】。ガルウィン君は君の眷属で、イゾリテ君もボクの眷属だ。主導権はこちらにある。言うことを聞かないのなら主の特権として言うことを聞かせ――」


「ちょっと待て、おい」


 当たり前のようにとんでもないことを言おうとしていたので、俺は声を低くして、強めにさえぎった。


「――?」


 が、舌を止めたはいいものの、エムリスは俺の意図をまったく理解していないようである。


 こうなると怒りが一周回って、呆れの感情となる。


「お前な、言っていいことと悪いことの区別も――ん? んんんん?」


 苦言を呈しようとしたところ、微妙な違和感を覚えて俺は首を傾げた。


 やはりおかしいな。エムリスはこんなことを言うような奴じゃなかったはずだ。なにせ四人の中で〝怠惰〟と〝残虐〟を引き受けることになった人間なのだ。逆説的に、昔のこいつがどんな奴だったのかは大体想像してもらえるだろう。


 とはいえ、今のところ因子の影響は限定的だ。性格の根本から捻じ曲げてしまうとは、とても思え――いや、シュラトの件もあるから断言はできないか。


 しかしだ。


「んー?」


「なんだい、アルサル? さっきからウンウンうなって」


 確かに再会した頃から微妙な違和感はあった。ちょっと思いやりが足りないと言うか、はっきり言えば他人のことが想像できないサイコパスになったみたいな。


 もしや〝残虐〟の影響か? 他人への思いやりを持たないのは残虐性の一面ではある。辻褄は合う。合うが――


「――あ、なるほど。そういうことか」


 ふとひらめき、俺は指を鳴らした。


 そのまま指先をエムリスに向け、


「エムリス、お前なんだかんだ言いながら【思考放棄】してるな?」


「――――」


 反応は露骨ろこつだった。


 きゅっ、と唇を引き結んだかと思えば、そのまま無言で目を逸らしやがったのである。


 ビンゴだ。


「【やっぱりそうか】。さては〝残虐〟っていうより〝怠惰〟の影響だな? どうせ『余計なことを考えるのが面倒くさい』とか思ってたんだろ。言っていることの方向性が『ガルウィンとイゾリテをイジメてやりたい』ってよりも『細かいことはどうでもいい、考えるのが面倒くさい』って感じだったもんな」


「…………」


 エムリスは無言。何の反駁はんばくもない。


 が、この場合の沈黙は肯定の意味でしか有り得ない。


「お前なぁ……いくら面倒くさいと思ったからって『どうでもいい』はないだろ、『どうでもいい』は。大体、お前はイゾリテのことが可愛くて仕方ないんじゃなかったのか? 問答無用で言うことを聞かせるとか、可愛がっている弟子にする仕打ちか、それ? 常識的に考えて」


「うぐっ……」


 先日の発言を取り上げての言及げんきゅうに、とうとうエムリスの口から苦しげな声が漏れた。


 気まずそうな顔をして固まり、だらだらと冷や汗をかく。


 いつもならエムリスが俺に向けるジト目だが、今回ばかりはこっちの番だ。


 やがてエムリスは、ふっ、とくるまぎれの笑みを浮かべたかと思うと、


「……まさかアルサルに『常識的に考えて』なんて台詞を言われるなんてね……」


「悔しがるのそこかい」


 つい間髪入れずに突っ込んでしまう。どうも話題を逸らそうとしているようだが、そうは問屋とんやおろさない。


「まぁ〝残虐〟の影響じゃなかっただけマシだが、それでもちょっとよくないんじゃないか? 色々と余計なことを考えるのがお前の特技だろうに。魔術やら何やらの怪しいことばっかりよく考えて、身近な人間のことはよく考えずにないがしろにするってのは、孤独へのジェットコースターだぞ」


「ぐ、ぐぬぬ……こういうときに限ってめちゃくちゃ腹の立つ言い方をするねきみぃ……!!」


 エムリスも今回ばかりは自分が悪いと自覚しているのだろう。悔しそうに顔を歪めるが、強く言い返してはこない。


 これ以上いじょう抗弁こうべんするを悟ったのか、ふぅ、とエムリスは肩の力を抜いて身を引き、


「……わかった、ボクが悪かったよ。確かに君の言う通りさ。色々と考えるのが面倒くさくて適当なことを言ってしまった。全面的に謝罪する。これでいいだろう?」


 両手を挙げて降参のポーズである。


 しかし。


「――でも、やっぱりその辺りを考えるのは面倒くさいね。細かいことは君に任せるよ。ガルウィン君やイゾリテ君には君から上手く説明してくれたまえ。それが出来ないなら二人を置いていけばいい。もし本当にシュラトと戦うことになるのなら、ボクは【この本を開くことになる】だろうし、君だって【剣を抜くことになる】だろう?」


 投げやりに言って、ポンポン、といつも腰掛けている大判の本の表紙を叩く。


 いつもエムリスを宙に浮かせているあの本は、ただの飛行具ではない。こいつが〝蒼闇の魔道士〟としての本領を発揮する際に使用する『切り札』なのだ。便利なアイテムだから、というのもあるだろうが、それ以上に重要なものだからこそ肌身離さず持ち歩いているのである。


「ボクはどっちでも構わないさ。ま、出来ればボク達の事情に、あの子達を積極的に巻き込みたいとは思わないけどね。でも基本はアルサルに任せるよ。そもそも、このたびは『ボクがアルサルについて行く』と決めたものだからね。最初から主導権は君にあるんだ」


「頭の回る奴は、本当に言い訳がズルいな……」


 エムリスの露骨な言い回しに、俺は率直な非難を返した。


 どっちでも構わない、と言いつつ決定権と一緒に責任まで俺に丸投げしているのだ、こいつは。


 俺は多少ムスッとしつつ、


「と言っても、あいつらを置いていくって選択はなしだ。ここで切り捨てるんなら最初から旅の連れにするな、眷属にするなって話だからな。そのへんの責任はちゃんと取るべきだろ、大人として。それは俺だけじゃなくてお前もだぞ、エムリス」


「……はーい」


 俺の刺す釘に、渋々と言った風に返事をするエムリス。そのままソファに身を倒し、ぐでー、と寝そべった。これも〝怠惰〟の影響か?


「――お前、本当に大丈夫か? 本気で心配になってくるから、調子悪いんなら正直に言えよ」


「んー……」


 もぞもぞと動いて、ソファの上でひなたぼっこをする猫のように身を丸めたエムリスは、しばし間を置いてから、


「……考えたのだけどね、アルサル。どうもボク達が宿した八悪の因子は――〝一人でいると浸食の度合いが強まる〟、という仮説が立つんだよ」


 こっちと目を合わせないまま、淡々と語り出した。


「あ? 一人でいると……?」


「そう、一人ひとり、つまり孤独だね。他人の目を気にしないでいい状況にあると、誰かといる時よりずっと因子の影響は強くなるし、自分でも知らないうちに〝芯〟が汚染される――みたいだ。まだそうと確定したわけではないし、あくまでもボク一人の体感の話なのだけどね」


 そう言って、エムリスは重めの溜息を吐いた。心底めんどくさそうな、そんな吐息を。


 そして。


「……正直に言え、と言ってくれたから言うのだけれど――本当はこんな話はしたくなかったのだけど……せっかく君が心配してくれているのだからね、思い切って言うよ」


 抑揚の薄い口調で前置きすると、訥々とつとつと語り出した。


「実を言うと、アルサル、君が訪ねてくるまでボクは基本的にダラダラとしていたんだよ。ろくに研究もせずにね。日がな一日いちにちボーッとするか、何度も読んで内容を暗記している本をまた眺めてボケーッとするか、そのどちらかでね。たまに王様から頼まれていたポーションやら何やらの製造ラインのメンテをしたり、材料の補充や納品の時ぐらいにしか動かないような、そんなひどい状態だったんだ。多分……いいや、確実に〝怠惰〟の影響だね。君のくれたメッセージにも返信する気力がなくてね。気付いたら眠っていて、三日が経過していた……なんてこともしょっちゅうだったよ。こう言ってはなんだけど……本当に自分で言うのもなんなのだけど――ボクのこの十年は、ほとんど【空っぽ】だったんだ」


 台本でも読むかのように語るエムリスは、身を丸めたままで顔を隠している。


 本当は話したくなかった、というのはどうも嘘ではないらしい。〝怠惰〟の影響でソファに横になったのかと思っていたが、実際には照れ隠しというか、一種の防御体勢だったようだ。


「これは、そこから立てた仮説だよ。八悪の因子は孤独な時ほど力を強める――実際、人の中で暮らしてきた君にはあまり影響が出ていなかったようだからね。正直、君の顔を見るまでは『よっぽど〝傲慢〟になってるか、〝強欲〟になっているかのどちらかだろうなぁ』と思っていたのだけど……見た目が成長したのと、中身がちょっと大人になったところ以外は以前のアルサルのままだったから、少し驚いたよ。それでも、因子の影響は少なからずあったようだけれど」


 エムリスという奴は、自分の好きな分野となると饒舌じょうぜつで、早口かつ抑揚たっぷりの口調で喋り倒す、生粋の『魔術オタク』だ。


 逆に言えば、興味のない分野、苦手なものについて話す時はこのような淡々とした語り口になり、テンションも海底スレスレを泳ぐ深海魚みたいになる。


 この話、どうやらエムリス的には結構なコンプレックスらしい。





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