●11 七剣大公と観光名所 4






 イゾリテがエムリスの言葉に頷き、しかし声を固くして、


「ですが、それも時間の問題です。いずれ必ず破綻します。もとよりセントミリドガルが対応しうる規模を超えているのですから。真綿で首を絞めるようにジワジワと戦力を削られ……臨界点を超えた瞬間、一気に瓦解します。その時こそセントミリドガルが滅亡するときであり――」


 語尾を浮かせながら、ガルウィンに目配せする。


「――そして、アルサル様が『世界の王』となる最高の好機であります!」


 後を継いだガルウィンが大声でそううそぶいた。


 まったく、こいつときたら。


 エムリスに頼んで、遮音しゃおんの魔術を使ってもらっておいて本当に助かった。今のは間違いなく、宿屋のレストランにいる全員から注目を受けてしまう声量だったぞ。


「声がでかいぞ、ガルウィン。遮音してくれているエムリスに感謝しろよ」


「あ、申し訳ありません……!」


「いいよいいよ、君の声が大きいのにはボクも慣れてきたしね。かまわないさ」


 あはは、とエムリスは朗らかに笑う。どこか投げやり気味なのは、何を言ってもガルウィンの大声を出すくせは矯正できないものと諦めたからか。


 俺は俺で、はぁ、と溜息を一つ。


「……あのな? 何度言ったらわかるんだお前ら。だから俺は『世界の王』なんぞに興味ないんだって。何が悲しくて、せっかく手に入れた自由を自分から捨てなきゃならないんだ。王様なんて仕事はな、暇で自己顕示欲の強い欲深よくぶかな奴にでも任せときゃいいんだよ」


 ぞんざいに吐き捨てて、俺はコーヒーに口をつける。


 十日間前、魔族軍を壊滅させてからというもの、ガルウィンとイゾリテは何かにつけ俺に『世界の王』となるようすすめてくる。


 改めて俺の実力をたりにして、おかしな妄想に取り憑かれてしまったらしい。


 とはいえ、いくらけしかけられたところで、やりたくないことをやる気になどならない。


 何度もそう言っているのだが――


「残念です。アルサル様ほどの方が頂点に立ってくだされば、きっと世界中の人々が幸せになると思うのですが」


「スケールがでかすぎる話をするな。しかも真顔で」


 イゾリテがごく当たり前のような口調で壮大なことを言うので、思わず突っ込まずにはいられなかった。邪気のない瞳でまっすぐ見つめてこないで欲しい。


「イゾリテの言う通りです! 先日のアルサル様のお力は本当にすごかったのですから! ああ、今思い出しても胸が熱くなります……」


「いやいや、喧嘩けんかが強いだけで王様は務まらないだろうが……」


 もう十日も経っているというのに『果ての山脈』向こうでの戦いを思い出して、ガルウィンが陶酔とうすいモードに入る。俺は呆れてものが言えなくなってしまう。


「ですがアルサル様」


「そうですよアルサル様!」


 こういった話になるたびにきっぱりと断っているのだが、イゾリテもガルウィンもまるで諦めない。それどころか俺が強く怒らないのをいいことに、こうして食い下がることを覚え始めた。この兄妹が優秀なのは理術や魔術、剣術だけではないらしい。


 はぁ、と鉛みたいな溜息が出る。


「お前らもしつこいなぁ……いくらされようが、俺はもう表舞台には立たないってもう決めたんだ。何と言われようとも無駄だからな」


 俺の決意は固い。


 何故なら、この世界における俺の使命は十年前に終わっている。


 魔王を倒すために召喚された勇者――それが俺がこの世界に存在している理由だ。


 魔王を討伐とうばつすることだけが、俺の存在意義だったのである。


 逆に言えば魔王関連のこと以外は、ぶっちゃけ管轄外なのだ。


 魔物や魔族の退治については、まぁ、アフターケアみたいなものだと考えて欲しい。


「いいじゃないか、アルサル。君も愛されているねぇ。二人とも可愛いものじゃあないか」


 クスクスと笑いながら、エムリスが俺をからかう。


「そう言うならお前がなったらどうなんだ? 『世界の王』とやらに」


 俺が嫌味をぶつけると、ははは、とエムリスは軽やかに笑った。


がらじゃないよ、そんなの。君もわかってるだろ? 昔のボクならいざ知らず、今のボクは〝怠惰〟と〝残虐〟に浸食されているんだ。こんな奴が支配者なんかになった日には、世界が滅びること間違いなしだね」


「朗らかに笑って言うことじゃないだろ……」


 楽しい話でもするかのように酷いことを言うので、俺は黒髪の少女にしか見えない魔道士にジト目を向ける。


 すると、エムリスはふと思い出したように、


「そういえばだよ、アルサル。ボクは最近ちょっと気付いたのだけどね?」


「なんだ、やぶからぼうに」


「可愛いといえば、ボクは最近とみにイゾリテ君が可愛いと思えてきたのだけど、君はどう思う?」


「――いややぶからやりか。いきなり扱いにくいテーマをねじ込んでくるなお前」


 まったく即答できかねる質問を投げかけてきたエムリスに、俺は再びコーヒーを飲もうとしていたのを止めた。危ない、口をつけていたら吹くところだった。


「これが身内目線というやつなのかな? えこひいき、逆差別とも言うね。とにかく、ボクの眷属になったイゾリテ君が可愛く思えてしょうがないんだ。ああ、もちろん変な意味ではないよ? 何と言えばいいのかな……妹? 年の離れた従姉妹いとこ? それともめい? ともかくそんな感じで、目に入れても痛くないって感じなのさ。だってほら、彼女は可愛らしいし、素直だし、理術も魔術も飲み込みが早いし、頭の回転も速いからボクの言いたいこともハイコンテクストで理解できるし、なによりボクを師匠として尊重しているところがとても可愛い」


「よく喋るなお前……」


 ハイコンテクストというのは、言葉が足りなくても充分な意思疎通が出来るという『察しがいい』という意味だろう。例えば、『アレは?』と聞かれて『コレ』と返すだけでお互いに言いたいことが通じ合う、そんな会話のことである。


 エムリスは上機嫌の顔で、


「まいったねぇ、これは誤算だよ。まさか自分の眷属がこんなに愛らしく思えてくるなんてね。いや、イゾリテ君がとてもいい子なのは、もちろんのことではあるのだけど。我ながらこんなにも愛着が湧くとは思っていなかっただけに、自分の心境の変化には心底驚いたね。こんなことならガルウィン君もボクの眷属にしておけばよかったかな? イゾリテ君と同じく頭の回転はいいみたいだし、剣理術の腕から見て、理術も本格的に教えればそれなりの境地には達してくれそうだし。よく声が大きくなりすぎるのがたまきずなのだけれど」


 まいったね、と言いつつもやたらと饒舌じょうぜつなので、本気で困っているわけではなさそうだ。初めてペットを飼い始めた奴みたいなことを言っている。


「じゃあお前の眷属にするか? 俺は別に構わないぞ」


「そんな……!? アルサル様……!?」


 俺の申し出に、エムリスより先にガルウィンが抗議めいた声を上げる。なにをショッキングな顔をしているんだか。どっちの眷属になったって、得られる恩恵は大して変わらないだろうに。元々ガルウィン自身が持っている力を引き出しているだけなのだから。


 ふぅ、とエムリスが小さく吐息。


「……いや、やめておくよ。まったく、情緒じょうちょってものがわからない男だね、アルサルは。昔っからそうだったけど」


 はーやれやれ、と大仰に肩をすくめる。何だか小馬鹿にされたような気がしたので、


「おいおい、情緒がわからないって……それお前にだけは言われたくないんだけどな」


 冗談抜きで、竜玉が欲しいがためにドラゴンを虐殺したエムリスには言われたくないのだが。


 しかし。


「いやボクこそアルサルにだけは言われたくないよ。絶対に。どうしても。何があっても。たとえ天地がひっくり返ろうともね」


「お、おう……」


 エムリスがいきなり笑みを引っ込め、えらい真顔かつガチな口調で言うので、思わず甘引きしてしまった。有無を言わせぬ迫力とはまさにこのことである。


 おかしい。そこまで言われるようなことしたか、俺? それこそ先述のように、竜玉を手に入れるために『優しく殺してあげる』なんてのたまうようなエムリスに、今みたいな反応をされるほどのことを。


 ともあれ、これは妙に旗色が悪い。


「あー、それよりだ。今日はどこに行く? もうめぼしい観光地はあらかた回ったと思うが、まだアルファドラグーン国内で見ておきたい場所がある奴、いるか?」


 俺達の観光旅行は、アルファドラグーン最東端にある『果ての山脈』――というか、その向こう側の魔界にまで足を伸ばしたのだが――から始まり、なんやかんやこの十日間で大小無数の観光地をめぐめぐっていた。


 とはいえ、国というものは広い。


 東西南北に多種多様な観光地が存在する。その中でも特に、他国であるセントミリドガルでも耳にしたような観光名所を回っていたのだが、流石にそろそろネタ切れだ。


「ボクは特に。どこに行っても何だか新鮮な気分だからね。行きたいところがある人に合わせるよ」


 エムリスは余裕たっぷりに答える。そりゃまぁ、俺と同じで十年間ずっと引きこもり状態だったからな。旅そのものが新鮮味に溢れていることだろう。何を隠そう、俺も同じ気持ちである。


 やはり外の世界は楽しい。


「そうですね、自分としてはまた温泉にでも浸かりたいものですが……他に行きたい場所がある方がいらっしゃるのなら、そちらを優先していただければ」


 ガルウィンは三日目に行った温泉地の露天風呂が大層気に入ったらしく、希望を聞くと大概がこれである。六日目の別の温泉地では、サウナを初体験してこれまたハマってしまったらしい。まだ若いのに、おっさんみたいな嗜好しこうである。


「イゾリテはどうだ?」


 俺が最初に『今日はどこに行く?』と尋ねた瞬間から、おもむろに本屋で購入した観光ガイドブックを開いて読み込み始めていたイゾリテに水を向ける。


 実を言うとこの観光旅行、何気なにげに一番楽しんでいるのはイゾリテかもしれないのだ。


「……しばしお待ちください」


 ガイドブックとにらめっこ状態のイゾリテは、絞り出すようにそう答えた。


 さもありなん。落ち着いて大人びているように見えるが、中身はまだ十代じゅうだいなかばの少女なのである。


 しかもイゾリテは、立場上あまり遠出ができなかった。兄のガルウィンは訓練兵時代に様々な場所へ演習ついでに行けたが、女であるイゾリテにはあまりそういった機会は与えられなかった。


 つまり今回初めて、イゾリテは自分の意思で好きな場所に行くことが可能になったのである。


 見たいものも体験したいこともたくさんあるであろう。


 さっきのエムリスの話ではないが、俺とてガルウィンやイゾリテを可愛く思っている。


 だから、イゾリテに行きたいところがあるというのなら、優先してそこへ連れて行ってやりたいと思うのだ。


「いいぞ、ゆっくり吟味してくれ。好きなところ選んでいいからな」


「はい」


 ガイドブックに集中しすぎて、気もそぞろなのだろう。イゾリテの応答はほぼ生返事だった。


 その様子に思わず口元をほころばせていると、


「まったく可愛いねぇ」


 と、俺だけに聞こえる声量でエムリスがささやいた。いやまったくである。


 そうこうしている内に、イゾリテの琴線に触れる場所があったのか、緑の瞳が軽く見張って表情が華やいだ。


 が、すぐに我に返ったのか、それを引っ込め、


「――お待たせいたしました。提案させていただきます」


 おほん、と咳払いをしたような雰囲気を醸し出す。


 イゾリテは基本、表情の変化にとぼしい子だが、別に感情を持っていないというわけではない。貴族の令嬢として抑圧的な教育を受けてきた結果、情動を表に出すのが不得手ふえてになってしまっただけなのだ。故に動きの少ない表情筋の下では、常人と同じかそれ以上に感情が動いており、心の中では泣いたり笑ったりをちゃんとしているのである。


「では本日は、こちらなどはいかがでしょうか?」


 なので、こういう時のイゾリテはよく観察すると緑の瞳がキラキラ輝いていたりする。他の部分は仮面のように『無』なので気付きにくいが、目だけはしっかり内心を表しているのだ。


 イゾリテが差し出したガイドブックのページを見るために、俺、エムリス、ガルウィンが揃って身を乗り出す。


 三人で額を寄せ合って覗き込み、


「「「――〝ドラゴンフォールズの滝〟?」」」


 期せずして、それぞれの声が重なったのだった。





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