●10 地獄の戦場 10







「……!?」


 度肝を抜かれた、としか言い様がない。


 理論上は可能だ。空を飛翔する魔物一体一体の座標を把握し、攻撃魔術の雷撃が生まれる場所を制御し、それぞれがそれぞれに照準を合わせ、タイミングを合わせれば。


 出来ないことでは、ない。


 あくまで、理論上は。


 理屈の上では。


 だが。


「そんなの……机上の空論です……」


 思わず口を衝いて、その言葉が出てきた。


 そう、【あり得ない】。


 もとより『果ての山脈』の東側に展開した魔族軍は、百万を優に超えていた。


 その中で空を飛べる魔物が五パーセントもいたなら、その数は五万にもなる。


 仮にイゾリテの〈天轟招雷サンダー・ハウリング〉によって三千もの飛行型魔物が撃墜されていたとしても、残りはまだ四万七千も残っていたのだ。


 その全てを把握し、その全てに対して雷閃を用意し、その全ての距離とタイミングを調整し、挙げ句にはその全てを撃墜するなど――人間業ではない。


「――~っ……!?」


 戦慄せんりつに震えるイゾリテの視界の中、エムリスの〈天轟招雷サンダー・ハウリング〉に打たれ丸焦げになった魔物達が、一斉に地上へと落ちていく。


 イゾリテが魔術を発動させた際には魔物らの悲鳴が聞こえていたはずだが、それすらない。全ての飛行型魔物が、痛みや苦しみを感じる暇もなく即死したのだ。


 威力の差が段違いだった。


 イゾリテは思う。魔術とは、極めれば極めるほど、シンプルかつスマートになっていくものなのか――と。


「ふむ。こっち、あっち。それと、あれもか。うんうん、いい感じだね。大漁だ」


 魔術の秘奥ひおうを垣間見せた魔道士は、しかし自らの行いに頓着とんちゃくすることなく、何やらあらぬ方向を指差しては、何事かを呟いている。


「エムリス様……? 一体何をしておられるのですか……?」


 畏敬の念が強まっている今、イゾリテは声を抑えめにして問う。


 エムリスの〈天轟招雷サンダー・ハウリング〉によって、空の魔物は文字通り一掃いっそうされてしまった。地上ではいまあにガルウィンが奮闘しているはずだが、今はそれどころではない。アルサルもついているのだから問題ないはずだ。


 エムリスはイゾリテをかえりみることなく答える。


「なに、竜玉を回収しているだけだよ。ドラゴンに対してだけは手加減したからね。痺れて気絶しているのを、こうやって引き寄せているのさ」


「手加減……? 引き寄せ……?」


 意味のわからない返答に、イゾリテは首を傾げる。


 そして、気付く。その途方もなさに。


「……手加減、したのですか。ドラゴンに、だけ」


 思わず要点をオウム返しにしてしまった。


 あれだけの数の雷光を撃ちながら、ドラゴンに対するものだけは威力を弱めていたと。殺さぬよう、竜玉を破壊せぬよう、魔術にさらなる調整を施していたと。


 エムリスはそう言ったのだ。


「まぁ竜玉も宝石みたいな見た目通り、そこそこの硬度があるのだけどね。ボクほどの魔道士にもなると、かなり手加減しないとうっかり壊してしまう可能性があるからさ。上手くいっているといいのだけど……」


 その手元を覗き込むと、エムリスはなにやら糸をるように十指を動かしている。


「……?」


 さらに集中して見ていると、その指先からうっすらと、極細ごくぼその糸が伸びているのがわかった。


「魔力の糸……?」


 こうして近くで、それもかなり集中して見ないと気付けない、それほど細い糸だった。


「おや、気付いたかい? あのアルサルにだって気付かれたことなかったんだけど……そうか、君はボクの眷属だからね。そういうこともあるんだろう」


 ふふっ、とエムリスは笑う。


 イゾリテのそれよりも小さな手、その指先から伸びる何十本もの糸を辿っていくと、多くの宙に浮かぶドラゴンの巨体があった。


 なるほど、と得心する。


 これがエムリスが時折見せる念動力の正体か――と。


 この魔力の糸がいかなる原理によるものかはまだ理解できないが、見た限り、この糸に絡め取られたものはエムリスの意のままに動かせられるらしい。


 数万の飛行型魔物の中に紛れていた竜種、より正確に言えば『竜玉を持つドラゴン』だけを魔力の糸で捕まえ、こちらへ引き寄せているのだ。


「…………」


 尋常じんじょうではないことをさりげなくおこなうエムリスに、もはやイゾリテは言葉もない。なかば唖然として、彼女の行動をただただ見つめる。


 程なく気絶した百体ほどの『竜玉を持つドラゴン』――つまりこの全てが貴族アリストクラットクラス以上――を近くまで呼び寄せたエムリスは、やはり平然と、馬鹿げた規模の魔力を行使した。


「 風の刃 」


 一言だった。


 十二魔天将をほふった『炎の矢』と同じく、魔術にもならない簡単な魔力操作の一環。


 しかし、ありの一歩とぞうの一歩とでは、世界に及ぼす影響が違いすぎる。


 羽虫の羽ばたき程度では風など起こらないが、巨大な魔鳥まちょうが翼を振れば、猛烈な疾風が巻き起こるものなのだ。


 つまりはそういうことだった。


「ッ!?」


 ズタズタになった。


 どれもこれも三階建ての建築物にも匹敵する巨大なドラゴンらが、突如として生まれた風の刃によって八つ裂きにされた。


 青黒い血煙ちけむりがあがり、イゾリテの視界を空の青よりも濃い色で染め上げる。


 だが風の流れを上手く制御しているおかげか、血の一滴もこちらには届かなかった。


 地上に向かって、膨大な量の肉片、血液、うろこ、骨などが落下していく。


 あまりの惨状に、イゾリテは自身の顔が青ざめていくのを自覚した。


「よしよし、どれも質のよさそうなものばかりだ。これだけ竜玉があれば、しばらくは素材に困らないね。研究がはかどりそうで助かるよ」


 数万の魔物に引き続き、ほんの一刹那ひとせつなで百以上の竜の命を奪ったエムリスは、まるで市場いちばで掘り出し物を購入したかのようにのたまう。


 無論、イゾリテとて三千近い魔物を屠ったばかりだ。


 他人のことは言えない。


 故に――


「……なるほどですね。これぞ〝蒼闇の魔道士〟……!」


 むべなるかな、世界を救いし英雄の一人――そう納得し、一息に呑み込んだ。


 これまではあこがれ、崇拝すうはいし、忠義を尽くすべき相手だと思っていた四英雄。


 そこに今回、畏怖いふという感情が付け加えられただけのこと。


 おそおののくことはあれど、心が離れるようなことは微塵もなかった。


「これでボクの目的は果たせたね。後は下のアルサル達の方と……あのあたりに隠れている〝大物〟だけになるかな?」


「――〝大物〟?」


 ドラゴンの肉体から綺麗に――風の刃でデタラメに切り裂いているかのように見えて、その実は精密な外科手術のごとく――切り離された竜玉が、エムリスのストレージの魔術によって亜空間へ消えていく中、聞き捨てならない単語をイゾリテはオウム返しにする。


 アイテムボックスに竜玉を収納中のエムリスはあっさり頷き、


「うん、さっきのなんちゃら魔天将の上司かな? 気配を隠して戦場の様子を観察しているようだね。でも魔力の隠し方がまだまだ甘い。ボクにはバレバレだよ」


 あはは、と笑って地上の一角を指差すが、イゾリテには何も見えないし感じられない。


 西方せいほう十二じゅうに魔天将まてんしょうの上司かもしれない〝大物〟――つまり、あの上級魔族らよりも遙かに強力な怪物が、まだ残っているということだ。


 背筋にわずかな怖気おぞけが走るが、恐怖はさほど感じない。すっかり麻痺してしまったのか、それともエムリスが近くにいるからか。おそらくはその両方だと思われるが。


「多分だけど、昔の四天してん元帥げんすいクラスかな? 頃合いを見計らって逃げていくだろうけど……」


「けど……何でしょうか?」


 意味ありげに語尾を浮かせたエムリスに、イゾリテは踏み込んで問う。口振りから察するに、エムリスはその四天してん元帥げんすいクラスと本格的に事を構えるつもりはなさそうだが。


「いや、アルサルがどうするのかなー、ってね。ほら、知っていると思うけどアイツって戦闘狂なところがあるだろう? 今じゃ〝傲慢〟と〝強欲〟の因子も入ってるし、余計なことをやるんじゃないかなー、とね」


「戦闘狂? アルサル様が、ですか?」


 まったく初耳である。さらには〝傲慢〟と〝強欲〟の因子とは? とも思ったが、それよりもあのアルサルが『戦闘狂』とエムリスに認識されているのが気になりすぎて、疑問がそこまで届かなかった。


「そうだよー? まぁ戦闘狂というより、一途というかストイックというか、ワーカホリックというか? とにかく魔物や魔族と戦いたがるんだよね。いや、勝ちたがるのかな? 人間は守るべき対象だからあまりそういうところ出さないんだろうけど、逆に言えば魔族や魔物に対してはもうヤンキーだよ。蛮族だよ。暴君だよ。昔のボクらが何度、戦略的に無意味な戦いをいられたことか……」


 はぁぁぁ、とそれはもう深い溜息を吐くエムリス。それだけで当時の苦労がしのばれるようだ。


 が、しかし。突然、ピタリと息を止めたかと思えば、


「――あ、うん、よし。なんかだるくなってきた。ボクもう知らない。後はみんなに任せよう。適当によろしく」


「はい?」


 突然の現場放棄に、流石のイゾリテも一瞬、呆気あっけにとられる。


「エムリス様? 何をおっしゃってるのですか?」


 素で聞き返すと、エムリスは体を大きく後ろに倒した。腰掛けている大判の本から落ちるかと思われたが、不思議なことに長い髪がソファの背もたれのようになって、彼女の体を受け止め支えていた。


「面倒くさくなってきた。ボクはもう竜玉が手に入ったし、後はどうでもいいよ。好きなようにやってくれたまえ。ボクはここで休んでるから」


 ぐでー、と自分の髪を寝床にして空中に寝そべってしまったエムリスに、イゾリテは絶句する他ない。


「もしや、魔術を使われてお疲れになったのですか?」


 あれだけのことをしでかしたのだ。魔力の消費も半端ではあるまい。そう思って尋ねてみるが、


「んーん、そんなことないさ。まだ全然余裕があるよ?」


 遊び疲れた子供みたいに全身の力を抜いて倒れ伏すエムリスは、気怠げに否定する。


「単にボクの中の〝怠惰〟がそろそろ休めって言ってるだけさ。考えてみれば昨日も今日もよく働いたよ、ボクは。むしろ働き過ぎだよ。全部アルサルのせいだ。だから後はアルサルに任せる。放り投げる。丸投げする。全責任はあっちにある。後はよきにはからえだよ。よろしくー」


「はぁ……」


 イゾリテをして、そのような曖昧な返事しかできなかった。


 確かここでこうしているのは、エムリスが『果ての山脈』の一部を吹き飛ばしたからだ――と聞いていたのだが。


 いつの間に全責任がアルサルのものになったのだろうか。


 それとも、ただの戯れ言で、つまりそれだけエムリスはアルサルを信頼している、ということだろうか?


 いや、きっとそうに違いない。イゾリテはそう理解する。


「かしこまりました、師匠。それでは、後のことはアルサル様にお任せしましょう」


 うやうやしくこうべれるイゾリテに、エムリスはあくびを噛み殺しながら一言。


「んー。じゃあ、いい感じに終わったら声をかけてくれたまえ……」


 そうして、冷たい風の吹く高空において瞼を閉じたのだった。







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