●10 地獄の戦場 6






 地面――というより、そこを埋め尽くす魔族の群れと激突する直前、アルサルから何やら硬くて重い物を手渡された。


「――ぁぁぁああああああああああああっっっ!?」


 さらには捕まれていた腕を離され、一人だけで放り出される。


 落下の勢いなど、これっぽっちもげんじられていなかった。


 人間大の砲弾と化したガルウィンは、受け身の姿勢すら取れずに着弾した。


『GGGGGGGOOOOOOOAAAAAA――!?』『BBBBBBBBRRRRRROOOOOOOOOWWWWWW――!?』『SSSSSSSSYYYYYYYAAAAAAAA――!?』


 激突音と魔物の上げる悲鳴の重奏。それを耳で聞きつつ、ガルウィンはもはや上下左右の感覚すら失い、肉体にかかった慣性のされるがままとなる。


 ぶつかって吹っ飛んで転がっての果てに、ようやく止まったが――


「あ、あいたた……?」


 と呟きながら地面に手をつき、立ち上がろうとして、気付く。


「……痛くない?」


 今のは条件反射的に『痛い』と呟いたが、実際の感覚とは大いにズレがあった。


 全然まったく痛くない。


「……どうして?」


 自分の掌を見るが、何やら土や泥、青黒い液体に濡れてはいるが、怪我はない。骨についても異常なし。あれだけの高さから落ちたというのに、全身のどこからも異常を知らせる痛覚がない。


「――って、こ、これは……!?」


 遅れて、ようやく自分の周囲の状況に目が行った。


 辺りに転がっているのは、何体もの魔物の死体。砲弾の直撃を受けたかのごとく、大きな体の一部を失い、地に伏している。


 ガルウィンの全身を濡らす青黒い液体は、どうやら魔物らの血であるようだった。


「――ッ……!?」


 今更のように、自分との衝突でこの魔物達が死んだということを自覚し、ガルウィンは慄然りつぜんとする。青黒い血に濡れた掌が思わず震えた。


「おおーいガルウィン、そっち側は任せたぞー」


「ッ!? アルサル様っ!?」


 どこからか聞こえてきた主君の声に、ガルウィンは忠犬よろしく反応する。顔を上げ、膝をついた状態で周囲を見回す。


 が、見えるはずもない。


 記憶によれば、ガルウィンは空中でアルサルに放り出され、百万の魔族が布陣するど真ん中へと落とされたのだ。


「……あ……?」


 こちらを睥睨へいげいする、いくつもの瞳と目線が合う。


 ガルウィンを取り囲むは、魔族軍の地上部隊。


 大型の犬の魔物――ガルム。


 二本の角を持つ巨馬――バイコーン。


 複数の獣を組み合わせた合成体――キマイラ、マンティコア。


 長大な蛇身を持つむし――ビッグワーム。


 他にも、どこかで見聞きしたことのある種類の魔物がこれでもかと。


『GGGGGGRRRRRRR……!』『BBBBBBBRRRRRRRROOOOOOO……!』『UUUUUURRRRRRYYYYYY……!』


 ガルウィンを囲んだ魔物らが唸り声をこぼす。言葉が通じずともわかる、憎悪と殺意の視線。仲間の魔物をガルウィンが体当たりで殺してしまったが故だ。


「……頼むって言いました? そっち側を?」


 いま自分は生まれてからかつてないほど青い顔をしているに違いない、と思いながらガルウィンは先程のアルサルの言葉を反芻はんすうする。


 凄まじく暢気のんきな声音だったように思う。さながら山か森で、鹿しかいのししでも狩るかのような。俺はこっち側で獲物を探すから、お前はそっち側を頼む――そんな調子で。


「この、魔物の大群を……?」


 かつて訓練兵だった頃、ガルウィンはアルサルの手によっていくつもの地獄を見た。


 それは、ロープで体に岩をくくりつけ、川に落とされる訓練だったり。


 それは、坂道を転げ落ちてくる大岩を受け止めるかくだくかという訓練だったり。


 それは、燃え盛るログハウスの中に飛び込んで二階にある石ころを取って戻ってくる訓練だったり。


 それは、足に命綱を結んだ状態で崖の上から飛び降り、自分で高度を見極めてロープを握り、地面に激突する寸前に止まる訓練だったり。


 それは、目と耳を塞ぐヘルメットを被った状態で、山の上から裾野まで帰還する訓練だったり。


 訓練兵の誰もが『あの戦技指南役やべーよ! 絶対に俺達を殺そうとしてるよ!』と陰で叫ぶほど、それは過酷な訓練ばかりであった。


 しかし、不思議と死者は出ず、当時のガルウィンは若いのもあってか『これで強くなれるのなら!』と嬉々として訓練にのぞんでいた。


 何故なら、そこには『限度』があったから。


 いざという時はアルサルが助けてくれていた。実際、危険な状態におちいった訓練兵は、すんでの所で救出されていた。何より、他の訓練をきっちりこなしていれば、どうにか突破できるような難易度に調整されていた。アルサルは戦技指南役として、訓練兵に順を追って試練を課しており、決して抜き打ちで理不尽な訓練は行わなかった。


 そして、理屈もあった。


 強い兵士ならばこの程度では死なない。この程度の訓練を乗り越えられない者は、戦場でも死ぬ。これらの訓練を突破できない者はすぐにでも軍を辞めるべきだ――アルサルはそう言っていた。


 彼に訓練兵を殺す意図はなかった。むしろ、戦場に出て犬死にする愚を避けさせるために、過酷な訓練を課してくれていたのだとすら思う。


 だから、その頃の訓練を理不尽だと思ったことはない。


 しかし。


「本気、なのですか……?」


 今回ばかりは事情が違う。あの頃の訓練とはわけが違う。


 ここは本物の戦場だ。『そっち側は任せた』ということは、アルサルの支援は期待できない。そして下手を打てば、待っているのは死だ。


 これは訓練ではない。


 死と隣り合わせの、実戦だ。


「――――ッ!」


 ガルウィンは痙攣けいれんじみた動きで立ち上がった。


 青くなっている場合ではない、とようやく気付いたのだ。


 ここは生きるか死ぬかの瀬戸際。


 気を抜いた者から死んでいく、地獄なのだ。


『GGGGGGGOOOOOOOOOAAAAAAAAAAWWWWWW――!!』『SSSSSSSHHHHHHHAAAAAAA――!!』『VVVVVVVVRRRRRRRRRAAAAAAAAAA――!!』


 ガルウィンの動きに反応するように、魔物の大群も雄叫びを上げた。激発し、牙を剥く。


 負けるものか、と歯を食いしばったところで片手の中にある重みを思い出した。


 そういえば先刻アルサルがこう言っていた。


『心配するな! 俺の剣を貸してやるぞ! 十年前に俺が使ってた愛剣だ! これさえあれば絶対に大丈夫だからな!』――と。


 見ると、やはりガルウィンの右手には一振りの剣が握られていた。


「こ、れは……!?」


 今更ながら、その存在感におどろく。


 これまで見たこともないような、重厚な剣気を感じる。ただの剣ではないと、一目見ただけでわかった。デザインも剣柄けんぺいや刀身、どこをとっても尋常ではない。美しい、とすら言っていい。命を絶つ凶器だというのに。


 ――これがアルサル様の、愛剣……!


 かつて〝銀穹の勇者〟アルサルは十三歳で魔王討伐の旅に出たという。その際、【彼が召喚された時から持っていた】剣こそが、伝説の勇者のつるぎだったと聞く。


 いまガルウィンの手の中にあるそれは、ズッシリと重く、どう考えても十代前半の少年がまともに振るえるようなサイズではない。


 だが、きっとアルサルは十全じゅうぜんに振るったのだろう。ガルウィンの知る〝勇者〟とは、そういう存在なのだから。


「――ありがたく使わせていただきます!」


 強く握り込んだ途端、心の奥底から勇気が溢れ返ってきた。全身に力が漲り、闘志が燃える。


 なるほど、こんな戦いなど、アルサルにとってはただの狩猟に過ぎないのだろう。魔王を倒した〝勇者〟なのだ。たかだが魔物の百万や二百万、恐るるに足らずというのも当然だ。


 その狩りに、ガルウィンは誘われ、連れて来られた。そして、かつて愛用していた剣を貸し与えられた。


 つまり、期待されているのだ。


 ガルウィンにこの剣を貸せば、充分な戦果が上げられるものと。


 だからこそガルウィンは勇者の剣を構え、高らかに吼える。


「ゆくぞ、魔物ども! 我が名はガルウィン! 〝銀穹の勇者〟アルサルの眷属、ガルウィンだっ!!」


 地を蹴り、突撃した。





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