●10 地獄の戦場 5








 知っての通り、〈爆炎流メルト・ストリーム〉とは猛火の奔流を生み出す攻撃魔術である。


 魔力が弱ければ蛇のような細い、強ければ河川のごとき豪快な炎の流れが生まれ、万物を燃焼させる。


 だが、いまイゾリテの目の前で発動したのは、やはり【爆炎流】などと呼べる現象などではなかった。


 閃光。


 籠められた魔力があまりに強すぎて、炎は生まれたはしから光と化した。


 そこからはもう、イゾリテの眼では何が起こったのかなどまるで知覚できなかった。


 エムリスの手から光がほとばしった――そう思った次の瞬間には、あまりの眩しさに思わず目を閉じ、両腕で顔を庇っていた。


 やがて光が収まった頃、恐る恐る腕を下ろし、まぶたを開くと――


 エムリスの小さな背中以外、何もかもが消えていた。


「――え……?」


 空の高い位置、先程まで六人の魔天将らがいた座標には、誰もいない。


 ただ、蒼穹だけが広がっている。


 さながら、ついさっきまで見ていた光景が夢幻ゆめまぼろしだったかのごとく。


 魔力の痕跡すらも、残っていなかった。


「――……!」


 ぞっ、と背筋に悪寒が走った。


 馬鹿を言うな。幻であるわけがない。白昼夢を見ていたわけでもなし。


 消滅したのだ。それしか考えられない。


 エムリスの発動させた攻撃魔術があまりにも高出力過ぎて、魔力の残滓すら残らぬほど綺麗に消え失せてしまったのだ。


 たかだか初歩的な攻撃魔術である、〈爆炎流メルト・ストリーム〉で。


 百万もの魔物の軍勢を率いていた将達が。


「ふぅ……久々にちゃんとした魔術を使ったけど、いやぁ、気持ちがいいねぇ。正直に言えばもっと大きいのをぶっ放してみたかったのだけど、それだと世界的に色々と影響が出てしまうからね。まったく、強くなりすぎるというのも窮屈なものだよ。ねぇ、イゾリテ君?」


 振り返った。


 超絶、としか言いようのない魔力と魔術を行使した少女――実年齢だけなら妙齢の女性のはず――が、青白く光る瞳を弓形ゆみなりに反らして、イゾリテを見る。


「ぁ……」


 イゾリテは自らの肩が、ビクン、と跳ねるのを止められなかった。


 エムリスの眷属となったことで、人間としては身に余るほどの理力と魔力を身につけた。今を生きる人類の中で、自分と同等以上の者などそうはいない――そう豪語できる自信がある。そう言っても過言ではないと、断言すらできる。


 だがそんな自分でも、上級魔族の将官クラスと比べれば、その足下にも及ばない。


 ましてやその上級魔族を、初歩の攻撃魔術で跡形もなく消滅させた相手ともなれば――


 ふふ、とエムリスが笑う。


「そう怯えないでくれたまえよ。君はボクの眷属なんだぜ? その君に害を加えるわけがないじゃあないか」


 大判の本に腰掛けて宙に浮いている、華奢きゃしゃ体躯たいくの少女。さっきまで放出されていた、固体化する一歩手前のような魔力がまるで嘘のよう。


「でも、これでわかっただろう? イゾリテ君」


「え……?」


 突然の確認に、イゾリテは困惑する。わかった、とは何を指しているのだろうか――と。


 要領を得ないイゾリテに気付いて、エムリスは、おや? という顔をした。


「いや、さっきの話だよ? 君の言っていた『昔のボク達が眷属を作らずに魔王と戦った』、その理由についてさ」


「あ……」


 そういえば、まだ答えをもらっていなかった。エムリスが言ったのだ。『知りたければ、これから始まるボクとアルサルの戦いをよく見ておくといいよ。それが一番手っ取り早いからね』――と。


「――はい……」


 イゾリテは神妙に頷く。


 まだアルサルの戦いこそ見ていないが、しかし既に嫌というほど理解できてしまった。


 かつて魔王を倒した四人の英雄が、〝眷属化〟という特殊能力を持ちながらも、それを活用せずに戦いにのぞんだ――その理由が。


「不必要だったのですね……」


「んー? むしろ、邪魔かな? せっかくの眷属をボク達の攻撃の巻き添えで死なせるのは、何というか忍びなかったし、そもそもほら……もったいないだろう?」


「もったいない……?」


 微妙にそぐわない表現に、思わずイゾリテは小首を傾げた。


「【命が】、さ。眷属が一人で一万の魔物を倒せるとしても、そこが限界だろう? 一万体ぐらいの魔物を倒した程度で人間が死んでしまったら、それはもったいないと言う他ない。割に合わないし、釣り合いが取れない。【魔物なんていくらでも復活するんだから】」


「……………………えっ?」


 理解に困る言葉を受けてしばし硬直した後、あまりの聞き捨てなさに声が出る。


 しかし。


「さぁ、答え合わせも済んだことだから、次はお目当ての竜玉集めといこうじゃないか。さぁ、イゾリテ君にも手伝ってもらおうよ!」


「えっ!? は、はいっ!」


 動揺しているところに畳みかけられたので、思わずイゾリテの声は上擦ってしまった。いけない、これでは兄と同じだ。落ち着いて、冷静に、沈着に、慎重に行動しなければ。


 疑問は尽きないが、ともあれイゾリテは胸に手を置き、静かに深呼吸。


 心臓の鼓動と精神を落ち着かせ、思考を冴え渡らせる。


「――了解しました。お供いたします」


「よし、じゃあレッスンも次の段階へ移行しようか。さっき君の輝紋にインストール……じゃなかったね、さっき君に伝授した別の魔術を試してみよう。準備はいいかな?」


 ――百万の魔族軍を相手にレッスン……?


 そうは思ったが、楽しそうに笑いかけてくるエムリスに対し、


「問題ありません」


 内心の動揺を全て押し殺して、イゾリテは首肯したのだった。






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