●10 地獄の戦場 4






「さて、ボクの目的は竜玉だ。まずは邪魔な君達を一掃させてもらうよ?」


 魔王討伐の英雄が一人〝蒼闇の魔道士〟エムリスは、準備運動でもするかのように告げた。両手の指を組み合わせ、掌を前に向けて腕を伸ばす。んー、と口から漏れる声は、見た目の年相応に可愛らしくはある。


 だが六人もの怒れる上級魔族を前にして、わざわざするような所作では、明らかにない。


「エムリス様……」


 少し離れた位置の虚空から、自身の師匠になった少女エムリスの背中を見詰めるイゾリテは、得も言えぬ思いで名を呼ぶ。


 西方せいほう十二じゅうに魔天将まてんしょうと名乗った上級魔族の実力は、イゾリテにもわかる。


 あまりに強い。


 魔光――本来は目に見えず、特殊な感覚でしか察知できない魔力が、可視光になるほどの密度を備えているのだ。


 それは普通の人間では到底持ち得ない魔力量と、制御力とを表している。


 こうして相手の魔力の強さを感知できるようになったのは、エムリスの〝眷属化〟によって強大な力を得たからだが、その自分でも十二魔天将ほどの魔力は持たない。一生かけて鍛錬したところで、その足下に届くかどうか。


 あれが、上級魔族。ただでさえ人間より強力な魔族の、その上位存在。


 かつて魔王に仕え、その幹部を務めていた者達。


 だというのに――


「しかし君達、本当に将官クラスなのかい? それにしては随分と弱い気がするのだけど……もしかして主戦力は十年前の戦いでみんな死んでしまって、今じゃ下位互換しか残っていなかったりするのかな? それとも、単にボクが成長しただけ?」


 エムリスは歯牙にもかけない。


 先程も『炎の矢』と唱えただけで五人もの魔天将を討ち貫き、爆発させた。


 言っては何だが、あれは魔術などではない。それ以下の、児戯じぎにも等しい魔力操作の一種だ。今のイゾリテにはそれがわかる。


 それなのに、はがねがごとき強靱な肉体を持つと言われる上級魔族を、一撃で――


 聞けば、魔族はその強い魔力によって非常に高い魔術耐性を持つという。だがエムリスの『炎の矢』はそれすらをも突破し、五人の魔天将を即死させたのだ。


 尋常ではない。


 これが、魔王を倒した〝蒼闇の魔道士〟の力――


『舐めるな小娘ェッ! 不意打ちで我らが同胞を討っておきながら何を偉そうな口をッ! 油断さえしなければ貴様など――!』


 残る魔天将の一人が怒鳴った。緑色の魔光を放つ、いかにも古強者然とした魔族の男。


 その口上を、エムリスは遮った。


「だったら本気でかかっておいでよ。ボクはアルサルと違って優しいからね。【ちゃんと君達が本気になるまで待っていてあげるぜ?】」


『――!?』


 師匠は挑発が上手い、とイゾリテは思う。正しくは、他人の神経を逆撫でにするコツをこれ以上なく心得ている、だろうか。


 相手の弱みを突くというよりは『言ってはならないことを言う』のが得意なように、イゾリテには思えた。


『きっ――貴様ぁぁあああああああああああッッッ!!!』


 魔天将の六人が一斉に怒り狂った。逆鱗に触れた、というより、逆鱗を【むしり取った】かのごとき劇的な反応だった。


 いまや六魔天将となった上位魔族らの魔力が、爆発的に膨張する。魔光が輝きを増し、加速する。エネルギーの密度が上昇し、大気がくように震えた。


『我らの力を思い知れッッ!!』『消し飛べぇぇえええええええええッッッ!!!』『魔道士めがぁ――――――――ッッッ!!!』


 口々に雄叫びを上げ、六魔天将がそれぞれ両手を前へ突き出し、極太の閃光を放った。


 魔力を加速させ、熱閃ねっせんへと変換したエネルギー波。


 イゾリテは見たことがなく、知ることもなかったが、一つ一つがドラゴンの吐くブレスと同等か、それ以上の破壊力を秘めていた。


 しかし。




「 火炎よ ぜよ 」




 詠唱。


 吐き気をもよおすほどの濃密な魔力。


 それを籠められた言霊ことだまが、エムリスの唇から朗々ろうろうつむがれる。


「――っ!?」


 イゾリテは息を呑んだ。


 この詠唱は、つい先刻イゾリテが紡いだのと全く同じものだ。


 すなわち――〈爆炎流メルト・ストリーム〉。


 はっきり言って、大した攻撃魔術ではない。〝眷属化〟と共にエムリスから伝授されたものだが、教えてくれた当人はこれを『初歩的な攻撃魔術だよ。まずはこれで練習をしてみよう』などと言っていた。


 当然『炎の矢』のような児戯じぎに比べれば真っ当な魔術ではあるのだが、同じ火炎系にしても、より強力でより広範囲を攻撃できる魔術はいくらでも存在する。


 それを――




「 逆巻さかまけ 」




 信じられないほど膨大な魔力でもって発動させようとしている。


 イゾリテは戦慄と共に直感する。


 これから目にするのはきっと〈爆炎流メルト・ストリーム〉でありながら、しかし決して〈爆炎流メルト・ストリーム〉ではない魔術になるだろう――と。


 何故なら、動悸どうきが止まらない。心臓が早鐘を打つ。あまりの魔力の濃厚さに胸焼けがする。空気のような存在の魔力が、ドロドロとした液体のように感じるのだ。いや、固体になる一歩手前か。これだけの魔力が一体どうやって、あの小さな身体に収まっていたのか。まるで信じられない。


 あまりにも規模が大きすぎて正確に把握できないが、少なくともエムリスがあつかっている魔力量は、そこにいる上級魔族の軽く百倍――否、千倍以上はあるようにイゾリテには感じられた。


 ――怪物……!?


 恐れ多いことに、そんな二文字が脳裏をよぎった。


 だがそれ以外に、目の前にいる存在を形容する言葉が思いつかなかった。




「 すべてを焼き尽くす 地獄の奔流ほんりゅうと化せ 」




 エムリスの皮膚上に、ダークブルーに輝く紋様が浮かび上がる。


 輝紋の励起。詠唱によって紡がれた魔術の式に、輝紋で循環加速した魔力が充填されていく。


 刹那、エムリスの小柄な身体から爆発にも似た〝魔圧〟が発せられた。


 それだけで、宙に浮いている魔天将らの身体が後ろに押され、身に纏った魔光が大きく揺らめいた。彼らが放射したエネルギー波もまた、見えない壁にぶつかったかのごとく減速する。


 魔術発動。




「 〈爆炎流メルト・ストリーム〉 」






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