●8 果ての山脈にて 11






「――しかし、道中でお聞きいたしましたよ、アルサル様。アルファドラグーンに渡る途中、小さな村をお救いになったとか」


「ぁあ?」


 不意にガルウィンが顔を上げ、爽やかに過ぎる笑みを見せた。浅黒の肌に、琥珀色の髪、緑の瞳――こいつの見た目にはいかにも〝夏〟という雰囲気が漂っている。


「竜……それも貴族アリストクラットクラスを退治したと聞きました。アルサル様が残されていった死骸も、私達はこの目で確認しております」


 イゾリテもおもてを起こし、下からまっすぐ俺を見上げてくる。あまり変化のないなぎの表情。不思議なことにガルウィンと同じ肌、髪、瞳の色だというのに、こいつからは〝冬〟を感じる。性別と立ち振る舞いの差だろうか。


「……あの村に行ったのか」


 苦虫をかみつぶしたような俺の問いに、


「もちろんです。アルサル様の足跡そくせき辿たどりながら追いかけてきましたので」


 ガルウィンがきらめくような笑顔で肯定した。


 二人が言っているのは、俺がリデルシュバイク村で黒瘴竜ミアズマガルムをぶっ殺したことのようだ。


 先述の通り、理術と個体識別コードを組み合わせれば、過去の行動履歴がある程度は読み取れる。ガルウィン達はその情報をもとにリデルシュバイク村を訪れ、俺の武勇伝を聞いたのだろう。


「このガルウィン、感銘を受けました! どれほど時が経とうとも、やはりアルサル様はアルサル様です! 通りすがりの旅人を装いながら、小さな村に訪れた巨大な悪をさらりと討つとは……!」


「そして、何の報酬も受け取らずに立ち去ったと、村長様からうかがいました。流石の一言です。やはり、アルサル様はお優しい方ですね。このイゾリテ、とても嬉しく思いました」


 ガルウィンからは熱い視線が。イゾリテからは静謐せいひつながらも、どこかいつくしみのもった目線が向けられる。


「いや、あれはだな……」


 特に深い意味などなく、単に見過ごしては気分が悪かったから退治しただけだ――と説明しようとしたところ。


「いいえ、皆まで言わずともわかっております!」


 勢いよくガルウィンにはね除けられてしまった。いや、皆まで聞けよ。せっかちな奴め。


「苦しんでいる民衆を見捨てることができない……それがアルサル様の素晴らしいところです。あの時、迷子の私を救ってくれたように……」


 待て、イゾリテ。そこではかなげに微笑むな。そこでそのギャップはずるいぞ。というか、あの時のこと、そんなに美化された思い出になってるのか? いや悪いけど俺ほとんど覚えてないんだが……


 俺が何も言えないでいると、イゾリテの語りがそのまま続く。


「アルサル様のお考えは承知しております。静かに暮らしたいと仰っていますが――その目的は〝世直しの旅〟なのですよね?」


「へ?」


 世直しの旅? 何だそれは?


「でなければ、わざわざ歩行かちでセントミリドガルとアルファドラグーンの国境を越える理由が思い当たりません。確かアルサル様は転移の術も使用できたはず。敢えてそれを使わず、山間やまあいの村の窮地を救ったと言うことは、やはり王家や貴族では救えない人々を救うため……違いますか?」


「…………」


 おいおい、イゾリテよ。お前は兄貴と違って無表情で冷静沈着なのが売りじゃなかったのか? なんだその、キラキラと期待に輝く瞳は。そんな目で見つめられたら、全然まったく違うのに、そうとは言えなくなってしまうだろうが。


「へぇぇぇ……世直しの旅、ねぇ? 実はそうだったのかい、アルサル?」


 絶句している俺に、明らかにこの状況を楽しんでいるであろうエムリスの声がかかった。そっちを見なくとも、口元にいやらしい笑みを刻んでいるだろうことがわかる。青白く光る目を、弓形ゆみなりに反らして。


 知るか、そんなこと――と言い返したいところだが、どうにも言いにくい。


「ですのでアルサル様! 同志を集めて国をおこすもよし! 人目を忍んで旅をして世直しを進めるもよし! 自分とイゾリテは、アルサル様の御心みこころのままに従います! どうか我ら二人をあなた様の臣下に! それが無理だとしても、どうかご一緒にお供させていただきますよう! お願い致します!」


「私と兄は、どこまでもアルサル様について参ります。どうか我ら二人の忠誠ちゅうせいをお受け取りください」


 ガルウィンが大声で嘆願たんがんし、静かだが芯の強い声音でイゾリテが追従ついじゅうする。


「……うーん……」


 俺は唸った。


 というか、唸るしかない。


 いや、どうしろというのだ、これ。


 察するに、二人はどうやら昔から俺に仕えることが夢だったらしい。


 だが俺は戦技指南役として国に仕える立場。


 それ故、二人は夢を断念し、地元で領主兄妹として暮らしていた。


 そんな折り、不意に入ってきた『アルサル国外追放』の報。


 二人にとっては望外ぼうがい朗報ろうほうだったことだろう。


 一目散に領地を飛び出し、後のことは家族に任せ、ここまで俺を追いかけてきた。


 おのれたちが『これぞ我が主君』と認めた男に、臣下として取り立ててもらうために――


「先程も言いましたが、もはやセントミリドガル王国には愛想が尽きました。たとえ故国を捨てることになろうとも、自分とイゾリテはアルサル様に忠義ちゅうぎを誓います。どうか我らの願いを聞き届けていたたきたく……」


 改めてガルウィンが頭を下げた。兄にならうように、イゾリテも。


 俺は反応に困って黙り込むしかない。


 しばし、パチパチと焚き火の爆ぜる音だけがこの場に満ちる。


「……別にいいんじゃあないのかな、アルサル? 主君とか臣下とかはともかく、旅は道連れと言うだろう? 特に問題がないのであれば、こんなに君を慕ってくれているのだし、一緒に連れて行ってあげるぐらい何てことはないと思うのだけど」


「そりゃまぁ、そうだが……」


 頭を下げ続ける二人を見かねたのか、エムリスが助け船を出してきた。俺は微妙な顔で、曖昧な返事しかできない。


「要約すると、彼と彼女はアルサル、君と一緒にいるだけで幸せになれると、そう言っているだけじゃないか。それ自体は喜ばしきことだろう?」


「……まぁ、確かにな」


 流石にそこを否定するのはしのびない。


 ガルウィンとイゾリテの好意そのものは、エムリスの言う通りだ。俺だって、ちゃんと嬉しいと思っている。


 しかし、だからといって、世界情勢の混乱に乗じて世界の覇権を握ろうなどとは、微塵も思わないだけで。


 パン、とエムリスが両手を叩き合わせる。


「じゃあ決まりだね。アルサルは無職になって自由の身、ボクも宮廷魔道士を辞めて自由の身、ガルウィン君とイゾリテ君だって領主の座を捨てて自由の身。そう、君の言葉を借りるならボク達は全員が〝自由人〟というやつなのさ。だったら、これから楽しく一緒に旅をしようじゃあないか」


 これにて解決、と言わんばかりに話に蓋をする。


 が、その程度で流されるほどガルウィンとイゾリテの覚悟が軽いわけもなく。


「アルサル様……!」


「アルサル様」


 二人は、俺の口から承認の言葉を聞くまではテコでも動かないと、低い位置からこちらをじっと見つめていた。


 俺は数秒ほど思案し、諦めの吐息を一つ。


「……旅の同行は認める。エムリスの言う通り、旅の仲間としてなら何の問題もないからな。だが、戦乱がどうとか国がどうとか、そういうのは一切なしだ。臣下ってのもな。それでいいなら、好きなだけついてこい」


 あくまでスローライフの旅である、ということを強調した上で、俺は首を縦に振った。


 ガルウィンが露骨なほどに破顔し、イゾリテでさえ口元をほころばせる。


「ありがとうございます、アルサル様!」


「心より感謝申し上げます」


 かくして、一人旅が二人旅になったかと思えば、息つく間もなく四人旅になってしまった。


 一体全体、何がどうなっているのだろうか。


 身軽で気軽でスローな第二の人生を歩もうと思っていたのに、どんどん肩の荷が増えている気がする。


 俺はどこでボタンをかけ間違えてしまったのか。


 ちょっとだけ頭が痛くなってきた。


「ところでアルサル、話は変わるのだけど」


「あ?」


「この子達はどれぐらい【デキ】るんだい? 君が鍛えたんだろ? だったら、魔物の群れ一万体ぐらいなら楽勝かな?」


 嫌味いやみでも揶揄やゆでもなく、純朴な疑問としてエムリスは聞いてきたようだった。


「は?」


「え?」


「はい?」


 俺も、そしてガルウィンもイゾリテも揃って、意味がわからないという反応を返してしまう。


 すると、逆にエムリスが面食らったように両目を点にした。


「あ、あれ……? ボク、何か変なこと言った……かな?」


 キョトンとした顔で、小首を傾げる。


「お前、あのなぁ……」


 駄目だ。やっぱりこいつ、十年間も工房に引きこもっていたせいで、一般常識が完膚なきまでに欠落してしまっている。


 こいつは早めになんとかしておかねばなるまいて。


「……ちょっと来い。久々に〝人間らしさ〟ってものがどんなもんか、お前に教えてやる」


 俺は溜息を我慢しながら、そう言ってエムリスに手招きしたのだった。










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