●8 果ての山脈にて 10





「予測ですが、これからは各国、いや、様々な勢力がアルサル様を自陣に取り込もうと動くことでしょう。エムリス様も例外ではありません。ニニーヴ様は聖神教会所属ですので別枠と考えてもよいでしょうが……シュラト様も、きっと草の根を分けてでも探し出され、多くの勧誘が殺到すること間違いありません」


「……ふむ。確かに、世界中の誰もがボク達の力を欲するだろうね。自分で言うのも何だけれど、一人いるだけで戦略的優位すらひっくり返してしまうほどの存在だからね。むしろ、軍そのものがいらなくなってしまうレベルとさえ言っていい」


「本当に自分で言うことじゃないな」


 エムリスの自画自賛に水を差すが、俺とて自身の規格外っぷりは理解しているつもりだ。


 その点については、オグカーバ国王やジオコーザの前で語った通り。


『本来なら、普通の人間は俺の前に立っただけで死ぬんだよ』


 嘘でも誇張でもない。


 俺達が本気を出せば、周囲にいる人間はたちどころに死ぬ。指一本触れることなく、即座に絶命するのだ。


 実を言えば、俺がセントミリドガル城でやった〝威圧〟、そしてエムリスがアルファドラグーン城で見せた〝魔圧〟――どちらもかなり手加減したものだった。


 殺すのが目的だったわけではないのだ。だから、本気を出す必要がなかった。聞いたわけではないが、エムリスもそうだろう。


 逆に言えば――〝その気〟になった場合、俺達は手ぶらのまま周囲の人間を全滅させることができる。


 それはもう『戦い』と呼べる次元のものではない。


 ただの【虐殺】だ。


 もはや戦略だの戦術だのは意味を持たない。


 ぞうありなんてレベルではないのだ。


 いっそ火山かざんぐらいの差があるのだ、俺達と普通の人間との間には。


 圧倒的、そして絶対的な格差。


 便宜上『最終兵器』と言ってはいるが、おそらくは『最終兵器【以上】』なのが俺達なのである。


「――少なくとも俺はどこにも属する気はないぞ。せっかく自由の身になったんだ。このままのんびり、スローライフを送らせてもらう。絶対に」


 俺は腕を組み、ローチェアの背もたれに体重を預けた。


 世界中が戦争状態になったところで、俺の知ったところではない。


 俺一人がいなくなった程度でおかしくなるというのなら、所詮はその程度の世界だったということだ。


 もちろん魔界から、魔族や魔物が攻めてきたというなら戦うのもやぶさかではないが――


 しかし流石に、人間の愚かしさから起こる戦乱にまでは責任が持てないのである。


「ボクもそうだねぇ。何というか、面倒くさいからね。魔術の研究をしていた方がよっぽど有意義だよ」


 エムリスも空中で体を後ろに傾け、のほほんとした様子で放言する。背中を倒しすぎてそのまま落っこちるかと思いきや、長い髪がソファの背もたれのように小柄な体を支えていた。


「はい、アルサル様ならきっとそうおっしゃると思ってましたよ!」


 ニッコリ、とガルウィンが嬉しそうに笑った。天性のものだろう。こいつが笑うと、まるで向日葵ひまわりが咲いたように周囲が明るくなる気がする。


 イゾリテが同意の頷きを一つ。


「ですから、お兄様と私が駆けつけたのです。アルサル様につかえるために」


「――は? 仕える?」


 思わぬ言葉に、俺は目をしばたたかせた。


 ガルウィンとイゾリテ、それぞれの顔を見ると、


「ええ、イゾリテの言う通りです。自分と妹は、アルサル様に仕えるために馳せ参じたのです。あなた様をただ一人の主として仰ぐために」


 すっくと立ち上がり、片手を胸に当てるガルウィン。


「先程もおっしゃっていたように、今やアルサル様は誰からも束縛されない自由の身。国家、ひいては世界のしがらみから解放された立場になられました。私とお兄様は、この時をずっと心待ちにしていたのです」


 同じく楚々そそとした所作で立ち上がり、こちらに体を向けるイゾリテ。


 次の瞬間、二人が片膝をついてしゃがみ込み、深く頭を下げた。


 それはもう、額が地面にくっつくほどに。


「「どうか我らを、アルサル様の臣下にしていただきたくお願い申し上げます」」


 兄妹の声が綺麗に重なった。


「わぉ……」


 と間抜けな声をこぼしたのは、宙に寝そべるエムリスである。


 意外な展開に驚いた、というよりは、こいつは面白いことになってきたぞ、とでも言いたげな響きだった。


「…………」


 俺と言えば、二の句が継げない状態である。


 いや、正直言うと、この展開は予想していた。


 さっきもエムリス相手に最上級の臣下の礼をとったぐらいだ。初対面の時、俺にも同様の対応をしてきたのは先述の通り。


 良くも悪くもガルウィン、イゾリテの二人が俺を慕ってくれているのは知っていたし、心のどこかで、もしや、とは思っていた。


 というか、そうでもなければわざわざ領地を捨て、他国まで足を伸ばして俺を捜索するはずもないだろう――と。


 しかし、とはいえ、だ。


「……俺は王様じゃないぞ」


 臣下を持つのは、君主と呼ばれる人間だけだ。しかし俺はどこも統治していないし、何の権利も持っていない。


「はい、わかっております」


 ガルウィンがおもてを上げないまま答える。


「ですが、私とお兄様の主君は、アルサル様しか考えられません」


 同じく、まるで地面の中から聞こえてくるかのような、イゾリテの静かな声。芯が通っていて、ブレそうにない強さを感じる。


 俺は深い溜息を吐きたいのを我慢しつつ、


「誰かの上に立ったりするつもりも、ないんだけどな」


 低い声でそう告げた。


 臣下など抱えるつもりはない、と。


「ですが、イゾリテが先程も申し上げた通り、世界は混迷の時代へと突入します。五大国のみならず、多くの小国も動き出すことでしょう。また貴族に、地方部族、ならず者の侠客きょうかく……内乱に反乱、様々な動乱が予想されます」


「世はまさに群雄割拠ぐんゆうかっきょの時代となりましょう。今ここに歴史の転換点が訪れているのだと、私達兄妹は確信しております」


 両手を組み、深くこうべを垂れたまま二人は申し合わせたように言葉を紡ぐ。


 いや、事前に打ち合わせでもしてあったのだろう。本当に淀みない口調だ。


「つまり――これからはアルサル様が『世界の王』となる道すらひらけるということです。もしアルサル様にその気があるのであれば、我ら兄妹二人、粉骨砕身の覚悟でお仕えする所存です」


「アルサル様がお望みなら、多くの仲間を集めましょう。私達の同志なら他にも多く存在いたします。アルサル様のお名前で声をかければ、みな一斉いっせい蜂起ほうきするに違いありません」


「い、いや、『世界の王』って、お前ら……」


 いきなり途方もない話をするな。なんだそれは。もしかしてアルファドラグーンのドレイク王やモルガナ王妃が言っていた、俺が世界征服を目論んでいるとかいう噂を信じているのか?


 冗談ではない。


「あのな、興味がないって言っているだろ? 俺は静かに、ゆっくり暮らしたいんだ。戦いなんてもうりだっつー話だよ」


 見えないだろうが、俺は敢えて片手を振った。


 懲り懲りだと言いつつも、この十年間はまったくもって平和だったので、我ながら説得力が皆無なのはわかっているつもりだ。


 だが、本気で勘弁して欲しい。


 俺は権力なんぞに興味はないのだ。





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