●9 破滅への暴走と眷属化 1








 人界のあらゆる場所で劇的な変化が起こっていた。


 五大国――即ち中央の『セントミリドガル』を筆頭とした、北の大国『ニルヴァンアイゼン』、南の大国『ムスペラルバード』、東の大国『アルファドラグーン』、西の大国『ヴァナルライガー』はもちろんのこと。


 またそれらの周辺、あるいは隙間に巣食うようにして乱立する小国、そして独立部族の数々までもが。


 それぞれに色めき立ち、浮足うきあしち、総毛立っていた。


 ――勇者アルサルの離反。


 そのたった一つの情報が、平和のいしずえひびをいれ、世界の均衡きんこうを崩した。


 その男、かつて魔王を討伐した〝銀穹の勇者〟は、まさしく人界における〝くさび〟であった。


 彼一人がそこにいるというだけで、誰もが戦いを控えた。


 世界を救った英雄――絶大なる魔王を倒した〝勇者〟を敵に回すような度胸の持ち主も、その無謀さがわからない馬鹿もいなかった。


 だが、世間の裏側で『最終兵器勇者』とまで称されていた男は、ある日突然いなくなった。


 理解しがたいことに、当事者であるセントミリドガル王国はこのような発表をした。


 ――アルサルは反逆者である。よって、国外追放とした。


 誰もが耳を疑い、その情報の裏取りはあらゆる方角からなされた。


 挙句、セントミリドガルは愚劣極まることに、各国へこのような通達を出したのだ。


 ――アルサルは国家転覆を目論んだ大逆人。この者をかくまう行為は、我が国への宣戦布告とみなす。


 これまで虎の威を借りるだけだった狐が、その威光を自ら放棄したばかりか、さらに居丈高なことを言い出したのである。


 これによりセントミリドガル王国は、多くの権力者らから失笑を買った。


 手足を失いながら『俺に逆らったらどうなるかわかってるんだろうな!』などと吼える愚者に、どうして従う者がいようか。


 まず最初にアルファドラグーン王国が火蓋を切った。


 カウンターとばかりにセントミリドガルへ宣戦布告したのだ。


 この時こそ【世界が崩れた】瞬間であった。


 雪崩が起きるように、続けて他の三大国――ニルヴァンアイゼン、ムスペラルバード、ヴァナルライガーが宣戦布告を発した。


 あっという間だった。


 セントミリドガルは、一度に周囲の大国すべてを敵に回してしまったのだ。


 さらに波紋は広がり、地方の小国や独立部族までもが続々と名乗りを上げた。


 あちらこちらで同盟が結ばれ、兵力が結集されていく。


 包囲網が作られていく。


 短い間に周辺諸国から滅多めったちにされたセントミリドガルは、前代未聞ぜんだいみもんの大混乱におちいった。


 無理もない。かねてから周辺諸国とは冷戦状態にあったが、全面戦争へと発展するのは歴史上初のことであった。


 ――滅亡。


 その二文字が、セントミリドガルに住まう全て人々の脳裏に浮かび上がっていた。





「どういうことだ! 一体どういうことなんだ!」


 キンキンと耳障りな声が響く。


 セントミリドガル王城、会議の間。


 集まった重臣らが青ざめた顔を並べる中、上座かみざに腰を据えた王太子ジオコーザの喚き声が室内にこだまする。


「何故あいつらは言うことを聞かないのだ! 我がセントミリドガルが恐ろしくないというのか!? あまつさえ宣戦布告だと!? ふざけるなァ!!」


 握った拳で机を叩く。衝撃に、長机の前に並んだ臣下の体までもが震えた。


「ハァ……ハァ……!」


 荒い息を繰り返すジオコーザの瞳は、病にかかったように血走っている。過剰な怒りが血管を広げ、体温を上げているのだ。


 そう、この期に及んでジオコーザは――いかっていた。


 想定外の事態に周章しゅうしょう狼狽ろうばいするどころか、牙を剥く周辺諸国その他の勢力に対し、激怒げきどしていたのである。


「アルサルは反逆の大罪人だぞ! それを誅伐するのは我が国の責任であり、権利だ! それを邪魔立てするどころか、楯突たてつくとは! どいつもこいつも舐めよってえぇぇぇっ!」


 憤怒の顔で叫ぶその姿に、現状を恐れる様子は微塵もない。


 心の底から、周辺諸国が敵に回ったことに腹を立て、激情をほとばしらせている。


「…………」


 そうして怒り狂うジオコーザの脇には、黙して語らぬオグカーバ国王の姿がある。息子とは正反対に、彫像のように身じろぎ一つしない。醜態しゅうたいさらす次期国王を、止めようとすらしない。


 ジオコーザが大きく息を吸い、


「――戦争だぁっ! 我が国に敵対する者どもはみな殲滅だッ! 皆殺しにしてやるッ! 降伏など一切認めんッ! 女だろうが子供だろうが関係なくぶっ殺してやるッッ!!」


 王族にあるまじき言葉遣いで、過激に過ぎる発言を飛ばした。


『――~っ……!?』


 愕然と目を剥いたのは臣下達である。


 ジオコーザの言動は常軌じょうきいっしていた。


 この状況で戦争に突入するなど、正気の沙汰ではない。


「お、お待ちくださいジオコーザ様……! いくら何でも無茶です! 一国だけならともかく、我が国を取り囲む四大国すべてから宣戦布告を受けたのですよ!?」


 文官の一人が席を立ち、声を上げた。他の者の顔を見れば、それがこの場にいる全員の気持ちを代弁したものであることがわかる。


 いくら何でも情勢が最悪に過ぎる。戦略せんりゃくよりも前に政略せいりゃくを見直し、戦うにしてもまず敵を減らしてからにすべきだ――珍しいことに文官も武官も、その心を同じくとしていた。


 しかし。


「それがどうした!」


 ジオコーザは怒声で一蹴した。額に青筋を立て、唇を限界まで開き、


「我が王国に比べればどいつもこいつも烏合うごうしゅうではないか! 他の四国など何するものぞ! 我が軍の精鋭をもってことごとく打ち砕くべしッ! そうだな、ヴァルトル将軍ッ!?」


 大きく見開いたジオコーザの視線の向かう先、そこには居並ぶ重鎮の中でただ一人、不敵な笑みを浮かべた男がいる。


 セントミリドガルの武官の頂点に立つ男――将軍ヴァルトル・ガイドシーク。


 ジオコーザと同デザインのピアスをつけた中年の偉丈夫は、やはり恐れなど知らぬような顔で、ニヤリ、と笑った。


 椅子を蹴って立ち上がり、


「もちろんであります! 我がセントミリドガル王国軍は無敵! 常勝! 不敗! いかなる敵が相手であろうと必ず撃破してみせますとも!」


 分厚い胸を張り、威風堂々とうそぶく。


 これにより武官達の顔色が蒼白を通り越し、絶望の黒に染まった。ヴァルトル将軍の持つ権勢をよく知らない文官と比べて、武官はその理解が深い。それ故の悲哀ひあいであった。


 終わった、と誰かが口の中で呟いた。


「よし、まずは最初に宣戦布告をしてきたアルファドラグーンからだ! 大逆人アルサルもあの国に入ったと聞く! 反逆の罪人ともども滅ぼしてやれッ!」


 もはや両目を真っ赤に染めたジオコーザが、王太子とは思えない言葉を吐く。


 しかし、誰も止めない。止められない。


 この場にいる最高権力者、オグカーバが何もしない故に。


「ははっ! 御心のままに!」


 ジオコーザの言葉を、ヴァルトルが命令として拝領する。


 これにより、公式にセントミリドガル軍の出撃が確定した。


 もはや武官の面々は言葉もない。


 今この瞬間、自分達の死が確定した――理知ある者すべてがそう思っていた。


 一方、文官はまだ黙っていられるほど利口ではなかった。


「へ、陛下! オグカーバ陛下っ! 何故お黙りになっているのですか!? 今こそは、かつてない国難の時です! どうか、どうか……!」


 王太子と将軍には希望が持てない。だが、ここで国王が鶴の一声をあげれば――


 そんな儚い希望は、無残にも踏みにじられた。


から言うことは何もない」


 一言だった。


 石像のように微動だにしなかった老人は、しかしはっきりとした声で、ただそれだけを口にした。


 自分は何もしない――と。


『な……』


 文官らは総じて、口を開けて唖然とする。


 若かりし頃から聡明そうめい叡智えいちで鳴らした名君、オグカーバ・ツァール・セントミリドガル。


 その明敏めいびんにして犀利さいりな知性を信じたからこそ、臣下はこれまで忠実に仕えてきた。


 だというのに。


「――お待ちを、どうかお待ちください!? ど、どういうことですか!? どういうおつもりなのですか!? このままでは……このままでは我らセントミリドガル王国は、【滅亡いたしますぞ】、陛下っ!?」


 錯乱した文官は、ついにその言葉を口に出してしまった。


 誰もが心に抱き、しかし明言せずにいた『滅亡』という禁句きんくを。


 だが、それすらもオグカーバには響かなかった。


「――――」


 言うべきことは言った、とばかりに唇を引き結び、目を伏せる。


「そんな……」


 そう呟いたのは、一体誰だったか。武官に遅れること少し、今度は文官の顔が失望のそれに染まっていく。


 さらには。


「――滅亡? 貴様、いま滅亡すると言ったか? この国が……我がセントミリドガル王国が滅びると?」


 やおら、ジオコーザが鎌首をもたげた。血走った目を大きく見張って、失言した文官に異様な視線を向ける。


「貴様に罰をあたえることには変わりないが、私は寛大な人間だ。一応、理由を聞いてやろう。何故、そう思った? 我が国が滅亡するなどと、そう考えた理由は何だ?」


 大きさこそ抑えてはいるが、喉の奥が震えているような声音は、どこか張り詰めた糸を連想させた。そう、今にも限界を迎えて千切れてしまいそうな――ジオコーザの神経を。


「で、殿下……! わ、私は……!」


 文官の声も震える。思わず口走ってしまった言葉だが、それが飛び出した理由などいくらでもある。それはここにいる全員がわかっているはずだ。


 何から話せばよいものか、と文官は口ごもってしまう。


 一つ一つあげつらうのが馬鹿らしいほど、ジオコーザの言っていることは無理難題でしかない。


 いくらセントミリドガルが五大国の中で最大の軍事力を有していようと、四方向から同時に侵攻を受けてはひとたまりもない。


 兵力は? 補給計画は? 指揮官の数は? 足りないものなどいくらでも列挙できる。


 今までは、勇者アルサルが一人いるだけで全ては事足りたのに――


「――もうよい、これからの我が国に臆病者はいらん。ヴァルトル将軍」


 ギロリ、と文官の顔を一瞥したジオコーザは、低い声で命を下す。


御意ぎょいに」


 ただ名前を呼ばれただけで、ヴァルトルは王太子の意向を汲み取った。


 脇にたずさえていた剣を抜く。


「なっ……!? か、閣下、一体何を――!?」


 目を剥く文官に、ヴァルトルは白刃の切っ先を向けた。


「聞いただろう、王太子殿下のお言葉を。我がセントミリドガル王国に臆病者の居場所などない。貴官はいさぎよく冥府へと落ちるがいい」


「――っ!?」


 失言した文官だけでなく、その場にいるほとんどの者が度肝を抜かれた。


 ジオコーザは臣下に対し『こいつを殺せ』と告げ、ヴァルトルはそれを躊躇なく受け入れたのである。


 なおかつ、事ここに至ろうともオグカーバ国王は動かない。座して、成り行きを静観するのみ。


 ただでさえ深い絶望が、もはや底なし沼となった。


 大きな戦争だけでなく、ジオコーザ王子による恐怖政治が始まる――誰もがその未来を幻視した。


「あ、あ、あ……お、お許しを……お許しをっ!?」


 死を宣告された文官は首を横に振り、後ずさるが、会議の間は密室。扉の外には衛兵が立っており、その者らは将軍であるヴァルトルの配下だ。


 逃げ道などない。


「貴官は運がいい。もし貴官の言う通りセントミリドガルが滅亡するというのなら、それを見ずに済むのだからな」


 ふっ、とヴァルトルが嘲笑を浮かべ、剣を手に迫る。


「あ、ああ……!?」


 容赦なく、寛恕かんじょなく、そして慈悲なく。


 ヴァルトルの剣が振るわれ、血飛沫ちしぶきほとばしった。


 絶命し倒れ伏した文官の姿を、その場にいる臣下らが暗い顔で見つめる。


 次は自分がああなるのだろう――そう思わなかった者は、おそらくいない。




 この日、セントミリドガル王国からも各国に対して正式な宣戦布告が行われた。


 後世において『第一次人界大戦』と呼ばれる戦乱の、これが始まりだった。











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