●8 果ての山脈にて 8






 俺は意味がわからず、思わず変な声を返してしまった。


 すると、


「――ああ、なるほどね、そういうことか。アルサル、残念なことに〝悲報〟だよ。どうやら君は【思ったよりも世界にとって重要だった】らしい」


 端で話を聞いていたエムリスが、出し抜けに意味深な笑みを浮かべた。青白く光る目を細め、妙な流し目を送ってくる。


「は?」


 何を言っているのかよくわからないが、とにかく不穏なことを言っているってことだけはわかった。


 嫌な予感しかしない。


「イゾリテの、そしてエムリス様の言う通りですよ、アルサル様。此度こたびの追放の件でどれほどの人間が影響を受けているとお思いですか? ことは『軍人が一人、国外追放になった』などというレベルではないんですよ!」


 ガルウィンが力説する。おそらく、俺にとってはこの上なく望まざる話を。


「お兄様の言う通りです。アルサル様はセントミリドガル王国における最大戦力――いわば『最終兵器』です。国防のかなめたる人物が追放処分になったのですから、その影響は〝波紋〟と呼べるような規模ではありません」


 ガルウィンの語を継いだイゾリテが、緑の瞳でまっすぐ俺を見つめ、まるで恫喝するように言う。


「〝津波〟です」


 エムリスが盛大に吹き出した。


「あっは、〝津波〟! いいね、それはとても的確な表現だよ、イゾリテ君」


 俺達三人がローチェアに腰掛けているのに対し、こいつだけは宙に浮いた大判の本に座っている。そのせいで頭の上から声が降ってくるのだが、これがまた『上から目線』な物言いなので、余計に腹が立つことこの上ない。


「そう、なんせ五大国筆頭セントミリドガル王国の〝勇者〟アルサルだ。ある意味、君がいたからこそ人界の平和がたもたれていたと言っても過言じゃあない。だから君が動いたからには、【世界も動く】。至極当然の流れだね。あ、このコーヒー美味しいよ、アルサル」


「ついでで褒めるな、ついでで」


 もはや一周いっしゅうまわって呆れてしまった俺は、ジト目を上空のエムリスに向ける。


 こいつ、〝傲慢〟の因子を取り込んだ俺よりも傲岸不遜ではなかろうか。まぁ、〝怠惰〟も〝傲慢〟も似たようなものだから、自然なことかもしれないが。


「と言ってもな……俺達が魔王を倒したのなんて、もう十年前のことだぞ? 世間じゃほとんど忘れ去られているぐらいなんだ。なんでそんな奴が退職した程度で、世界が揺れ動かなきゃならないんだ?」


 実際、リデルシュバイク村の人々は村長以外、俺のことを知らなかった。いや、覚えていなかった、と言った方が正確か? なんにせよ、いまや魔王を討伐した英雄の知名度は、そこらの冒険者よりも低いのだ。


「またそれかい? 言ったじゃあないか、ボク達は魔王討伐の英雄――」


「世間から忘れ去られているのも当然です。この十年間、皆様は【何もしていなかったのですから】」


「――えっ?」


 またぞろ、いまだに現実を認識していないエムリスが俺の言を否定しようとしたところ、イゾリテがかぶせるように鋭すぎる指摘を差し込んだ。


 エムリスの表情が凍る。


「考えてもみてください。この十年の間、アルサル様は戦技指南役として兵を教導していただけです。エムリス様は噂によると、ずっと自身の工房に引きこもられていたと言うではありませんか。つまり魔王を討伐して凱旋がいせんして以来、民衆の前に一切姿を現していないのです。これでは世界中の人々が皆様を忘れるのも無理はありません」


「え……忘れ……え、えっ?」


 理路整然と事実のみを並べ立てるイゾリテに、エムリスは困惑した表情で挙動不審になる。いや、こっちを見るな。助けを求められても困るぞ。


「さらに言えば、〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ様は聖神教会で奉仕活動に没頭し続け、〝金剛の闘戦士〟シュラト様は放浪の旅に出ていると聞きました。皆様、見事なまでの【隠遁生活】です。これでは敢えて人々の記憶から消えようとしているのだと思われても、決して否定できないでしょう」


 耳が痛い。別にわざとやっていたわけではないが、そう言われるとグウの音も出ない。イゾリテの言うことはいちいちもっともだった。


「記憶から、消え……てる、の……ボク達……?」


 これまでにないほど不安そうな顔で小首をかしげるエムリス。うんうん、わかる、わかるぞ、お前が受けている衝撃の大きさが。俺もこの前それと同じ感覚ものを味わったからな。


 でも、もう認めてしまおうぜ?


 俺達、世間様からすっかり忘れ去られてしまっているんだよ。


 悲しいことにな。


「しかし、それはあくまで一般市民の視点での話です」


 ここで、イゾリテの話が転調を迎える。


「各国の王や軍事にまつわる人々にとって、皆様の存在は現在いまもなお最大の懸念材料です。かつて人間の世界を侵略せんとした魔王と、その配下の軍勢――それらを【たった四人】で打ち破り、魔の脅威を打ち払った伝説の英雄。先程も『最終兵器』と称させていただきましたが、皆様はその一人一人が、単独で戦局を変えうる常識外の戦力なのです。これを知らぬ関係者はいません。いたとすれば、取るに足りない小物と断言して間違いないでしょう」


 なかなか過剰な褒め方だとは思うが、しかしイゾリテの冷静沈着な声音で言われると、まるで機械のように私情を挟まず事実だけを述べているようで、一般的にはそういうものなのか、とつい納得してしまいそうになる。


「そういった意味では、皆様の選択は間違っておりませんでした。世に出ず隠遁いんとんする……そうしていなければ、きっと世界に安寧は訪れていなかったでしょう。各国は皆様の確保に奔走し、場合によっては〝銀穹の勇者〟、〝蒼闇の魔道士〟、〝白聖の姫巫女〟、〝金剛の闘戦士〟がそれぞれあいあらそう事態になっていたかもしれません。アルサル様達が表舞台から立ち去ってくださったからこそ、五大国は均衡状態を保ち、今の世があるのです」


 別にそんな気はなかったのだが、そう言われると何だかいいことをしていたような気分になるから不思議だ。


 って、おいエムリス、そこで『そうだよ? よくわかったね? いやぁボクの真意を見破るなんて大した観察眼だよ君は』みたいな顔をするんじゃない。お前、絶対俺と同じで引きこもりたいから引きこもっていただけだろ。むふー、って得意げな鼻息やめろ。


「そういった意味では、先程のお兄様と私の言葉は半分正しく、半分間違っておりました。個人としては、アルサル様やエムリス様の功績は、公爵、あるいはそれ以上の地位と領地を褒美として与えられてなお余りあるものだと考えます。ですが実際にそうしていた場合、きっと世界のパワーバランスは崩れてしまっていたことでしょう」


 地位には責任が伴う。俺達四人がいずれかの国の重鎮になっていたら、国家や民衆の為に力を振るわねばならない時があったかもしれない。


 もしそんなことになったら――魔王討伐の英雄に対抗できるのは、同じ英雄だけだ。


 先程イゾリテが言ったような、俺とエムリスが対決するような未来だって、あり得たかもしれないのである。


「【何もしない】――それが最良の選択だったのだと、私は考えます。そして、国王陛下がアルサル様を『戦技指南役』という中身のない役職につけたのも、世界の均衡を保つための方策だったのだ、と。かつてめかけの子である私達二人を、公爵や伯爵ではなく、敢えて騎士爵の子となるよう取り計らってくださったのと同じように……」


 そのあたりに関しては俺も、もしかしたら、とは思っていた。


 だから国王の前で言ったのだ。


『とりあえずまぁ、穀潰しってこと自体は否定しないさ。というか、王様よ、オグカーバ陛下様よ、俺はてっきりアンタがわざと【俺を飼い殺している】もんだと思っていたんだけどな? どうやら俺の目は節穴だったらしい。まさか、何も考えずに俺をそばに置いていただなんてな』




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