●8 果ての山脈にて 7
まさか、あの大人しかったイゾリテがあんな大胆な真似をするとは。あまりにも意外すぎて、今になっても、あの時どう対応するべきだったのかがよくわからない。
――そんなに好かれるようなことをした覚えはないんだがなぁ……
思わず心の中でそう
しかしまぁ、イゾリテの行動原理が恋愛感情だというのであれば、この暴走じみた行動にも納得がいく。
逆に言えば、そうではないガルウィンの行動力の強さがむしろ不気味だ。
騎士爵の地位を捨てた――などと簡単に言ってはいるが、言うまでもなく大変な所業である。
今頃ペルシヴァル領およびディンドラン領は、天と地がひっくり返ったような大騒ぎになっているはずだ。
なにせ若き領主が妹と一緒に飛び出して行ったのだ。ただごとではない。
そう、ガルウィンは俺と大して年齢も違わないのに、既にペルシヴァル家の当主の座を継いでいた。
というか、そのために俺の部隊を辞め、王都を出て領地へと帰ったのだ。
もとよりペルシヴァル家とディンドラン家は没落していた。何もせず放っておけば領主がいなくなり、統治する者のいない土地になるはずだった。
それを防ぐため、オグカーバ国王の隠し子であるガルウィンとイゾリテと共に、二人の母親はそれぞれの領地に
現在ではガルウィンがペルシヴァル騎士爵として両領地を治め、いずれは一つの領地に合併する予定だと――そう聞いていたのだが。
「――もうそれどころの話じゃないよな……」
「はい? なんでしょうか、アルサル様?」
思わず声に出てしまった呟きに、ガルウィンが反応する。
「いや、別に何でも――なくはないか。お前の領地、今頃は大変だろうなと思ってな」
コーヒーを淹れたシェラカップを渡しながら、俺は少し意地悪な指摘をする。
「ああ、そのことですか」
ははは、と爽やかに笑うガルウィン。いや軽いな。もう少しこう、申し訳なさそうにするとか、苦しそうにするとか、そういうのはないのだろうか。
「大丈夫です、信頼できる人間に任せてきましたので。なんとイゾリテの太鼓判つきですよ!」
「ほう?」
言っては何だが、イゾリテは警戒心が強いタイプだ。ガルウィンが俺の部隊にいる頃も、俺とは打ち解けていたが、他の隊員とはあまり仲良くはならなかった。別に険悪だったわけでもないが、いつもイゾリテの方が一線を引いている――そんなイメージが残っている。
「イゾリテが太鼓判を押す人間か。そんなに信頼できる人間がいるのなら領地も安泰だな。で、それは誰なんだ?」
俺はあえてイゾリテに話を振った。
彼女にもコーヒーを手渡しつつ、そんなに信用できる人間がいたなんて驚きだな、という意味も込めて。
イゾリテは、コク、と小さく頷き、
「私達の両親と、弟達です」
「へ?」
てっきりガルウィンやイゾリテの親友あたりか――などと予想していたのが盛大に外れ、俺は変な声をこぼしてしまった。
「ちょっと待て。両親はともかく……弟?」
そいつは初耳だ。てっきりガルウィンとイゾリテの二人しかいないと思い込んでいた。
「はい、新しい父――つまりはペルシヴァル家先代当主、ディンドラン家先代当主と私達の母上との間に生まれた、弟達です」
「あー……なるほど」
そりゃまぁ、確かにそうだ。政略的なものとはいえ、それぞれの当主は二人の母親を妻として
「けれど、君達の弟ということは、まだ
俺が渡す前に勝手に自分のコーヒーを確保した――魔力による念動力でシェラカップを引き寄せやがった――エムリスが、当然と言えば当然の疑問を口にした。
そんな小さな弟に領地なんて任せられるのか、と。
「弟達はあくまで
「なるほど、そういうものなんだね」
イゾリテの説明に、シェラカップに口をつけながらエムリスが納得する。淹れ立てのコーヒーはまだ熱い。火傷しないよう
「むしろ、領地を出て行く理由ができて安堵したぐらいですよ、自分は。母上らはともかく、父上らはやはり自身の子供に領地を継がせたかったはずですからね。血の繋がらない自分達が居続けるよりも、今は形だけとはいえ、弟達が当主になった方がみんな幸せになれます」
後悔はまったくない、と言わんばかりにガルウィンはそう断言した。間違った選択をしたつもりは一切ない、と。
「ふむ……」
俺は自身で淹れたコーヒーを口に含みつつ、思考を走らせた。
所詮は他人の家の事情だ。別に文句を言うつもりもない。俺とてセントミリドガル王国に対し、そこそこ派手な――エムリスのアレに比べたら『そこそこ』と言う他ない――絶縁状を叩きつけたわけだし。領地を捨てて飛び出してきたガルウィンとイゾリテを責められる道理などない。
とはいえ、だ。
「――で、結局お前らは何しに来たんだ?」
つまるところ、肝要なのはそこであった。
わざわざ騎士爵領を飛び出し、アルファドラグーンまで俺を探しに来た理由。
ちなみに、俺に心当たりはまったくない。
「な……!?」
「アルサル様……」
ガルウィンはあからさまに瞠目し、一方イゾリテは溜息をこらえるような所作を見せた。
ん? 俺なんか間違えたか?
「何をおっしゃっているのですかアルサル様! もちろんアルサル様のことを思って馳せ参じたに決まっているではありませんか!」
ガルウィンが前のめりに大声を出す。おいおい、手元が危ういぞ。せっかく淹れたコーヒーがこぼれるだろうが。
「お、おう、そうか……コーヒー気をつけてな……?」
いきり立つ兄とは正反対に、イゾリテは穏やかにコーヒーを一口。ふぅ、と嘆息してから、
「ええ、はい、存じ上げておりました。アルサル様には【そんなところ】があると、このイゾリテは知っておりました。ですので、残念には思いますが意外とは思いません。ご安心ください」
「い、いや……なんか……うん、色々とごめんな……?」
淡々と言われているが、多分もしかしなくても呆れられているらしい。言葉の端々にちょっとしたトゲを感じる。
しかし、そうか。俺を心配して来てくれたってことか。
「なるほど、そういうことだったか。じゃあ……ありがとうな、二人とも。けど、俺は大丈夫だぞ? ほれ、この通り元気も元気。退職金だってガッポリもらってきたし、別に大変なことは何もない。なんつうか……心配させて悪かったな?」
はっはっはっ、と笑って何でもないことをアピールする。
実際、何もつらいことはない。むしろ、社会的なしがらみから自由になったので、かつてないほどの開放感を満喫しているほどだ。
と、素直な気持ちを表明したところ、
「めちゃくちゃ軽いですねアルサル様!? いやしかし、そういうところがアルサル様〝らしい〟といえば〝らしい〟のですが……」
ガルウィンが唖然とする。いや、軽い調子で『領地を出奔してきた』とか言うお前には言われたくないのだが。まぁ、俺のことを心配して来てくれたのだから、あえて言うまいが。
「まぁ確かに国は追い出されたし、どうもジオコーザの馬鹿が俺のことを国際指名手配犯に仕立て上げようとしているみたいだけどな。別になんてことはねぇさ。俺を殺したきゃ魔王でも連れてこいよって話だからな。ま、残りの人生を自由気ままに過ごさせてもらうだけだよ」
そう言って、そろそろ適温になってきたコーヒーを多めに飲む。シェラカップは使い勝手がいいが、口が大きいので冷めやすいのが難点だ。逆に言えば、食事時には熱々のものが食べやすくもあるのだが。
はぁ、と小さな溜息が聞こえた。
「……アルサル様、私達は何も【あなた様の身だけ】を案じて駆けつけたわけではありません。その点、誤解なさっているようですので訂正しておきます」
イゾリテの冷静な声が、俺の勘違いを指摘する。
「へ?」
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