●7 次なる目的地と暗躍する影と突然の告白 5








 なにせ地獄と呼んでも差し支えない魔界に乗り込み、魔王を倒してかえってきた俺達だ。いまさら人間の戦場に出たところで傷を負うところなど想像できない。


「……ほら、うるさいだろ。平穏が乱れる」


 我ながら苦しい言い訳だと思ったが、


「ああ、確かに。そうだね」


 意外とすんなり、エムリスの同意が得られた。


「平穏は大切だね。ボクも昨日それを思い知ったばかりだよ」


 あは、とエムリスは朗らかに笑う。いやこのタイミングでそんな綺麗な顔して笑うな。逆に怖いわ。


「んー……じゃあ久しぶりに魔界に行くのはどうだい? ほら、せっかく大きな穴も空いたわけだし」


「いや、ないわ。まったくないわ。せっかくもクソもあるか」


 いきなりアホなことを言い出したエムリスに、俺は喰い気味で突っ込みをいれた。そんな山や海に行くかのようなテンションで提案する場所じゃないだろ、魔界ってのは。


「つか、あの穴は大丈夫なのか? 『果ての山脈』が人界と魔界の境界線になってるんだから、あんな大穴あけたら今まで以上に魔力が流れ込んできて、場合によっちゃ空気が汚染されるんじゃないのか?」


 ふとその危険性に思い当たり、俺は問い返した。まさか何も考えなしに『果ての山脈』をぶっ飛ばしたわけじゃないよな、という意味も込めて。


「もちろんさ。というか別に『果ての山脈』そのものが魔力の流れを遮っているわけじゃあないんだ。肝心なのは山脈の地下深く――人界と魔界の間に張り巡らされた〝龍脈結界〟だよ。それが二つの世界を隔てているんだから――って、これ十年前にも説明した気がするんだけど?」


「お、そうだったか?」


「そうだよ、ボク達が魔界に乗り込む際に説明したはずだよ。覚えてないのかい?」


「記憶にないな……」


「まったく……ボクと違って〝怠惰〟の因子を受け入れたわけでもないのに、怠惰な記憶力をしているね、君の頭は」


 そう言われても、十年前と言えば魔王を倒すことしか考えていなかった頃だ。魔力や魔術によって引き起こされる【結果】には興味があったが、それらの【原因】や【構造】にはまったく関心がなかった。


 魔王を倒せれば何でもいい――あの頃の俺はそう考えて生きていたのである。


 よって敵の攻撃の起点となる魔力の脈動や流れには敏感になったが、それ以外のことはからっきしわからないままだ。


「ともかく心配はいらないよ。むしろ、空気中の魔力濃度が上がるっていうのならいくらでも大穴あけてやるさ。こっちの世界は何かにつけ魔力が薄すぎるんだからね」


「お前はこの国の人間を根絶やしにするつもりか」


 魔界の濃密な魔力に耐えられるのは、魔族や魔物を除けば、俺達のようなイレギュラーだけだ。


 人界と魔界を隔てる〝結界〟に大穴が空けられた日には、魔術の素養を持つ人間以外は間違いなく中毒死する。そうなったら、人類の生息圏は大きく西側へ後退することになるだろう。ことによっては、アルファドラグーンという国が丸ごと消えかねない。


 ――などと、俺とエムリスが朝食の席にしては不穏に過ぎる会話を交わしていたところ、


「お話し中、失礼いたします」


 テーブルに近付き、不意に声をかけてきた人物がいた。


 俺もエムリスも舌を止め、振り返る。


「お久しぶりです、アルサル様」


 そこにいたのは琥珀色の髪と緑の目を持った、精悍な青年だった。片手を胸に置き、爽やかな笑顔を浮かべている。


 意外すぎる顔に、俺は一瞬だけ唖然としてしまった。


「……ガルウィン? お前、ガルウィン・ペルシヴァルか?」


 記憶の引き出しからぽろっとまろた名前を口にすると、青年――ガルウィンは嬉しそうに大きく頷いた。


「はい、ご無沙汰しております、アルサル様。あなた様を追って、ここまで馳せ参じました。妹のイゾリテも一緒です」


 そう言ったガルウィンが右にけると、その背後に隠れていた人物が姿を現す。


 妹と言ったように、ガルウィンと同じ琥珀色の髪と緑の瞳を持った、年の頃十五、六の少女だ。同じような年頃に見えるエムリスと比べて、随分と体の発育が顕著ではあるが。


「イゾリテって――え、イゾリテ・ディンドラン? あの小さかった子か……?」


 記憶にある幼き姿とはまるで違う容貌に、思わず手で当時の身長を再現しながら目を丸くしてしまう。


 前に会ったのは四年か五年前だっただろうか。薄っぺらだった体がすっかりデコボコになった少女――イゾリテがペコリと頭を下げる。


「お元気だったでしょうか、アルサル様。あなた様の国外追放の報を聞いて、急いで追いかけて参りました」


 兄のガルウィンとは正反対に、無表情で淡々とした挨拶だった。声音も張りのある兄とは違い、蚊の鳴くような囁き声である。


「ガルウィン、イゾリテ……お前ら、なんでまた……」


 二人とも、いかにも貴族然とした格好をしている。当然だ。二人はどちらもセントミリドガルの騎士きししゃく――即ち下級貴族と呼ばれる層に属する人間だ。おいそれと他国であるアルファドラグーンに来られる身分ではない――はずだが。


「どちら様だい、アルサル?」


 紹介してくれよ、と言わんばかりにエムリスが尋ねてくる。あるいは、ボクを放置するなよ、とでも言うかのような表情で。


「あ、ああ、えっと……?」


 突然のこと過ぎて二人のことをどう紹介したものか、と答えあぐねていたところ、


「――アルサル様、お会いしとうございました……」


 妹のイゾリテが、兄のガルウィンよりも前に出てきた。俺の真横に立ち、腰を屈め、手を伸ばす。


 街中であり、相手が知己ちきだということもあって、俺は油断していた。


 故に、あっさりと柔らかい両手に頬を挟まれてしまった。


「……あ?」


 思いもよらぬイゾリテの行動に、思わず目が点になる。いや、久しぶりにあった年下の女の子からこんなことされたら、誰だって呆然としないか?


 というか、何だこの状況?


 まったく意味がわからないのだが?


 一体どうするのが正解なんだ、この場合?


「お目にかかれて、本当によかった……」


 イゾリテの表情筋は一ミクロンも動かないまま――つまり仮面のように無表情のままだが、心なしかエメラルドグリーンの瞳がうるんでいるようにも見える。


「お、おい、何を……?」


 おい、どうして止めない? とガルウィンに視線を向けるも、すっかり爽やか青年に成長した騎士爵はニコニコと笑みを浮かべて、妹のやることを眺めているだけ。


 いや意味がわからん。


 気付けば、宿屋のレストランはすっかり静まり返っていた。他のテーブルの客も口を閉ざし、俺達に注目――いや、固唾を呑んで見守っているようだった。


 唯一、俺に救いの手を差し出せるであろうエムリスもまた、両手でテーブルに頬杖をついて俺とイゾリテの動向を見つめている。青白い瞳がキラキラと輝いているように見えるのは、決して気のせいではあるまい。


 無類のゴシップ好きがするような、そういう目をしていた。


「アルサル様……」


 イゾリテの顔がゆっくり近付いてくる。視界が埋め尽くされて、他のものが目に入らなくなる。


 今にも口づけされそうな距離にまでイゾリテの唇が近付いた、その時だった。


 その唇から、いっそ竜玉の爆発よりも強烈な言葉が紡ぎ出された。




「このイゾリテ、以前からあなたをお慕い申しておりました……」














第1章『魔道士との再会』 完



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