●6 指先一つで山を穿つ 5








 どれだけ厳戒態勢を取ったところで、結局のところ意味などなかった。


 魔王を倒し、世界を救った勇者と魔道士の二人である。


 一体どこの誰がその歩みを止められようか。


 と言っても、俺はエムリスの後ろにくっついているだけで、特に何もしていなかったのだが。


 空飛ぶ本に腰掛けたエムリスは当たり前のように王城へ向かい、出入り口を塞いでいた警備兵の群れをやはり直接手を下すことなく無力化。俺の〝威圧〟にも似た魔力の圧――〝魔圧〟とでも呼ぶべきものでことごとく意識を奪うと、悠然と城内に入っていく。


「まったく理解できないね。彼らはどうしてボク達の前に立ちはだかるんだろう? 無駄なのがわからないのかな?」


 ロビーを抜けながら、心の底から理解できないという風にエムリスが首を傾げる。


 俺も以前まえに似たような疑問を持ったので気持ちはわかるが、今となってはその答えも知っているので複雑な気分だ。


「わからないというか、知らないんだろうな、俺達――というかお前のこと。だから無謀にも突っかかってくるんだよ」


「知らない? ボクを?」


 何を馬鹿なことを、とエムリスは笑い飛ばす。


「そんなはずないじゃないか。ボクは魔王を倒した一人だよ? 伝説の〝蒼闇の魔道士〟だよ? 百年前のことならともかく、たった十年しか経っていないんだから、そんなことは有り得ないよ」


「…………」


 だろう? だろう? お前もそう思うよな? やっぱそう思うよな? と言いたいところを我慢した俺、えらいと思う。誰か褒めてくれ。


 こればかりは自分で経験して思い知るしかない。


 自分がすっかり過去の人となり、今となっては『あの人は今』な状態になっていることを。


「で、どこに向かってるんだ?」


「もちろん王妃――というか、王様のいるところさ。執務室か謁見の間とかにいるだろうけど、城内がこの様子じゃもっと奥の安全な場所だろうね」


 セントミリドガル城もそうだったが、このご時世において城は要塞の側面も持ち合わせる。つまり『最後のとりで』というやつだ。


 また、王や王妃といった王族もいつも謁見の間で玉座に座っているわけではない。彼らの仕事はケツで椅子を磨くことではなく、あくまでまつりごとるのがおもたる責務せきむだ。


 よって、基本は執務室が王族の居場所となる。


 だが、今は外敵が城内に侵入してきた緊急事態。安全を期すため、城の奥深くにあるだろう堅牢な避難場所――シェルターにいるという読みは、決して的外れではなかろう。


 まぁ、国によっては国王が軍の最高指揮官という場合もあるので、その場合は司令部にいるだろうが。俺の知る限り、アルファドラグーン王国はそっちのタイプではなかったはずだ。


「場所はわかってるのか?」


 迷いのない様子で城内を進んでいくので。てっきり知っているものかと思ったが、


「いいや?」


 エムリスは首を横に振った。


「でも、場所なら彼らが教えてくれるよ。守りが厳重なところばかり進んでいけば、いずれはドレイク王やモルガナ妃のいる所に辿り着くはずさ」


 なるほど、それは道理だ。特に準備万端ならいざ知らず、今回は不意打ちみたいなものだからな。どうしたって兵士たちは直感的に動くだろうし、その結果として、大切な王族のいる場所の守りは自然と厚くなる。


 分厚いところをぶち抜いていけば、いずれは目的の相手のいる場所へと辿り着く寸法だ。


「ってことは……あっちか」


 俺は理術を発動させ、人の気配が多い方に顔を向ける。無論、エムリスも似たようなすべで感知していたのだろう。空飛ぶ本に乗って、滑るように先導する。


 その後も何度か兵士の壁が現れたが、そのことごとくがエムリスの〝魔圧〟によって紙のごとく破られていった。


「――おや? この方向は、もしかして……?」


 アルファドラグーン兵のいっそ健気けなげに思えてくるほど不毛ふもうな抵抗を打破していく内、エムリスがやや意外そうに目をぱちくりとさせた。


「どうした?」


「いや、少々驚いた。どうも王や妃は謁見の間にいるらしい」


 俺が聞くと、エムリスは微笑を浮かべて答えた。


「彼らもなかなか、いい度胸をしているじゃないか」


 その柔らかな微笑ほほえみが、嗜虐的しぎゃくてきなものに見えるのは俺の目の錯覚だろうか。


 錯覚であって欲しいな、と元勇者は思うのであった。


 果たして、エムリスの言った通り、アルファドラグーン国王ドレイクと、その王妃モルガナは謁見の間にいた。


「やぁ、ご機嫌麗しゅう存じますよ、国王陛下に王妃殿下」


 触れられてもいないのにバタバタと倒れ伏していく兵士達の上を、空飛ぶ本に乗って悠然を通り過ぎてきたエムリスが、謁見の間に入るなり明るい声で挨拶をした。


 途端、謁見の間に詰めていた近衛兵らが騒然となる。誰もがぎょっとした目でエムリスを見つめ、愕然としていた。


 当たり前だ。ここに来るまでろくな戦闘もなかった。戦闘がなかったということは、物音が立たないということだ。


 戦闘音がなかった為、謁見の間の近衛兵らは俺達が近付いてくる気配をまったく感じられなかったのである。


 とはいえ。


「――お待ちしておりました、魔道士殿」


 おっと? ドレイク国王と思しき精悍な男性――年の頃は四十代半ばといったところか――が、しかし玉座には腰を下ろしておらず、しゃんと背筋を伸ばして立っていた。どうやら起立した状態で、俺達がここに到着するのを待っていたらしい。


 一方、その隣にいる王妃と言えば。


「――~ッ……!」


 国王の玉座のすぐそばに置かれた豪奢な椅子に深く腰掛けた状態で、物凄い勢いでエムリスを睨んでいる。手元にハンカチがあれば、歯で噛み千切らんばかりの形相だ。憎悪の一言しかない。


「へぇ? お待ちしておりました? ボクが来ることがわかっていたんだね、あなたは」


 くす、と笑いつつも、目が一切笑っていないエムリスが慇懃無礼いんぎんぶれいに言葉を返す。


 一応は敬語の形を保っているが、それでも王族に向かって使うたぐいの言葉遣いではなかった。


 だがドレイク国王は怒り狂うどころか、苦渋に満ちた表情で目を伏せ、


「……事情は聞いております。まずはお詫びを申し上げたい」


 片手を胸に当て、軽く会釈した。


 おっと、こいつは驚きの展開だ。


 仮にも一国の王が、会釈レベルとはいえ食客扱いであろうエムリスに頭を下げるとは。


 俺の時とはパターンが違う。


 だが。


「――何をしているのですか陛下! このような下賤の者に謝罪など……! 有り得ないことですよ!」


 モルガナ王妃が絶叫じみた声で怒鳴った。目を大きく見開き、唇の端が引き裂けんほどに大口を開けて。


「黙りなさい、モルガナ。私が話しているのだ」


 ドレイク国王は厳然と王妃をたしなめた。そりゃそうだ、国の主たる人間が喋っているのに横から口を挟むなど、公式の場ではたとえ王妃であろうと許される行為ではない。


「いいえ、いいえ!」


 しかしモルガナ王妃は耳を貸さない。大きくかぶりって国王の言葉をはね除けると、絹の手袋に包まれた指でエムリスを差し、


「そこにいるのは〝反逆の魔女〟なのです! この国を転覆せんと企む悪魔の手先! 即刻排除しなければならない存在です!」


 そう言っているモルガナ王妃の方が、よっぽど悪魔みたいな表情を浮かべているように見えるが――と思うが、もちろん口には出さない。というか話題の主がエムリスなので、お呼びでない俺が口を挟む場面ではなかった。


 しかしアレだな、このあたりは俺が死刑だと言われたり国外追放になった時と本当によく似ている。


 今回も同じような結果になりそうな嫌な予感がするが――


「そう、それだ、モルガナ王妃。ボクの工房を燃やしに来た連中からも聞いたのだけどね、その〝反逆の魔女〟というのは一体全体どういう意味なんだい? 幸か不幸か、ボクにはまったく心当たりがないのだけど」


「口を慎みなさい魔女ッ! 誰に向かって口を利いているのですか! 呪いの言葉を吐くその薄汚い口を閉じなさいッッ!!」


 エムリスの質問に、耳にざらつくヒステリックな叫びが返った。口角こうかくあわを飛ばす勢いでモルガナ王妃は怒鳴り散らし、しかし質問には一切答えない。


 激情の発露による勢い任せで煙に巻こうとする――いやはや、先日のオグカーバやジオコーザとよく似た態度じゃないか。


「……ん?」


 そう思って王妃の顔を見やっていると、ふと覚える違和感。


 あの右耳のピアス――なんだか見覚えがあるな。


 おお、そうだ。確かジオコーザがあんなデザインのピアスをつけていた気がするぞ。


 いや、ジオコーザだけじゃない。ヴァルトル将軍も、似たような片耳ピアスをつけていたのを覚えている。


 偶然? いや、こんな偶然ってあるか?


「下がりなさい、王妃。何度も言わせるな、私がエムリス殿と話しているのだ」


 大声で喚いたため、ふー、ふー、と荒い息を繰り返す王妃に、あくまでも静かな口調でドレイク国王が告げる。その目付きは鋭く、言外に『これ以上発言するのなら実力行使も辞さない』と言っているかのようだ。


 が、今の王妃にそんなことがわかるはずもなく。


「ですが陛下――」


 と反駁はんばくしようとした瞬間、王の怒声が爆発した。


「黙れと言っている!!」


 一喝。


 流石は国王と言ったところか。本気を出した際の迫力は並ではない。謁見の間の空気がビリビリと震え、モルガナ王妃は頬を張られたように表情を変えた。


「――~ッ……!」


 一瞬の空白ののち、王妃は壮絶な形相を浮かべ、発作的に右手の親指の爪を噛み始めた。親の仇でも見るような目付きでエムリスを睨みつけながら。







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