●6 指先一つで山を穿つ 4








 当たり前だが、仮にも国に仕える兵士がおいそれと口を開くはずもなく、エムリスの問いに答える者はいなかった。


 しかし、そうとわかや否や、エムリスは兵士の一人を選び、魔力によって宙に浮かせ――【拷問】を始めた。


 今更だが、エムリスは〝魔道士〟だ。


 魔術師でもなく、魔法使いでもなく、魔道士。


 もちろん〝蒼闇の魔道士〟というのは古い言い伝えから与えられた称号ではあるが――しかし。


 みちく者。その自負をもって、昔からエムリスは〝魔道士〟を名乗っている。確固たる覚悟と共に。


 そんな彼女であればこそ、攻撃魔術だろうが回復魔術だろうが区別なく、どれも息をするように行使することが出来る。


 即ち――【殺しながら蘇生させること】もまた可能だということだ。


 宙に浮かせた相手の四肢を魔力による念動力ねんどうりきでねじり、雑巾のように絞って肉と骨を破砕。もちろん血飛沫ちしぶきほとばしって悲鳴も上がるが、完全に無視。両腕と両足をグチャグチャにしたのちに、今度は回復魔術を付与。時の流れを逆転させたかのように手足が元の形に戻っていき、完全に再生する。


 これを、エムリスは何度も繰り返した。


 どんな重傷であれ一瞬で治癒される。よって、拷問を受けている相手が死ぬことはない。ただ、寄せては返す波のごとく、地獄のような激痛が与えられるだけ。


 言わずもがな、効果は絶大だった。


 いくら肉体が再生するとはいえ、強烈な痛みは神経に多大な負担をかける。また、手足が千切れる寸前までねじられるというのは、ひどくスプラッタな光景だ。近くで見ている他の兵士たちへの脅しという意味でも、実に効果的だったろう。


 ほどなく、部隊長と思しき兵士が首謀者の名前を白状した。あまりの惨状に見かねたのだ。


 それはもう、言葉を失うほど残虐な光景ではあったのだから無理もない。


 部隊長が口にしたのは、この国の王妃おうひの名前だった。


「ふぅん……モルガナか。彼女の命令で、君達はボクの工房を燃やしたというわけだね?」


「そ、そうだ……」


 エムリスの冷たい目に見下ろされながら、四つん這いになった部隊長はうなずいた。


「ここに、反逆の魔女がいると……」


「反逆の魔女……?」


 思わぬ名称に、静かに怒り狂っているはずのエムリスの目が点になる。長く伸びていた髪が、すん、と元の長さに戻った。


「ボクが、反逆の魔女? そう言ったのかい?」


「ああ、そうだ……先程の城内での爆発……あれが魔女の仕業だと……」


「…………」


 反逆うんぬんはともかく、爆発については事実である。それだけに、エムリスは何も言い返さなかった。表情に変化はないが、若干気まずい思いをしているだろうことが俺にはわかる。


「……それにしたって判断が早すぎる。爆発が起こってから幾許いくばくもないじゃないか。いきなりボクの工房に攻め込んでくるだなんて、一体全体どういうつもりなんだ」


 エムリスはそう言うが、爆発の後もそこそこの時間を使って講義をしていたように思う。もし王妃が前々からエムリスを『反逆の徒』と認識しており、竜玉の爆発を察知したのならば、工房が攻撃されるには充分な間が空いていた。


 ――ん? そういえば、この展開ってどこかで見たような気がするぞ?


「まぁいいさ、本人に聞けばすぐわかることだ」


 問答は終わった、とばかりにエムリスは俺を振り返り、


「アルサル、行くよ」


 王妃のところへ、という意味だろう。


 だが俺が頷きを返すよりも早く、


「ア、アルサル……!? 〝銀穹の勇者〟アルサルか……!?」


 部隊長が俺に目を向けて、愕然とした。


 いや、さっきからずっとここにいたんですけど。何だと思っていたのかな、今の今まで?


「そうだが?」


 と思いつつも、そうやって問い詰めてもろくな結果にならないことはわかりきっているので、普通に返した。すると、部隊長はさらに目を剥き、


「お、王妃の言っていたことはやはり本当だったのか……! 勇者がかつての仲間を集め、【世界征服を目論んでいる】というのは……!!」


「はぁ?」


 なんだそれは? 何の話だ? 世界征服? いやいや、今日日きょうびなかなか聞かないぞ、その四文字熟語。


「何の話だい、アルサル?」


「いや知らん。俺とは無関係だ。何かの誤解だ。有り得ないだろ、普通に考えて」


 どういうことだ、お前もグルなのか的な目を向けてくるエムリスに、俺は片手を振ってはっきりと否定する。


 おそらくだが、ジオコーザあたりが吹いたホラだと思われる。あいつめ、俺を国外追放にした言い訳が思い付かないからって適当ぶっこきやがって。今からでもセントミリドガルに戻ってシメてやろうか。


 俺は、はぁぁぁ、と深い溜息を吐き、


「……なんか、俺もそのモルガナ王妃とやらに会わなきゃいけない理由ができたみたいだな」


 ジオコーザもジオコーザだが、アルファドラグーンの王妃も王妃だ。どんな思考回路をしていれば、俺が昔の仲間と一緒に世界征服をするなどという、荒唐無稽な話を信じる気になれるのか。


 ちょっと頭を冷やしていただかねばなるまいて。


「――っていうか、もしかしなくてもこれ、俺の時と同じ展開になるような気もするんだが……」


「何をブツブツと言っているんだい? さっさと行くよ」


 はやるエムリスが俺をかせる。既に空飛ぶ本に乗ったエムリスは王城の方角へと移動を始めていた。


「ま、待て……! そうとわかったからには、城へ向かわせるわけにはいかない……! 立て、皆の者……!」


 これまでの話で気合いを一新したのか、エムリスの魔力の圧にあてられていた部隊長が、震える体に鞭打って立ち上がろうとする。呼び掛けられた兵士達もまた、悲壮な決意を固めたような顔をして、部隊長に追従した。


 しかし。


「 君達は来なくていい 」


 一言だった。


 再び魔力の籠もったエムリスの言葉だけで、再び兵士達が崩れ落ちる。今度はあまり手加減しなかったのだろう。ドミノ倒しのように、バタバタと倒れ伏していく。


 だが、


「く、ぐぉおぉぉ……!? か、かくなる上はっ……!」


 部下がことごとく意識を失っていく中、部隊長だけは気丈にも持ちこたえていた。今にも崩落しそうな肉体を精神力だけで持ちこたえさせ、手をふところに忍ばせる。


 はっきり言っておこう。この時の俺とエムリスは完全に油断していた。だから、部隊長の行動を許してしまった。


 彼が取り出したのは、信号弾だった。


 簡単な理術りじゅつで動く道具だ。頭より高い位置にかかげると、理力を注入して火を点ける。


 ポン、と軽い音を立てて信号弾が飛び上がった。赤い煙を噴きながら大空へ上昇した信号弾は、頂点に達した途端に爆発。真っ赤な雲かと思うほどの爆煙と、太陽の下にあってなお眩しい閃光をはっした。


「おー……」


 我ながら少々間抜けな感嘆かんたんの声を漏らしてしまう。


 セントミリドガルとアルファドラグーンとでは信号弾の意味が多少違うだろうが、この状況で真っ赤なものを上げたとなれば、大体は察しがつく。


「む、無念……」


 そう言い残して、今度こそ部隊長も失神した。顔から地面に落ちる。


 次の瞬間、どこからか耳をつんざく警報が鳴り響いた。城下町にまで轟くほどの大音量だ。


 まるで獣がリズミカルに唸っているるような音が、長く尾を引いて大空へと吸い込まれていく。


「……こりゃ厳戒態勢って感じだな。どうする?」


 いまやアルファドラグーン城内は上へ下への大騒ぎだろう。ひりつくような緊張感が、そこかしこから噴き上がっているようだ。


「どうするって?」


 エムリスが小首を傾げた。少女の姿をしているからだろうか。今しがた、手も使わずだい大人おとなを何十人も失神させた魔道士とは、とても見えない。


「いやだから、この様子だと、王妃のところまでガチガチだぞ?」


「それが?」


「それが、って……」


 キョトンとした顔で、何てことないように聞き返してくるエムリスに、俺は二の句が継げない。


 すると、あくまでも普通の表情のまま、エムリスは言った。


「別にボク達がすることに変わりはないだろう?」


「…………」


 思い出した。


 そういえば、こいつはこういう奴だった。


 そう――かつて魔王討伐の旅において、【俺達が絶対に魔王に勝てないとわかった時も】、エムリスはこう言ったのだ。


『だから何? ボク達のやることに変わりはないだろう? 魔王を倒すんだ。前に進むしかない。それだけだよ』


 と、ちょうど今と同じような顔付きで。


「……そうだったな。確かに、ここで逃げるのはなしだわ。問答無用で、そのモルガナ妃とやらのところに行くだけだよな」


 俺が半笑いでそう言うと、エムリスは、あは、と軽やかに笑った。


「そうだよ。変なアルサルだなぁ」


 つい先刻、一人の人間を雑巾ぞうきんしぼりの刑に処していたとは思えないほど、爽やかな笑みだった。






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